(14)赤毛の女
地震だ。先刻よりも激しい揺れに、不安定な足場は立っていることすらままならない。陥落穴のそこかしこから響く声が一斉に騒がしさを増し、クラエスの腕にしがみついた私の耳に木霊した。
――幻聴だろうか? それにしては、ひどく胸がざわつく……。
「陳鎮雨はお前に《リエービチ》を移植したんだ。
小型のモーターと複数のセンサーで稼働するバイオニクス義足とは異なり、ルスラン・カドィロフの作った一対の足――白鳥と黒鳥は魔術的な機構を持つ『生体』だ。内蔵するナノマシンには槍と同じ微生物が搭載されている。かれらは生体に移植されると、ある条件下では失われた部位を補う。神経系を再構築するんだ。金属の足を、本物と遜色ない足に変えていく……」
地震に動じることなく、エレノアはその場に佇んでいる。小刻みな揺れが地面の砂を舞い上げ、黒い粒子は煙幕のように私たちの視界を遮った。
「――『ドヴッジャイラ』は生物兵器だ。宇宙より来たる悪魔の使者。ルスラン・カドィロフは兵器を考案した際、微生物の頂点を制御することで悪魔をコントロールしようとした。その結果が、一対の義足だった。
微生物の上位種にして、その司令塔となる《女王》は、唯一生体に寄生をする。本来は繁殖のためだが、ルスラン・カドィロフはその核だけを取りだし、黒鳥へと入れ込んだ。微生物は義足の持ち主を《女王》と誤認し、《女王》の発する電気信号を意思と認識して失われた神経系を構築する。それが義足の仕組み。
――ゆえに黒鳥が稼働しなければ、白鳥も機能はしない。かれらは集団意識を統制する『女王』、その宿主以外には従わないからだ。……本来であれば。
――もう一度聞く。黒鳥はどこだ?」
視界が黒ずむ――その瞬間、剣戟の音が火花とともに打ち鳴らされた。
急激に間合いを詰めたエレノアが、私たちの正面に迫っていた。私の腕を振り払ったクラエスが、小剣でエレノアの半月刀を受け止めている。
数秒に渡る押し合いの末、クラエスの手から小剣が弾き飛ばされた。
「そこを退け、クラエス。――その娘を渡すんだ」
クラエスは拳銃を掴んだが、この揺れでは照準を定めることもままならないようだった。彼は無言で頭を振り、私を庇うように前に踏み出す。
「ならばここでお前を始末するしかあるまい。私が直々に手を下してやるんだ、感謝するといい」
大振りの半月刀の柄を握り直しながら、エレノアは淡々と答えた。そんな彼女に対し、ふと、クラエスが首を傾げる。
「――そういう貴方のお仲間はどこへ?」
言われて見れば、相応の地位にあるはずの彼女が単身この場にいるのも奇妙な話だ――彼女は唇をゆがめ、吐き捨てるように言った。
「……バラドの仕業さ。あの男が裏切った。地下水路の脱出経路を水で塞がれたところを、毒ガス騒ぎだ。即死レベルでは無いにしても、皇帝直属軍の大半は無効化されたよ」
「残念ながら私は耐性があるからな」と、エレノアは続ける。
「政治的な道具として――女王の子として生まれた。昔から毒を盛られているのは慣れている」
「たとえ青酸ガスであっても――皇帝直属軍の標準装備であれば、強行は無理な話でもない。ここに貴方ひとりでいるのは、貴方の個人的な思惑があるように思えてならない」
「……ただの気まぐれさ」
エレノアは形のよい眉を跳ね上げ、再度、剣を振りかぶろうとする。その瞬間、大きく湾曲した刃をかいくぐり、クラエスが深く踏み込んだ。
銃のグリップで、エレノアの右肩を強かに殴る。
「―――っ!」
――昨日、クラエスが撃った肩だ。軍衣から覗く襯衣がじわりと赤く染まり、彼女の体勢が揺らいだ。その隙を見逃さず、クラエスが私の腕を掴んだ。
断続的な地震が続くなか、クラエスは荷物か何かのよに私の体を抱えた。
「待て!」
「待ちません」
そして脱兎のごとく駆けだしたのだった。
クラエスが向かう先は、穴の果て。黒く侵食された地面のむこうに、東ブロックの道が見えていた。
飛び込み、息をつく暇もなくクラエスが走る。東ブロックの構造は、一見すれば西側と大差ないように思われたが――その無機質な床や壁、低い天井の至るところにまで、植物の根が張るように、漆黒の糸が無数に張り巡らされていた。
そしてその糸は、現在進行形で伸びていた。遺構のより深い場所を目指して。
クラエスの腕のなかで揺られながら、私はその異様な光景を眺めていたが――ふと前方に視線を向け、目を瞠った。
「クラエス、道が!」
角を曲がった先に続くはずの廊下が、途中で消失していたのだ。
先程の『穴』と同様に、ぽっかりと陥落している。クラエスは舌打ちをして、足を止め――私をその場に下ろすと、ぴったりと壁に背中を寄せた。
拳銃を構え、角のむこうを窺う。
――数十秒か、もっと長く。痛いほどの沈黙があたりを包んだ。
そしてカツン、と長靴が床を打ち鳴らす。すかさず身を乗り出したクラエスは、引鉄を弾こうとして――私の視界から、消えた。
乾いた発砲音だけがむなしく響く。そして私の視界に映ったのは、天井を抉っただけの弾丸――銃を奪われ、襟首を掴まれたクラエス。その体が、壁にむかって勢いよく投げ飛ばされた光景だった。
クラエスの体はずるずると床にくずれ落ちた。低く呻いたかと思えば、頭を垂れる。意識を失ったのだ。
「……鬼ごっこはここまでか?」
