魔物奴隷(4)
「──どっちだ」
今まで黙っていた勇者が、突然口を開いた。
冷静だが芯の通ったその声は、騎士らしい威圧的な響きがある。
光を通さない眼差しに追い込まれ、男はどこかで選択を間違えたのだとやっと気がついた。
「どっちが、魔物だ」
乾いた土を蹴る音が聞こえ、勇者の姿が一歩近づく。
左手で鞘を掴むと聖剣に宿った魔力が反応し、まるで抜かれるのを期待しているみたいに中でカチカチと小さく揺れた。
ふと…恐怖に凍り付いた男の頭に、聖剣の別名が思い出される。
『血塗られた天使の腕』
白く美しい刃は、どれだけ魔物を切り裂いても刃こぼれ一つすることはない。
その腕に捕らわれたが最後。
聖剣は相手の血を浴びた時に、もっとも美しく妖艶な光を帯びる…
剣を覆っていた鞘が、溢れだしてきた魔力にメキメキと苦しげな音を立てた。
しかし勇者は何事も無いかのように、変わらぬ表情でこちらへと歩いてくる。
「ま、待ってくれ!殺すならっ、この奴隷を…!」
「─へぇ、君その子要らないんだ」
突然、耳元から聞こえてきた優しそうな女の声に、魔物の首を掴もうと手を伸ばしていた男は動きを止めた。
自分のすぐ真横に、いつの間にか綺麗な黒髪の女がしゃがんでいる。
色白の肌に艶やかな赤い口紅。複雑に編み込まれた黒のブレスレットとチョーカーには、魔力を含んだ宝石があてがわられていた。
深い紫色の瞳をしたその女は、柔らかく目を細めると男に向かい朗らかな笑みを浮かべながる。
「…コハトネ」
「ダメだよ、グリム君。そんな怖い顔してるから戦闘狂なんて言われるんだよ」
勇者を相手に、親しげに話すその女の名には聞き覚えがあった。
四大元素を自在に操る魔法使い─『コハトネ』。
2年前、魔王城での戦いで勇者と共に魔物を制圧した仲間の一人。
最強の魔法使いを目指す者なら、誰もがその名を知っている…戦闘に特化した国一番の大魔法使いだ。
コハトネの後ろには、ウサギの姿に似た魔物がちょこんと足元で伏せていた。
その狂暴的な戦い方に関わらず、可愛いものが好きな彼女の奴隷だろう。
「殺しても、構わないほど要らないのでしょう?なら私が貰っても良いかしら。」
彼女が軽く手首を振ると、リザードマンに向かい腕を伸ばしていた男の手がパチンと弾かれ後ろに尻餅をついた。
ふっと微笑むコトハネの鋭い爪先が、カチカチと不気味に音を立てる。
「もちろん、グリム君があなたの命を奪う代わりにね。」
その妖しくも美しい姿に、男は顔を強ばらせ言葉を探してはくはくと口を動かした。
すでにもう、他の選択肢はないと悟っているだろう。
「か、構わねぇよ!こんな安物っ!!魔物なんて腐る程いんだ。勝手にしてくれ!」
そう叫びながら右腕の甲を差し出すと、そこに奴隷に付けられている魔法印と同じ印が浮かび上がる。
魔物を奴隷にした際に結ぶ契約印。
短く男が『契約解除』の呪文を唱えれば、縮こまっていた幼いリザードマンのうなじから、焼き付けられた奴隷の印が塵のように砕けて消えていく。
悪態を吐きながら逃げていく男の後ろ姿を見つめながら、「ゴ主人サマ...」と囁く声が聞こえた。
親のいないこの子にとって、あんな男でも唯一ずっと近くにいた存在だったのかも知れない。
寂しげなリザードマンの背をコハトネが近づき優しく撫でると、そっと手を取り抱き上げた。
「今日から私が『主人』よ、可愛い子。まずは怪我の手当てをしないとね。」
驚いて固まっているリザードマンをよそに、コハトネは嬉しそうに口元を緩める。魔物が変態的に好きなところは、相変わらず2年前と変わっていない。
「ふふっ…グリム君も久しぶりね。やっと王国に帰ってきたと思ったら、王様に呼ばれたからなんて...よっぽどこの国が嫌いになっちゃったのかしら。」
…国王陛下。
その名前にグリムは険しく眉を顰める。
俺に聖剣を与え、魔王の討伐を命じ、そして魔物を奴隷に変えた男。
剣を取るときに誓わされた、騎士にとって王族は永遠の主だ。
「...今の俺があるのは、陛下のおかげだ。聖剣はこの国と民を守るためにある」
「へぇ...そう。変わってないわね...安心したわ。王様が首を長くしてお待ちよ。ツキイロちゃん、グリム君を王城まで連れてって。」
後ろで伏せていたウサギのような魔物にコハトネが声をかけると、そいつは立ち上がり二本足でスタスタと歩きながらグリムの元に寄ってきた。
普段はウサギの姿をしているが、敵が近づくと空間を歪めワープして逃げることが出来る魔物だ。どこにでも行けるわけではないが、自身の縄張り内だったら自由に行き来できる。
ツキイロが短い前足を上げて来たので、しゃがんでその真っ白い手を軽く握った。
「...グリム君!王様によろしくね。国の英雄がそんな情けない顔してちゃダメよー!」
コトハネがこちらに向かって手を振ると同時に、目の前の視界が揺らぎ、一瞬地面がなくなるような感覚が襲う。
ぐらりと体が下に落ち、よろけるように跪いた。
...しかし、ゆっくりと目を開ければ、そこはすでに分厚い絨毯が敷かれた豪華なシャンデリアが煌めく王城の中だ。