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短編

薬師の棲む森

作者: きしの


 この森に棲む少女と知り合ってから、早いものでもう三年が過ぎた。

 ここはいつ来ても鬱蒼としていて、けれどもほのかに明るい。生い茂る木の葉の隙間を縫って降り注ぐ光だけではないだろう。この森そのものが薄く光っている気がする。

 絨毯よりも柔らかな苔、人間の背丈ほどもあるきのこ、ぐにゃりと曲がった不思議な木。ぽむぽむ跳ねる真っ白い毛玉に、青や赤や黄色の極彩色をまとった小鳥もそろそろ見慣れた。


 風変わりなこの森で、彼女はひとりひっそりと暮らしている。商人が通ることもない、神秘に包まれた未開の森。

 一歩進むたびに柔らかな地面に足が沈み込む。雑草も何も生えていない、しかし一切踏み固められていない腐葉土。振り返ると道は私が進むたびに閉ざされていく。私のためだけの獣道。

 くるぶしほどの丈の細いきのこが、道の脇に綺麗に整列しているのを眺める。淡く白く発光して、風もないのにふよふよと左右に揺れる。可愛い。

 ふと目をやった先の細い木にはグミの実にも似た、宝石のような果実が生っている。あれは食べたことがある。口の中でみずみずしく弾けてねっとりと甘い至極の味。

 ここでしか見られない生き物たちを目で追いながら歩みを進めれば、目的地なんてあっという間だ。


 森でひときわ立派な巨木の上に、彼女の家はある。しかし用があるのはこちらではない。すぐ近くを流れる川のすぐそばの水車小屋。あの子の作業場だ。

 蔦に覆われ屋根に苔やきのこの生えたその小屋は、しかし今にも朽ち果てそうな外見に反して中は清潔で快適である。軽くノックして戸を開けた。

 彼女は作業台に様々な葉っぱを広げて、選り分けていた。かなり集中していてこちらには気が付きそうにもない。


「久しぶり」

「……うん」


 私の声に顔を上げると、クレメンシェトラは目の間をもみほぐす。表情の変化が乏しいせいで、相も変わらず何を考えているのかよくわからない。少なくとも歓迎されていないわけではないことは確かだ。彼女はいつもこうなのだから。


「そういうのは採取の段階で分けるべきね」

「そうかもしれない」


 クレメンシェトラはおもむろに立ち上がって、備え付けの戸棚のほうに行った。柔らかい光を反射してきらめくガラスの入れ物は、いつ見ても綺麗だ。奥の部屋から響くからからという音を聞きながら、少し不安定なスツールに座って待った。

 机の上に残された葉を摘んでみれば、何やら甘い不思議な香りがする。ハーブのたぐいなのだろうか。乾燥させてポプリに、もしくは菓子の香り付けとして売り出せば、きっとすぐに在庫がなくなるだろう。蒸留なり圧搾なり、適した抽出法を調べて香水を作るのもありだ。


 再びこちらに戻ってきたクレメンシェトラは香草を袋に詰めて片付けた。机に皿と器が並び、クレメンシェトラが私の正面、元居たところに腰掛ける。それを見計らって私はどんぐりのような見た目の、さくさくした木の実を一つ口に運んだ。


 彼女が私に振る舞うものは、決まっている。砂糖とはちみつで漬け込んだ不思議な果物に、特別大粒の珍しい木の実。紫にピンクにオレンジ。あの小鳥のような原色の果物は、その毒々しい見た目に反してとても美味しい。果物を漬けたシロップは希釈してジュースに。

 明らかに保存食だ。私にだなんて勿体無いと断るけれど、いつも必ず出してくれる。材料を貰ったことがあるけれど同じ味にはならなかったので、ここに来た時のささやかな楽しみだ。忘れないうちに私からの品も出す。


「果物?」

「そ。皮とその中の白いところは苦いからね」

「ありがとう。楽しみ」


 今日持ってきたのは数種類のマーマレードと未加工のレモン。鬱蒼としたこの森には柑橘類はならないだろう。乾燥地帯からもたらされる果物は、きっとクレメンシェトラを楽しませるに違いない。俗世から離れて暮らす私のお金の使い道など、その程度だった。


「そんなことより今日も道作っといてくれてありがと。助かったわ」

「迎えに行くのは面倒だもの」


 もはや慣れたものだ。

 初めて来たとき、私はこの不思議な森に意図的に来たのではなく、純粋に運悪く迷い込んだ。ここには決められた手順でしか入れないという。隠された森の管理人。本来ならば彼女が客人を向かえることはない。


 お互いに同じ趣味を持つため意気投合した私たちは、半年に一度、薬草やちょっとした収穫物を交換する仲になった。私が住むのは街に近い森の中で、それでも人々は私のことを閉ざされた森に住む女だと言う。

 人が踏み入るような場所では、いい薬草は採れないのだから当然だ。この森こそ閉ざされた森だと思うのだけれど。知らない場所に付ける名前なんて、ない。


「ここは相変わらず平和よね」

「そう?」

「最近あんまり穏やかじゃないわよ、どこ行っても」


 薬師である私に殺到するポーションの依頼。その数がここのところ尋常ではない。家庭用の低価格少量でそれなりな品質のものではなく、ハンターを始めとする戦闘職用の、高価格高品質のものだ。