大振りの半月刀を左手で引きずりながら、エレノアが私と彼の間に立った。もつれ合う赤毛を頭を振って流し、ゆっくりとおとがいを上げる。
深い青色の瞳が、私を睨みつけた。
私はちらりと壁の側面を見やった――換気口が目に留まる。そしてすさまじい威圧感を放つ女へと、視線を戻した。
「……黒鳥なら、前に言ったとおりよ。ウルヤナ・ファランドールが所有しているわ」
「彼は死人だ」
「でも、持っている。私にはそれしか分からない」
エレノアは低い声で笑い――「馬鹿らしい」と呟いた。
背が高く大柄な彼女は、巨大な影のように私の前に立ちはだかっている。そのむこう側で倒れたクラエスを視界に入れ、拳を握りしめた。
そして彼女を睨みつけると、頭を左右に振った。
「……なるほど」
エレノアはふいに半月刀を背面の鞘に仕舞った。かと思えば、突然、私に掴みかかってくる。なすすべもなく仰向けに転倒した私に跨り、手を振りかぶった。
「歯を食いしばれ、ユリアナ・ファランドール」
必死になって抵抗するが、大きな手に両腕をまとめて掴まれる。
そして次の瞬間、平手で頬を打たれた。
「――一〇年前、何が起きた? なぜ義足が分散した?」
頬の内側の粘膜が切れ、鉄の味が口の中に広がった。
「……っ」
私に答える暇も与えず、エレノアはさらにもう片方の頬を叩いた。歯を食いしばりながら、私は涙のにじむ目で彼女を睨み続けた。
「ウルヤナ・ファランドールは本当に死んだのか。陳鎮雨はなぜお前に《リエービチ》を移植した? あの足さえ持ち出さなければ、あの男は死ななかったというのに――なぜお前のような小娘を生かすことを選んだのだ?」
「……っ、らないわよ、そんなこと――」
さらに頬を殴られ、舌を噛んだ。私の視界でふと頭を垂れたエレノアの表情を、長い前髪が覆い隠す。
彼女は強い力で私の顎を掴んだ。骨が割れそうだった。鼻先に顔を寄せ、至近距離に青い目が迫る。彼女の赤く染まった襯衣が、視界の隅に映り――むせるような血の匂いが漂った。
彼女の呼吸は切れ切れとしていて、肌は青白かった。
しかし色を失った唇を開き、彼女はなおも怒声を轟かせるのだった。
「なぜこの国には祈るべき神がいない……私たちは理不尽に生き、理不尽に死ぬ。死んだ相手を弔う方法すらない……ただ生きて死ぬだけ……他人の道具として使い捨てられ、使い捨てて……なぜお前が私の前に立ちはだかる!? 死してまであの男は私に背くのか。
――あの日生かした命をもって、なおも私をあざ笑うつもりなのか!?」」
そのとき、ズン、と地上から突き上げるような揺れが私たちを襲った。そこかしこに張り巡らされた「糸」が一斉に周囲を侵食する。狙いすましたかのように、私たちのいる足場を黒く染め上げた。
床が崩落しかけているのだ。
「……っ、クラエス……!」
祈るような気持ちでクラエスの名を叫んだ。その瞬間、いよいよ床に穴が開きはじめ――エレノアが舌打ちとともに私の上を飛び退いた。
「――ユリアナ!」
と同時に、視界に見慣れた金髪が映った。意識の戻ったクラエスが、私の腕を掴んだのだった。足場が無くなる間一髪で、彼に体を引き上げられる。そのままふたりもろとも地面に倒れ込んだ。
しかしその地面もほどなく崩れることが予見され――とっさに、私は側面の換気口を見た。この際、迷っている暇はない。目線だけで示し合わせ、クラエスが換気口の蓋を蹴破った。幸い、内側のダクトは人が通れるだけの幅があった。
内部のダクトは横方向にむかって伸びていた。クラエスを中に押しやり、後を追って私もそのなかに潜り込んだ――ダクトの内側にまで黒い糸は侵食していたが、不思議とそこはくずれる気配がなかった。
ただザワザワと、《何か》の声が聞こえるだけ。それが何の言語なのか、私には分からない――焦燥感だけをかき立てる声。
先導するクラエスの後を追って、金属の板の上を這い進もうとした私は、その瞬間、何者かに右足を掴まれた。
「……っ」
――エレノアだった。
ともすれば義足を引っこ抜かれそうな力に、私は金属板に爪を立てた。
しかし彼女の腕力には敵わないまま、じりじりと、入り口に向かって体が後退していく。
「ちょっと、もうっ、いい加減、離しなさいよ……!」
自由な左足でエレノアの頭を蹴りつける。しかし彼女の手は離れない。
「離すものか……絶対に……!」
じたばたともがいても埒が明かない。それどころか、クラエスとの距離が引き離されていくだけだ。私はとっさにスカートのポケットに手を突っ込み、「それ」を取り出した。
薬莢の先端に突き刺さったピンを、義足の側面に思い切り叩き付ける――間を置かず、火花が散った。
その瞬間、閃光と激しい噴煙がダクト内を覆った。
「っ、なによ、花火!? ぜったいウルヤナが作ったやつよ、これ!」
――爆薬ではなかった。しかし明るい光が破裂した瞬間、私の義足を掴む手が緩んだ。必死になってその手を振りほどき、彼女の頭を蹴りつけた。
ダクト内を這い進めば、その先で、いち早く外に出たクラエスが私の腕を掴んだ。
立て続けに、ダクトの奥で火花が弾けるのが見えた。それをもろに食らったのか、エレノアの呻き声がかすかに反響する。
彼女の姿を見届けることはなく――私はダクトの外へと引っ張り出されたのだった。




