(11)地下水路での攻防
遥か頭上にある天井には、一定の間隔で地表に通じる通気口が設けられ、そこからわずかな明かりが漏れていた。地下水路は山麓に水源を持ち、傾斜によって水を引く仕組みではあるが、放置されて久しいのだろう――導水路のあちこちに土砂が溜まり、水嵩はほとんどなかった。数メートルほどの高さにある通用路から着地したクラエスは、間を置かず、遺構の方角へと走り出した。
「ど、どうするの? クラエス」
「考え中です。正直あまり相手にしたくはない。鰐はやっかいだ。皇帝直属軍に入隊を余儀なくされる属領人の中でも――」
頭上から発砲音が立て続けに響いた。
真横を逸れた銃弾に、クラエスは渋い顔をして舌打ちをする。
「特に獲得に苦労した地域の者が選ばれます。最近であればイベリア系とかね――あの部隊の顔ぶれは2、3年で変わります。通常の隊員とは違って投薬制限が設けられないので、心疾患のリスクが大きい。最初から使い捨ての駒として扱われる連中だ」
私たちを追って、鰐もまた立て続けに導水路へと飛び降りた。クラエスは十分に距離を取ったと判断したのか、堆積した土砂の山のひとつへと身を隠した。そこでようやく私を下ろすと、腰から提げた軽量型の自動小銃を掴んだ。
「しかし文句は言っていられませんね。この数は撒けない――応戦します」
クラエスはそう言って外套の裾を翻した。
彼の判断の早さに、口を出す隙もない。次の瞬間には、硝煙が視界を覆った。
間近で響いた発砲音に、私はびくりと体を揺らした。土砂の影に隠れながら、視界の端を転がった薬莢をみつめる。心臓が早鐘を打っていた。
――《鰐》はなぜここにいるのか?
皇帝直属軍の特殊作戦部隊である、とクラエスは言った。
その彼がかつての同僚と相対している事実に、胸が痛まないわけではない。けれどもその部分だけにかかずらってはいけない気がした。《鰐》がクラエスの言うとおりの部隊なら、それをここに投入するだけの『理由』があるのだ。
難民解放戦線の掃討だろうか? それとも……。
私は自分の右足に目を留めた。エレノアは、きっと、私の義足を扱いかねている。これが本物か偽物か、判断する材料がないから。
「くそっ、減らない…………」
舌打ちとともに、クラエスが新たな弾倉を装填した。
そして土砂の山から身を乗り出し、暗闇のなかの敵に照準を定める。
汚水の臭いに混じって、硝煙と、なまぐさい血の匂いが漂いつつあった。重いものが倒れる音、弾が跳ねる反響音。数を減らしながらも確実に距離を縮めてくる《鰐》に、クラエスはやがて痺れを切らしたようだった。
「ユリアナ。貴方はここから動かないで」
遮蔽物を利用して長い応酬を続けていた彼は、その言葉とともに外套を脱いだ。襯衣と防弾ベストだけになると、背中に隠していた半月刀を抜く。
「クラエス、」
「むこうも弾が切れるころでしょう。すぐに戻ってきますから」
そう言って、クラエスは駆け出した。
その背中に、私はいつかの光景を思い起こさずにはいられなかった。まだ彼と出会ったばかりの頃――アル・カーヒラの道中、夜盗に襲われたときのことを。
あの夜と同じように、彼は手にした白刃を迷うことなく振るってゆく。血しぶきが散り、断末魔が響き渡る。肉を絶ち骨を割り、筋肉の繊維が切れる音がする。
あのときはただ呆然と眺めているだけだった。彼に対する不信感を募らせながら。
けれども今、私は瞬きひとつできずに、その光景を凝視していた。
ぎりぎりまで見開いた目のふちに、かすかに涙がにじんでしまう。早鐘を打つ胸を押さえながら、その状況をみつめることしかできない自分。現状、走ることさえできない私は足でまといに過ぎない。
ただ見つめることしかできない無力さが堪える。
悔しかった。
唇を噛みしめたそのとき、ふいに、背後から強い力で引っ張られた。
何者かに捕まった、と気が付いたのは一拍遅れてから。私は甲冑姿の男に拘束されてしまっていた。
――気が付かないうちに、《鰐》のひとりが背後に回っていたのだ。
「……っ」
あっけなく両足は地を離れ、片腕で首を圧迫される。宙にぶら下がりながら、息苦しさに呻いた。こめかみにぴたりと添えられた銃口に絶望をぼえる。
自分を絞めあげる腕に爪を立てても、力が入らず、ろくな抵抗にならなかった。
「――ユリアナ!」
クラエスがこちらを振り向いた。私は目を細めて、彼の顔を見つめた。
クラエスは半月刀を振るうと、相対する別の男の半身を斬りつけた。そしてその足で、私のいる方へと向かってくる。
「……その娘を離しなさい」
――響き渡った声は低く掠れ、はっきりとした怒りに打ち震えていた。
血に濡れた半月刀を片手にたずさえ、クラエスは悠然と佇みながら、私を拘束する男を睨みつけていた――頭上の通気口から覗いたわずかな光が、瞳孔の開きかけた目を、そして血染めの髪や襯衣を克明に照らしている。
私は言葉を失った。
彼もこんな表情をするのだ。
「ク…エス、わたしは……」
――けれども、はたしてこの状況を打開できるのだろうか?