 しかし自称優秀な薬師である私のポーションが、他のものより一線を画した効能を持つこともまた事実。効果の割に実は割安なのではということなら、単なる杞憂で終わるのならそれでいい。


 ポーションを卸しに街へ出ると、最近よく武装した人を見かける。荷車の検閲は大人しく受けてやるが、タダで渡すわけにはいかない。ポーションが欲しいなら対価交換。私の興味をそそるものか、あるいは金を寄越せというものだ。

 今日だって屈強な男たちが広場に集められているのを見た。大して珍しくもない容姿の私なので、町娘を装って自然に様子を伺うと、親切なおばさんが教えてくれた。領主からの命令なのだそうだ。

 領主の上には国がある。領主の独断なのか否か分からない以上は、何とも判断のつけようがない。


「戦争でも起こるのかしらね。もしくは魔物討伐? そんなに湧いてたっけ」


 魔物に限らず、時たま鹿だの狼だの野獣が異常発生したときにも、ポーションは良く売れる。鹿と言ってもとりわけ獰猛なやつだ。一突きでもされれば、運の悪いときには死に至る。繁殖期から子育ての時期にかけての討伐は輪に掛けて狂暴になる。


「このあたりでは魔物はそうそう急増しない」

「そうなの?」

「この森に、魔物を浄化する作用があるから」


 初耳だ。それっぽい生き物に会った記憶はない。まさかあのけったいな生き物たちが、浄化された魔物たちだとでも言うのか。


「じゃあやっぱり戦争なのかなー……。戦火がこっちまで来なけりゃいいけど」


 森が焼けてしまうわ。

 私のその呟きに、クレメンシェトラは首を傾げた。


「貴女の森は護られていないの」

「だって普通の森よ。運よく開拓されなかっただけ」


 護るというよく分からない発言はそのままに答える。ふぅんと返事をする彼女は、多分よくわかっていない。

 物心ついた時から独りでこの森にいたという。分かっていたのは生きる術と自分の名前。生い立ちも謎に満ちているけれど、私と一緒に街へ行くまで森から出たことがないというのも謎だ。


 二度目に会ったとき、色々あってそのことを知った。二人で出かけて以降、街に買い物には行っているらしい。部屋の隅にえん麦の袋が積んであるのを知っている。

 えん麦はオートミールで知られる通りである。栄養価は高い。けれども何を入れようと質素な粥にしかならないのだ、あれは。

 砂糖や蜂蜜、植物油とからめて焼けばグラノーラ。パン、クッキー、マフィンに混ぜ込めばふっくらするけれど、それ単体でパンを作ることはできない。基本的に麦というのは湿気に弱いものなので、致し方ない気もする。


「今は一応街を挟んで隣の森に住んでるからこうして会いに来てるけど、あそこが焼けたらどうしようかしらね。いっそ街に住もうかしら」


 と言っても私は隣国との国境になっている森に住んでいるから、笑えない話だ。

 国境というのはわりと曖昧なもので、このあたりが被害を受けるとしたら、食料を奪われたりする程度かな。森で暮らす私たちには関係ないし、別にクレメンシェトラの森側の街ではなく、隣国側に移るのも手ではある。私が普段から利用しているのはそちらの街なのだから。

 それに一つの街に商品を卸す優秀な薬師は、一人でいい。


「でもその場合ってよくよく考えると、効能落としとかないと強制連行されるかもしれない、ってことよね」

「薬師不足なの?」

「ポーション買うより薬師囲った方が安くつくでしょ」


 好きなように生きていきたいのに、全くもって迷惑な話である。国が私たちに何かをしてくれた記憶なんてない。だから貢献する義務も責務もあったものではないのだ。


「珍しい見た目してるんだから、もっと危機感持った方がいいんじゃない?」

「ここから出なくても生きてはいける……から。大丈夫」


 果たして本当に大丈夫なものか。森に引きこもるのがこの娘の本分だったか、賛成ではあるけれど反対もしたくなる。消極的なところはいただけない。


「ま、憶測だけどね」


 喉を潤して一息つく。爽やかな香りが喉を駆け抜けて、ふと疑問に思った。


「ハーブティー?」


「街で試飲会開いたら好評だったの」

「あまり目立つことするんじゃないわよ……」


 しかしながら人々に触れることでクレメンシェトラの世界が広がることは、私にとっては喜ばしいことだった。私はいつの間にか彼女を妹のように想っているらしかった。


 毎回滞在時間は長くない。というのも、私は日の暮れる前には街へ戻らなくてはいけないのだ。街で宿泊してからやって来ても、この森は私にとって少し遠い。それでも来る価値は十分にある。

 クレメンシェトラはお土産と称してちょっとしたおやつを始め、珍しい薬草に、この森の生き物の臓物などを持たせてくれた。臓物だって立派な薬の原料だ。一般に遠ざけられ、禁忌とされるような薬を作るにはもってこいである。


