第16回 彼女が正体を知るとき
まさか彼女の誕生日を勘違いするなんて考えてもみなかった。
隼人は自己嫌悪に陥りながら、イベント会場へと戻った。すでに観客が集まってきているようだ。
覗いてみると、その数はすごかった。
「すっごい!千人はいるぜー!」
マネージャーの池田がはしゃぐ。同時に直人が緊張して固まってしまった。
隼人も一瞬ぐらっとなるのを感じた。今日は平日だ。いや・・・冬休みだからか。
さすがのリーダーも緊張してきたのか、深呼吸をしている。
・・・・・もうすぐ出番だ。
「よしっ・・行くか!」
リーダーの声でアルトが動き出した。
◇
わぁぁ・・・・・
歓声が沸き起こり、会場は一気にハイテンションになる。
隼人はその中で、ステージ中央に置いてあるマイクスタンドの前に立った。
同時にリーダーのドラムの音が続く。まずはアルバム収録曲から始まり、ハイな曲に会場が盛り上がっていく。
隼人は夢中で歌った。ライブパフォーマンスには慣れていないはずなのに、今はそれを知っている気がした。
デビュー曲『花びら』を歌った後、会場がなんとなくしんみりしたところで、隼人はマイクを握りなおした。
「最後の曲になりました。ところでみなさん、今日が何の日か知ってますかー!?」
集まった観客の何人かが正解を言ってくれているが、隼人は聞こえないフリをする。
「リーダーどうしよ!わかる人いない!」
いきなり話を振られたリーダーは苦笑しながら答える。
「みんな買い物帰りにちょっと立ち寄っただけなんじゃないのか?」
「えぇぇぇ・・・・・」
がっくりとうなだれると、観客から笑い声と、大きな声で、
「『翼』の発売日!」
そう聞こえてきた。それを境に口々にそんな声が聞こえてくる。
アルト4人が集まってなぜかハイタッチをする。別に打ち合わせをしていたわけではない。何かに成功したときや、安心したときに行うジンクスみたいなものだ。
「よかったー!みんな買い物帰りだったらどうしようかと思いましたよー!」
隼人がマイクを強く握る。
「それじゃあ訊いてください。今日発売のシングル『翼』――」
会場が盛り上がる。いつのまにかアルトと観客はさらに近くになっていた。
◇
それは突然起こった。
最初のサビを歌い終えようとしているときだ。調子に乗ってステージのギリギリまで来ていたことは認める。
だけど、まさかその数秒後にそんなことが起こるなんて考えていなかった。
「――隼人!」
最後に誰かの声が聞こえた気がした。
◇
その日、佐山菜穂は家で夕食のカレーライスを作っていた。
「うん、おいしい」
隣でつまみ食いをした母がにっこりと笑って言う。
「これならいつでも嫁に行けるわね」
その冗談に、菜穂は答えられなかった。ただ聞こえないフリをして黙々とカレーをかき混ぜる。
誕生日を忘れられたことで怒るなんて自分も小さい人間だと思う。
だけど、ショックだった。お互いに誕生日は知っていたはずなのに。
そもそも最近は一緒に会うことも少なくなってしまった。
何かバイトをやっていると言っていたが、一緒に帰ることもできないくらい忙しいバイトなのだろうか。
隼人はそのことについて何も話してくれなかった。
「西村君とはいつ出会ったの?」
母がにやにやとしながら訊ねてきた。菜穂は苦い顔をする。
「もー今忙しいんだからー・・・」
「ちぇーっ」
あきらめた母はリビングに向かう。テレビの音が聞こえてきたのでたぶん点けたのだろう。
隼人と出会ったのは、入学式のときだ。向こうは覚えていないようだったが、菜穂はちゃんと覚えている。間違えて自分の席に座っていた男子生徒の顔を。
最初の印象は覚えていない。別に一目惚れではなかったのは覚えている。
ただ、間違えたとわかった後のその表情が面白かった。
頼りなくうろたえるその姿は、なんだか情けなくてどうしようもなかった。
たったそれだけだった。
クラスも同じになったことはなかったので、話す機会は1度もない。2年生になって友紀が隼人と同じクラスになって、正直すごくうらやましかった。
いつのまにかずいぶん彼を意識していたらしい。
まさかライブハウスで女子トイレにいるなんて思わなかったが、そのときもやっぱりすごくうろたえて逃げていった。
菜穂は知っていた。あんな情けなくてどうしようもない人が変態ではないということを。
「菜穂・・・ちょっと!」
リビングから声が聞こえ、火を止めて母の元へと向かう。
「なーに?」
「これ・・・西村君じゃないの!?」
一体母が何を言っているのかわからなかった。ただ、夕方のニュースを見ていることはなんとなくわかった。
それは今日起こったニュースのようだった。
『――人気グループ『アルト』のボーカルの隼人さんが、今日行われたイベントの最中、観客席から足を引っ張られて落下。意識不明の重体です』
・・・・・・・・・・何これ・・・・・?
『熱狂的なファンによる犯行――』
もうニュースキャスターの声は入ってこなかった。
ただ、自分の知っている人が歌っている映像をぼんやりと見ていた。
―――隼人?