最終章 2話 木乃 冬華
「お兄ちゃん、 クソ無駄にかっこいい顔が台無しだよ」
ベッドで目を覚ますと、 俺の上に亜奈が跨っていた。
あ、 やっぱ俺ってかっこいいよな──ナルシストか。
亜奈は俺の着替えなどもすべて準備してくれていた。
「何が有ったかはさ、 私でも見れば分かるし……辛いのも分かるけど、 そんなんになってたら教師なんて諦めろって言われるよ」
俺は昨日、 4年ぶりに赤薙先輩と再会したけど……別れたあの日、 先輩の乗る電車は事故に遭い、 先輩だけが生き残ったが記憶が無いと言う。
勿論、 俺の事なんて少しも覚えていないし4年前と違って無表情でもない……変わってしまったんだ、 先輩は……いや表情は別にいいけど。
「早くしろって言ってんだろおおおお!! 」
「ぐぇぇ! ヤメロ死ぬ!! 」
俺が考え事をしてるとあまりにノロかったのか亜奈が首を絞めてきた。
下手したら落ちるから!
亜奈は手を放すと、 何事も無かったかの様に着替え始めた。
いや目の前で着替えんな。
「気にしないでお兄ちゃんも着替えていいよ」
「良くねーよ」
俺は廊下で着替える事にした。
「ああお兄ちゃん今はダメ!! 」
え? 何? 何で廊下はダメ? ならお前が廊下で着替えろよ。
その瞬間に背後から物凄い視線を感じた為、 俺は高速で振り向くと同時にズボンがずり落ちる。
「あ、 おはよう先生。 気にしないで着替えてね。 あと水ありがとう」
俺は思わず手に持っていたスーツを落とした。
あれ? 屋上の無表情っ娘じゃねーか、 何でここに居るよ。
あと水は俺のせいだから気にすんな。
「何でここに居んだよ!! 」
亜奈は着替えの途中でドアを開け、 コイツがいる理由を説明した。
「何か、 お兄ちゃんを気に入ったらしくて話したかったんだって」
あそう。
気に入られた感じは全くしなかったけどそうなんだ~てか何でこんな朝早くに? 昼にすりゃいいのによ。
「篠宮先生、 昨日振られたでしょ」
!!
何でそんな事知ってんだ……まさか見られてた!? 何で残ってんだよ。
「振られた訳じゃ……」
俺が喋った瞬間、 彼女は間髪入れずに言葉を発した。
「記憶をなくし、 先生の事は覚えていない。 もう決まりでしょ」
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いちいち腹立つなぁ……そんな事を言いに来たのか? 悪趣味な奴だな。
帰れ帰れ、 もうんな話すんな。
彼女は着替えを終えた俺に近づいて来て、 下から覗き込む様に見てくる。
……小さいからそう見るしかないのか。
「そんで、 心に深い傷を負っている先生を癒してあげようと出向いた訳だよ」
何でコイツはこんな無表情でそんなセリフを言えるんだか……怖いんだって、 先輩と最初に出会った頃思い出したわ。
「余計な御世話だよ。 俺は……」
「まあ冗談だけど」
何なんだよお前はよ。
そんなに人で遊ぶのが好きなのか? 俺は遊ばれんの好きじゃねーんだよ。
彼女は本当の理由を話し始めた。
「ぶっちゃけ言うと不憫に思えてね、 助けてやろうって訳」
いやマジで余計な御世話だからな、 どうやって助けるんだよ記憶喪失してんだぞ相手。
無理難題を軽々と口にするもんじゃないぜ。
「無理じゃないよ。 要するに赤薙先生の記憶を呼び覚ませばいい訳だから」
先輩の記憶を呼び覚ます? んな事出来ると思ってんのかよ。
そもそも、 思い出した時先輩はどうなっちゃうんだよ、 辛い事思い出すんだぞ。
「先輩の事を考えれば……そんな気にはならない」
俺がそう言って1階に降りていくと、 彼女は唸った後ついて来た。
そして腕組みをしながら俺を指差した。
「じゃあ大人しく諦めちゃうんだ」
その瞬間、 俺の身体は止まった。
諦めたくはないよ……絶対会いに行くって、 決めてたんだから。
こんな終わり方は絶対に嫌なんだ。
「僕に任せてくれたら先輩の記憶を取り戻してあげるけど」
彼女の言葉は真実とは思えなかったが、 それでも心の奥で彼女に縋りたがっていた。
例えどんなに小さな希望だとしても、 今はそんな藁にでも縋りたい気持ちだったのだ。
この先先輩がどんな男と付き合ったりしちゃうのか考えると、 本当に辛いんだ。
彼女はいつもの無表情から変わり、 妖しく笑う。
「決まりだね、 じゃあ暫くは自分からも先生にアピールしなよ。 そうしないと始まらないからね、 じゃ」
そう言うと家から出て行く彼女……あ、 水置きっ放しだ、 届けてやるか。
しかしアイツ……何で俺殆ど喋ってないのに分かったんだ……?