 空色の、とってもグロテスクで未知の臓腑に今すぐ頬ずりしたくなるのを堪える。採れたて新鮮でもないのに鮮やかさを失っていないオイル漬け。やっぱりこの森のものは特別だ。どう加工するのがいいだろうか。

 もちろんおやつだって楽しみである。私はそこまで料理上手ではない。美味しいものが食べたければ、街へ簡単に行くことができるからだ。それに私は大雑把な舌の持ち主でもある。それでもクレメンシェトラが作るものは格別だ。


「ありがと。また今度ね」


 私の挨拶に合わせて彼女が右手を掲げると、苔やキノコや木の枝が左右に分かれて、私の前に道ができた。


「……今日は途中まで一緒に行く」

「あら」


 珍しいこともあるものだ。二人分の幅に広がった道を並んで歩く。


 金や銀の鱗粉を振りまきながら舞う蝶々は、羽一枚で手のひらほどの大きさがある。角の生えた五つ目うさぎ、ガラス細工のような六枚羽で優雅に飛ぶ巨大トンボ。

 なるほど、確かにこの森の生き物たちは、魔物だと言われた方がしっくりくる。私の森に棲んでいるようなものは一匹たりともいない。


 隣を歩く少女の、絹のような白銀の髪が虹色の光に染まる。しかしいつ見てもさらさらだ。水が違うのだろうか。髪質だとしたら到底どうにもできない。羨ましいことだ。

 私の栗色の髪は手入れが面倒で、肩のところで切ってしまっている。たまに外にはねるが、結べる長さなので問題ない。クレメンシェトラの髪はいつ見ても背中をすっかり覆っている。邪魔ではないのだろうか。次は髪紐を持って来よう。


「浄化された魔物はどうなるの? ずっとここにいたら溢れてしまうでしょ」


 ずっと抱えていた疑問を、このタイミングで発してみた。


「勝手に出て行く」

「そんなまさか。こんなの見たことないけど」


 私たちの前を器用なことに八本足で歩く、ふっさふさの猫を指さした。クレメンシェトラのペットなのか、よく一緒にいるところを見かける。私にはなついてくれなくて、一度も撫でることはできていない。可愛くないやつめ、クレメンシェトラのことさえなければマフにしてやるのに。

 こいつは足だけでは飽き足りないのか、しっぽまで二倍だ。幸いに眼は二つだけれど、おでこに翠の石が埋まっている。ここまでくると猫と呼んでいいのかも定かではない。顔だけ見れば猫なんだけどな。


「浄化が進むと、街にいるようなのと変わらない見た目になるの」


 充分衝撃の事実だ。ここではいかにも魔物を連想させる生き物も、対して普通にどこにでもいるような生き物も目にしたことがない。偶然にか中間しか見たことないってこと。それはあまりにも偶然が過ぎる。


 そこからは無言だった。不思議な森を出て普通の森へ。植生も空気感もがらりと変わる。いつものように、さっきまでいたところが虚構であったかのように錯覚した。手元の袋と、隣に立つクレメンシェトラが非現実的だった。

 少したじろいで、表情を作り直す。


「じゃあね」


 軽く手を振って帰路に就こうとしたとき、


「イーフィネイア」


 唐突に呼ばれて、半身だけ振り返る。


「森が燃えてしまったら、ここに来てもいいのよ」


 何の感情も読み取れない、澄んだ朝焼けの空を湛えた瞳。どう頑張ってもその思考は計り知れないけれど――これは私と会うのを少しでも楽しみにしていてくれるものと、受け取っていいのかしらね。


「検討しておくわ」


 ひらひらと手を振って、今度こそ帰る。

 しばらくして何となく振り返ると、魔物と対面しているクレメンシェトラが目に入った。彼女は私が見ていることに気が付くと、薄く微笑んで彼女の背の二倍ほどの大きさもある魔物を連れて、森の奥へと戻って行く。

 魔物は人間と意思の疎通が不可能であると言われてきたけれど、あれは人に恐れられるその片鱗も見えない。その姿はまるで従順なしもべ。


 クレメンシェトラ、もしかするとあなたも、あの森に浄化された魔物なのかもしれない。

二人の名前の元ネタは、ギリシャ神話のクリュタイムネストラ(Clytaemnestra)とイーピゲネイア(Iphigenia)です。小洒落たいい感じの名前になりました(当社比)


'20/04/22 行間を少しあけました

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連載版:「薬師の行方」
― 新着の感想 ―
[良い点] 幻想的で、美しい緑の情景が目に浮かぶようでした。 二人の会話シーンだけなのに、ここまで惹き込まれたのに驚きです。 素敵な物語をありがとうございました。
[良い点] 冒頭から始まる、森の描写が秀逸です。情景が苦もなく浮かび、それでいて不思議な植物たちも連想させられる……もうこの時点で惹きこまれてしまいました。 [一言] はじめまして。 K・tさんのレ…
2020/04/29 09:53 退会済み
管理
[良い点] 世界観が緻密に描写されていて綺麗で、二人の優しいやりとりも良かったです。 こういう雰囲気のお話が好きなので、何度も読み返したくなりました。 [気になる点] もう少し行間をあけて頂けると嬉し…
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