人狼 ②
『逃げなさい、ウォルフ。
ここでは私たちの使命は果たせない』
『嫌だよ!母さんも一緒に――』
『母さんはここに残るわ』
『どうして!?』
『覚えておきなさい、ウォルフ。死を迎えるその瞬間までヒトを殺し続ける。それが魔族にとって何よりの喜びなの。あなたはどこか魔族らしさが抜けているけれど、私の子供だもの。いつかわかる日がくるわ』
そう言って、我が子の元を離れていく母親。
子を守るためではない、ヒトを殺すために、自らの命を燃やして。
その数分後、母親からウォルフと呼ばれた幼き子供は、隠れた草むらの影から見た。
なすすべなく、簡単に殺される母親を。
輝かしい満月が、夜を照らしていた日。
ウォルフの見た母親の最後の姿だった。
ーーーーーー
「ここは……」
ウォルフ・ウーブルが目を覚ますと、そこは理事長室だった。
この学院に入学する際、一度だけここを訪れたときのことを思いだす。
苦々しいと表現するのが間違いないような記憶を。
「あ、起きた」
ウォルフの顔を覗き込むように、目覚めを確認する少女。
その少女の名前と正体を、ウォルフは知っていた。
「シェル」
「は?」
名前を呼んだ瞬間、シェルから明確な怒りをはらんだ殺気がこぼれる。
「ッ!……シェルさん」
「そうそう!私のほうが君よりもうーんと先輩なんだから。ちゃんと呼び方は気をつけなきゃね~」
先ほど殺気を放ったのが嘘のように、シェルはニコニコと笑う。
それでもウォルフは警戒を解けない。
一見、あどけない少女のように見えるシェルという女。
この女が笑顔の裏に隠す凶暴性を、身をもって知っているのだから。
かつて教育的指導と称して殺されそうになったことを思い出し、ウォルフはその時感じた恐怖も思い出す。
「おいおい、あんまりビビらしてやるなよ」
「いやいやアーク様、こういう犬は普段からしっかりしつけるのが大事なんですって。例えケガしていても私は容赦しません!」
「そんなもんか」
「そんなもんです」
二人の会話に入ってきたのは、学院指定の服を着たアーク。
その制服はところどころ血が付着しており、左袖は肩のあたりからなくなっていた。
「へえ、ケガもほとんど回復してるな。やっぱ将来有望だ」
ケガをさせた張本人であるアークが、ウォルフを見て感心するようにつぶやく。
ここでようやくウォルフは、そのアークという男が自分を暴走させた原因の相手だと気づく。
「てめえ!さっきはよくも――」
その言葉が最後まで発せられる前に、ウォルフの腹部に衝撃が走る。
それも、うまく呼吸ができなくなるほど強烈な衝撃が。
「カッ!?……あ――」
「ダメだよ~ウォルフくん。ちゃんと空気の読めるいい子にならなきゃ」
衝撃の正体は、シェルがウォルフの腹部に放った蹴りだった。
「理事長室にいて、なおかつ私が敬語使ってるんだから。このお方が魔族で、私よりもえら~いことくらい察してくれないと」
「ゲホッゲホッ、申し訳ありません……」
「あんまり厳しくしてやるなよ」
「犬によく効くのはやっぱり痛みですから」
アークは口ではやめるように言うものの、あまり興味なさそうな態度から、強く追及するつもりのないことがすぐに察せられる。
「とにかく、起きたことだし本題に入るか。ウォルフだっけ?」
「……はい」
「お前がこの学院に来た経緯は大体聞いた。
殺したいやつがいるんだったな?」
ウォルフの目を見つめ、どこか試すような表情でアークは尋ねる。
恐らくアークというこの男には全て知られている、ウォルフはそう観念して己のことを語りだす。
「……います、どうしてもこの手で殺したいやつが」
それは己の母を辱め、痛めつけ、手をかけた男。
母と別れて以来、一度も忘れたことのないその男。
ウォルフの眼に怒りの炎が宿る。
「殺したいのはなんでだ?」
「一言で言うなら、母の仇です」
「なるほど、じゃあその怒りを他の人間に感じたことは?」
「え?」
ウォルフは質問の意味が理解できずに戸惑う。
「本気で殺したい――そう思うような激情を、仇以外の人間に抱いたことがあるか?」
「いえ、ありませんが……」
質問の内容がわかっても、それを尋ねる意味はやはりわからなかった。
だが、ウォルフの答えはアークを満足させるものだった。
「いいね、合格だ」
薄く笑みを浮かべ、アークは言葉を続ける。
「その復讐、俺が手を貸してやる」
思わぬ協力者の出現に、ウォルフの頭の中で何よりも先に浮かんだ感情は『恐怖』。
それほどまでに、アークの笑みは恐ろしいものに見えた。