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「なあ亜奈? アイツって何者なんだ? 」
俺が自分の部屋を開けると、 亜奈はパンツ丸出しで立っていた。
着替えるの俺よりおせーじゃねーか。
俺は静かに閉めた。
「兄妹なんだから隠さなくても大丈夫だよ」
亜奈はそのままスカートを担いで歩いて来た。
恥じらいと言うものを覚えた方が良いと思います。
「あの娘は『木乃 冬華』ちゃんだよ。 高校1年生で、 『笑わない天才』って言われてるの。 凄い娘だよ」
『笑わない天才』……アイツ天才なのか……水しか飲めないのに?
確かに笑ってる感じはしねーな。
それに何か……謎めいた感じだ。
「とりあえず行こう、 遅刻する」
「ん、 ああ」
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1時限目が終わると、 クラスを覗く人影が……木乃だった。
呼び出された俺は木乃が忘れて行った水を渡した。
「あ、 ありがと。 それより、 赤薙先生とは話したの? 」
「いやまあ……朝は挨拶したけど」
今も朝だと言われたが、 気にしないで聞けよ。
「それより、 今日放課後赤薙先生と一緒に帰ってよ。 先生こっちに家戻ったらしくて結構近いから」
「は!!? 」
放っとけって言われたのに今更『一緒に帰ろう』なんて言えると思うか!? 俺の事も考えてくれよ!
俺が断ると、 木乃は溜息を吐きながら壁に座りながら寄り掛かる俺に乗ってきた。
「腰抜け。 よく諦めたくないとか思えたね。 そんなんじゃ他の人に赤薙先生取られちゃうよ? 」
木乃の言葉が胸に深く刺さる。
諦めたくないけど……次こそ本当に振られるんじゃないかって、 不安なんだよ……。
落ち込んでいると、 木乃は俺の数㎜前まで顔を近づけて来た。
「先生……こんなもんでドキドキしちゃダメだよ」
「してねーよ」
木乃はまた妖しく微笑んだが、 俺はそれを否定した。
けど内心少し動いたら当たるんじゃないかと別の意味でドキドキしてた。
「先生それとも……僕と恋愛してみる? 」
何言ってんだコイツ……俺は先輩一筋だって。
……って言ってもどうせ冗談だろうから普通に流した。
「先生、 隠しても触れれば分かるよ」
木乃は俺の身体にくっついて来た……悪ノリするなぁコイツ。
「あ 」
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屋上の扉が開くと、 亜奈が仁王立ちをしていた。
「お兄ちゃん……冬華ちゃん……何してんの? 」
いや、 何か睨んできてるけど明らかに何か誤解してるだろ? ちげーぞ亜奈、 これはコイツが悪ノリして……。
木乃はこっそり笑うと俺の胸に顔を擦り付けてきた。
そして俺の頬に口付けをした。
「お前……! 何考えてんだ! 」
「じゃ、 先生頑張ってね~」
木乃はそう言い階段を駆け下りていく。
今度はちゃんと水も持って。
俺は殺気を感じた方を向くと、 亜奈が鬼の形相で俺を睨みつけていた。
何か理不尽な事が起こる気が……。
「お兄ちゃんのバカーーー! 」
「何でだよ!!? 」
亜奈は怒鳴ると走り去って行く。
本当に何だったんだアイツら……。
チャイムが鳴ると俺は急いで教室に向かった。
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放課後、 俺は1人職員室で遅刻した事の反省文を書いていた──教師が反省文とか……。
職員室の扉が開いて赤薙先輩が入って来た。
「あ、 お疲れ様です」
俺がそう言うと、 先輩は頷きこっちを見つめている。
俺は気になって集中出来ないので、 一応先輩に聞いてみる事にした。
「えっと……どうしました? 」
先輩は一瞬ビックリした様に跳ねると、 自分の椅子に座った。
「木乃冬華ちゃんが貴方と一緒に帰れと言うので……。 まだ、 諦めてはくれないんですね」
アイツ……俺が言い出せないと思ってわざわざ自分で言ったのか? 嫌われたらどうすんだよもう……。
俺は、 反省文を書き終えて深川の机に置いておいた。
「俺は、 先輩には振られたも同然です。 でも、 やっぱあの頃の楽しかった日々を取り戻したくて……。 迷惑なのは分かってるんですが……」
先輩は微笑み、 首を横に振った。
そして俺の隣に座って来た。
「そんなに楽しかったのなら、 私も元の記憶を取り戻したいです。 でも、 その時私はどうなってしまうのか……それが不安なだけなんです」