《鰐》はまだこの地下水路のあちこちに潜んでいるに違いない。私が人質に取られた状況で、クラエスにできる対処は限られている。――だったらいっそのこと。本来関係のないクラエスをここまで巻き込んだのは私だ。
そう思うと、弱気にならざるを得なかった。
私の意図が伝わったのだろう。クラエスは不愉快そうに目を眇めると、「まさか」と吐き捨てた。苛立ちの籠もった声だった。
「見捨てるなんて冗談じゃない。何のためにここまで来たんだか」
そのとき《鰐》の残党が身を起こし、背後から彼に襲い掛かった。クラエスはわずかに体勢を変えると、無表情のまま半月刀を振るい、その首を落とした――一瞬の出来事だった。ドサリと肉の落ちる音とともに血煙が視界を覆うと、クラエスは脇の下のホルスターから拳銃を抜く。
注意を促すように真横に飛んだ弾が、導水路の壁に当たった。そして跳躍する。その弾は目も留まらぬ速さで、私に突き付けられた銃を弾き飛ばした。
一瞬の隙に踏み込んだクラエスが、さらなる弾を打ち込む。拘束が緩んで宙へと投げ出された私のからだを、片腕で受け止めた。
一連の動作を鮮やかにこなして見せたクラエスは、そのまま一直線に走り始めた。銃声音が後に続くが、土砂が遮蔽物となったのか、ここまで届くことはなかった。私は彼の腕のなかで、呆然とその横顔を見上げ、知らず詰めていた息を漏らした。
「――あなたってすごいわ」
「今更気づきましたか」
フン、と鼻を鳴らして、それからすこし得意げに微笑む。「射撃は得意でね」と子供っぽく言い放った彼は、次の瞬間、淡青色の目を瞠った。
ガシャン、と甲高い音を響かせて、眼前に鉄製の柵が下りたのだった。水量調節のために越流堤の役目を果たすものだろう。柵の上部は解放口となっているが、到底、のぼれる距離ではない。――追い詰められたのだ。
――そのとき、チカチカと、柵のずっとむこうで光が点滅した。気のせいかと思ったが、違和感をおぼえる。
しかしそれについて考えている暇はなかった。首だけで振り返れば、クラエスが倒したはずの男が銃を向けていた。先ほどの銃声音は、この柵を下ろす装置を狙ったものだったのだろう。
「……なるほど」
溜息まじりに呟いたクラエスが、ゆっくりと私を床に下ろした。柵のほうへと追いやられた私は、彼の肩越しに、複数の《鰐》の姿を見つける。
クラエスは半月刀を落とし、私の脇に両腕を突いた。
すると私のからだは、彼の影に隠れてしまう。
ぷつりと髪紐が切れ、毛先が赤く染まった髪がクラエスの肩を流れた。頬に濡れた毛先がかかると、彼は指でそれを払ってくれた。「悪あがきが思いつかない」そう続けて、私の目を覗き込む。
「……すみません、ユリアナ。やくたたずで……」
彼の背中越しに、男たちが銃器を構える。そのとき、左足から、床にわずかな震動を感じた。
「――クラエス、待って。まだよ」
彼の右腕を掴んだ。けっして離すまいと。
怪訝そうにクラエスが目を眇めた瞬間、背後から轟音が響いた。




