魔物奴隷(3)
…このリザードマンの主人だろう。
幼い魔物は従わせやすく、成体と比べ力も弱いため安価で手に入る。
多少乱暴に扱っても食べ物を与えなくても死ににくい為、商人や運び屋にも人気があった。
男は地面に落ちた酒樽を目にすると、怒りをあらわに怯えている魔物を睨み付ける。
「…てめぇは樽さえまともに運べねぇのか?すみません、騎士さま。この奴隷がご迷惑を…」
紋章が刻まれた騎士の黒服に向かい顔を上げると、愛想の良い笑みを浮かべる。
しかし…グリムの耳元で光る紅色の宝石と、腰に提げている聖剣を見るや、まるで化け物でも前にしたようにその顔をひきつらせた。
赤茶の短髪にグレーの瞳。
国王陛下に讃えられた名誉騎士であり、その腰に提げた聖剣は間違いなく『勇者』の証。
勇者の噂は商人の仲間内で幾度となく聞いてきた。
無類の戦闘狂で魔物を殺すことを興とし、時には人さえ手に掛ける。
その左耳に見える紅色の宝石は、魔王の首を切り落とし、邪眼を抉って中から取り出した石を加工して飾っている。
実は魔王よりも恐ろしい、人の成りをした悪魔の生まれ変わり…
男の顔から血の気が無くなっていき、慌ててその場に膝を付いた。
…勇者の気に触れば、俺はここで首を切って殺されるかもしれない。
「も、申し訳ありません!勇者様!このような場所にいるとは思わず…!っ─おい、何突っ立ってるトカゲ野郎!てめぇもさっさと『跪け!』」
主人が奴隷に命令を叫んだ途端、魔物の後ろ首に焼き付けられていた魔法印から白い光が浮かび上がり、その印に沿って赤黒い血が流れ出した。
魔物の子は鋭いの痛みに甲高く泣き叫び、倒れるように崩れ落ちると額を地面へと擦り付ける。
魔法印の光が収まっても、血肉を削られる痛みにガタガタと震え続けた。
…これが奴隷に付けられる魔法印の力だ。
主人から命令を受けると、それに従うまで肉を切り血を流し続ける。
歯向かおうとすれば、主人の意思で印に魔物の首を切り落とすこともできた。
「うるせぇ!奴隷の分際でっ…すみません、勇者様。お見苦しい所を!こいつはまだ調教を始めたばかりでして、元々格安で手に入れたんで出来が悪いんですよ。あ、いえ!ちゃんと手続きは踏んでます。ですから─」
…グリムの耳には、こちらに向かいずっと話している男の声など何一つ聞こえてはいなかった。
痛みにすすり泣く子供の苦しげな唸り声に、神経の一つ一つが弾かれ高ぶっていく。
苛立ちか、悲しみか、怒りなのか…感情の置き所が分からず腹の中が熱くなる。
…魔王を殺して、魔物の居場所を奪ってしまった俺に…彼らを哀れむ資格などありはしないのに。
感情で善悪を決めるなど、ただの偽善者でしかない。
「あ、あのっ勇者様…?」
何を言っても反応ひとつしないくせに、勇者から感じる殺気ばかり強くなっていく。
喉を掴まれたような息苦しさに、男は顔色を青く染められていった。
何がそんなに気に食わないんだ?一体何に怒ってんだ?
あの灰色の眼は何を考えているのかさっぱり分からない!
「も、もしかして魔物を斬りたいのですか!こいつで良かったら別に殺しても構いません!これの代わりなどいくらでもいますから!」
「っ…ゴ主人サマ…」
掠れた枯れ葉のような声で主を呼んだ。
大きな丸い瞳に留めていた涙が、痩せこけた頬の上を流れ落ちていく。