先輩……先輩は記憶が戻ったら今の自分は消えて無くなる……そう思ってるんですね、 確かに恐ろしい事です。
それに、 俺との記憶が戻ると共に辛い記憶も蘇ってしまう……それが怖いのは俺にもちゃんと分かってます。
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「確かに恐いですよね……だから、 無理して思い出そうとしてもらわず結構です。 俺はこれから、 今の先輩に好きになってもらえるように努力するので」
俺がそう言うと、 先輩は少し照れた表情で頷き、 笑顔になった。
「じゃあ……帰りましょうか」
「そうですね」
俺は先輩に苦しんで欲しくない……だからこういう道を選んだ。
例えもう二度とあのクールだが時々笑顔になり、 たまに笑いが止まらない独特な喋り方をする先輩に会えないとしても……俺はもう一度先輩に会えただけでも充分嬉しい。
そう自分に言い聞かせ、 その日は家に帰った。
家に入ると、 亜奈がじとっと俺を睨みつけている。
まだ勘違いしているらしく、 一度こうなるとめんどくさい奴なのだ。
「あのな亜奈、 木乃にはからかわれただけで、 2人で居たのは先輩の事についてなんだよ」
「からかわれたまま、 やられっぱなしなのもどうかと思いますけどね」
何かいつも以上に機嫌が悪い様だ。
そんなに誤解を解くのが難しい奴じゃなかったはずなんだけどな……アホだし。
「お前、 何か怒ってる? 」
俺が恐る恐る聞くと、 先程までよりも鋭い目つきで睨んで来た。
「別に。 教師と生徒でイケナイ事してるアホ兄貴になんて興味もございませんから」
いや思いっきりキレてるしありえねー程誤解解けねーし何なんだお前は、 人の話を聞け。
亜奈は風呂に入ると言ってリビングを出て行った。
「……」
俺はふと自分のスマホの連絡アプリを開く。
そして先輩のアカウントを見つめる……まだ繋がるのだろうか……。
俺は試しに電話を掛けてみた。
ーー プルルルルルルルルルラドフェ ーー。
変な音も混じったコールが4回程続いたら、 俺は諦め通話を終了しようとした。
──が、 俺が消そうとした時、 繋がった──。
『……もしもし、 どちら様ですか? 』
先輩だ……まだ消してなかったんだ、 本当に良かった。
「すみません先輩。 俺です、篠宮です」
『あ、 やっぱりこの「鈴都」って篠宮さんの事だったんですね』
え、 やっぱりって事は気づいてたのに消さないでいたのか? 記憶に無いものなのに。
……いや、 誰のか分からないからこそ消さないのか。
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『最初見た時、 誰のか分からなくてどうしようか迷ってたんですけど、 直感で消さなかったんです。 もしかしたら記憶のどこかに篠宮さんの事が残ってるのかも知れませんね』
俺はその言葉を聞いて、 泣きそうな程嬉しかった。
まだ可能性はあるかも知れない、 先輩の脳から俺は完全には消去されてないんだ……と。
俺はすかさず先輩に聞いた。
「今週の土曜日、 2人でどこか行きませんか? どこかって言うか、 高校時代にも行った場所巡りですが」
勿論ダメだと思ったが、 俺の予想は良い方向に外れた。
『いいですよ。 私も高校時代どこに行ってたのか気になるので』
先輩からOKを貰った俺は、 すぐに何時にどこで待ち合わせかを決めた。
あの時と同じ、 あの公園に──。
「お兄ちゃん、 お風呂空いたよ。 入って来な」
「あ、 先輩ではまた明日」
俺はそう言って通話を終了させ、 風呂上がりの亜奈の真横を通り、 風呂へと向かった。
「赤薙さんと……電話してたんだね。 ……ん? 」
俺のスマホが鳴ったので亜奈はそれを見ると、 俺が登録していない筈の奴からメールが来ていた。
『先生、 赤薙先生とは帰れたみたいだね。 じゃ、 これからも頑張って行こう~』
木乃からのメールだった。
「冬華ちゃんともメール交換してたんだ……」
亜奈は誤解しながらスマホを手に取り、 何やら操作をし出した。
そしてそのまま元の位置に置き、 2階に上がって行く。
その時の亜奈のスマホ画面には、 1つの文が映っていた。
ーー 『鈴都』に友達登録されました ーー。
赤薙先輩、 木乃、 そして亜奈。
俺を取り巻く環境は少しずつ変化して行っていた。
人の気も知らずにそこそこ早く──。