コレア ②
普段は決して近づくことのない部屋、理事長室の扉の前へ立つ。
私は理事長の顔を見たことがない。
そしてそれは私だけでなく、学院生全員にとっても同じはず。
理事長がその姿を学院生に見せることは一切ない。
教師陣でも、理事長の姿を知るものはいないとまで言われている。
つまりこれから、誰も見たことのない謎の深い人物に会えるのだが、全くと言っていいほど楽しみはない。
嫌な予感が全身を駆け巡る。
もうすでに引き返せないところまで来てしまっている、そんな感覚。
アークさんは一切の躊躇なく、ノックも何もなしに理事長の扉を開く。
扉が開かれ、部屋の中へと入る。
すると、そこには一人の少女がいた。
少女は理事長室の机の上に座っており、待ってましたと言わんばかりの笑顔だった。
この人が理事長?
でもその見た目は明らかに私よりも年下。
戸惑う私をよそに、アークさんはその少女に声をかける。
「なんでお前がいるんだ、シェル。アルはどうした?」
「お母さんは他に用事があるから、私が対応しろってさ」
「そうか」
シェルと呼ばれたその少女はアークさんと知り合いのようで、慣れたようにお互い言葉を交わす。
少女の声は、先ほど聞こえてきた声の人物とは別のものだとわかる。
「それで、あなたがアーク様の戦いを目撃しちゃった哀れな女の子?」
少女は私のほうへと近づき、興味深そうに私を見つめる。
「ッ!?」
小動物のような愛くるしい見た目とは裏腹に、私を見つめる瞳に映るのは深い悪意。
その瞳に、私はとてつもない恐怖を覚える。
アークさんとはまた違った危険さ。
このシェルという少女の瞳には、私に対する明確な悪意が含まれていた。
まずいまずいまずい!この少女は一番厄介な相手――
敵に回す回さない以前に、絶対に関わっちゃいけないタイプの存在だと、持ち前の能力で直感的に理解する。
「あ、あの……詳しいことは何もわかりませんし、私、今日のことは絶対に誰にも言いません。事情を聞くつもりもありません。ですから――」
「日常へと返してほしい?」
ぞくりと、嫌な汗が流れる。
だめだ、少女はすべてを見透かしている、そう確信できた。
「ふふ、わかってるんでしょ。ここで何かを聞いてしまえば、もう元の生活には戻れないことを。けど、今ならまだぎりぎり、引き換えせることもわかってる。かしこいね~」
「ほんとに……何も言いませんから」
「あはは、すっごく――いい顔。でも残念でした~。あれを見ちゃって見逃すわけないじゃ~ん」
目を細め、嬉しそうに告げる少女。
私にとっては死刑宣告のようにすら聞こえた。
「あなたが知りたくないこと、知ってしまえば二度と日常には戻れない事実を、教えてあげる」
やめて、そう叫びたいのに、かすれるような声しか出ない。
「私、実は魔族なんだ~」
「……まぞく?」
「そ、魔族。なんなら証拠に腕を切り落として、魔法無しでくっつけて見せてあげようか?」
腕、魔法を使わず、くっつける……まさか、じゃあ――
「そうだよ、アーク様も魔族なの。どう?驚いたでしょ~」
嘘、アークさんが?
でも今までは普通にすごして、いや、そんな……だとしたら。
ちらりとアークさんの姿を見ると、慌てるでもない、驚くでもない。
こちらの話には興味がなく、暇そうにソファに座るいつも通りのアークさんだった。
「そこで倒れている人狼、私、アーク様。さらにさらに、実は他にも学院には魔族がいるんだよ~。ここまで言えば、かしこいあなたなら気づいてるよね?」
この学院は人類にとっての中心地。
戦場の前線のように、魔族がほいほい侵入できるような場所じゃない。
ましてや生徒として入学するなんて、それこそ学院の手引きがないと不可能。
だとしたら、現実的に考えて可能性は一つ。
「――この学院は、とっくに……魔族の手によって落ちている」
「だいせいか~い!そうだよ~、もちろん理事長も魔族。あなたたちは世のため人のため、人類の繁栄を願って、天敵であるはずの魔族のもとで日々研鑽を積んでいるの。笑っちゃうよね~」
言葉を失う。
思考がまとまらない。
魔族が?なんで?なんのために?メリットは?いつから?
疑問を解決する前に、次から次へと疑問がわいてくる。
「とりあえず、あなたに言うことはこれだけ。もう出ていってもいいよ」
どうやら退出許可が出たらしい。
色々と聞きたいことがないといえば嘘になるが、今は何をおいてもここから逃げてしまいたかった。
「あ、そうそう、これからもぜひ学院生活を楽しんでね。あなたの隣にいるのが、人間なのかどうか。それすらも信じられないスリル満載の学院生活を、ね」
少女のその言葉は、一種の警告のようにも聞こえた。
今日のことは絶対に話すなよと。
親しい友人ですら、魔族なのかもしれないのだから。
理事長室を出た私は、しばらく歩いた階段の傍で座り込んでしまう。
気持ち悪い、吐き気が止まらない。
そんな私に気づいて、廊下を歩いていた友人が声をかけてくる。
「ちょっとコレア!大丈夫!?顔真っ青だよ!?」
「……少し調子が悪くて」
「医務室に行った方がいいんじゃない?ほら、立てる?」
「ありがとう」
私のことを純粋に心配してくれる友人の、伸ばした左手を素直にとろうとする。
その瞬間、アークさんの戦闘が脳内にフラッシュバックするとともに、少女の言葉を思い出す。
『あなたの隣にいるのが、人間なのかどうか』
ついとっさに、友人の伸ばした手をバシッと払いのけてしまう。
「……コレア?」
「あ、ごめん……やっぱり大丈夫だから!」
「え、ちょっと!?」
友人の制止する声を振り切り、私はその場を急いで離れた。
学院生たちの笑い声、風紀委員による指導、時折聞こえてくる怒号。
学院内で見られるいつもの日常、いつもの風景。
「怖い……」
にもかかわらず、数時間前に見たソレと、今見えているソレは全く別物のように感じられた。