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(22)図書館と猫

「このあたりが、属領アラクセスで過去に出版された本ですね」

 そう言って、クラエスは本棚の梯子《はしご》に手をかけた。ひょいと身軽に登ると、天井までを埋め尽くす書物を見上げ、そのなかのいくつかを手に取る。そのまま投げ落としてくるものだから、避けきれず、私は容赦のない本の雨を浴びるはめになる。

「――あなたって運動音痴ですよよね」

「うるさいわね」

 私は唇をとがらせた。

 反論する余地もなく、私は彼の近くから離れた。乱暴に落とされた本をかき集めると、目についたテーブルに置いておく。

「書庫に蔵書できる数も限りがありますので、紙媒体で残っているものはあまりありません。古い新聞などはマイクロフィルム化されているので専用投影機で、そうでなければ電子媒体で保存されているので端末を使って検索してください」

 クラエスの言葉にうなずいて、私は机に置いた本の一冊を開いた。ぱらぱらと頁をめくれば、キリル文字が目につく。

 アラクセスは属領化される以前――それこそ遺失文明時代から、他国の支配下に入ることが断続的にあった。現在のような言語政策ほどではないにしても、アラクセス語以外の言語が通用していた時期が長いのだ。

「――遺構第二〇二って、いつぐらいにできたものなの?」

「ざっと二百年前と聞いたことがありますね」

「その当時の地図は? 貴方の権限ならみられるの?」

 遺失文明時代の記録は規制の対象となり、私の市民IDでは見られない可能性のほうが高かった。

 クラエスが梯子《はしご》から飛び降りて、私の横に立つ。机に置かれた電子端末《タブレット》のロックが彼の指紋認証によって外れた。しばらくして見せられたのは電子化された古地図だった。

 黒海とカスピ海のはざまにある内陸に目をむける。

 本来アラクセスと刻まれるべき場所にその名はなく、代わりに『エリヴァニ』という県名称が印字されている。

 包括するのは――〝ソヴィエト社会主義共和国連邦〟。

「辞書を置いてある場所を教えて。紙媒体がいいわ」

 そうなれば、遺構第二〇二は『アラクセス』ではなく、『ソヴィエト』が管轄する施設であったとみるのが妥当だ。資料も、アラクセス語ではなくロシア語で記録されているに違いない。

 「たしかあのあたりに」と言ってクラエスが指差したほうを見やって、私はうなずいた。


 思いつく限りのワードを、電子端末《タブレット》に入力する。――〝リエービチ〟で検索をすると、表示されたのはクラシック・バレエに関する雑多とした記事ばかりだった。そもそもリエービチとはロシア語で白鳥の意味をもつらしく、関連して『白鳥の湖』を題目とする過去の舞台情報が出てくるのだった。

 それらを流し見していると、ふと、ある人の名前が目についた。

 ――オレーシャ・セスラヴィンスキー、主役に抜擢。

 クリックしてその記事を開けば、一枚の写真が表示された。まばゆいばかりの金髪にはしばみ色の目をした女性だった。彼女が白鳥の湖の主役に抜擢されたという趣旨の内容が記載されている。

 何となく頭に引っかかるものがあって、今度は彼女の名前で検索をかける。花形の踊り子だったのか、彼女に関する記事が複数あった。――先ほどの記事の日付から数か月後、彼女が『降壇』したという内容のものが目に入る。

 ――体調不良で降壇。主役は前プリマの……

 ――オレーシャ・セラヴィンスキー、骨肉腫を告白。足を切断、復帰は絶望的。

 骨肉腫。足を切断――その単語に、右足のつけ根がうずいた。

 義足がいつもよりもずっと重く感じられる。

「オレーシャ・セラヴィンスキー……」 

 ――これの所有権は二度、書き換えられた。二〇〇年前、開発者ルスラン・カドィロフからオレーシャ・セラヴィンスキーに。そして一〇年前、オレーシャから名もなき少女へと譲渡された。

 ――人工知能、〝オレーシャ〟。

 いつか、桑雨がこの義足を『踊るための足』と表現したことがある。そしてトラウゴットを通して聞いた遺構の話――きっと偶然ではないはずだ。私が今じぶんのものとして使っている義足は、《オレーシャ》のために作られたものなのかもしれない。

 ルスラン・カドィロフの名前で検索をすると、大学やソヴィエト科学アカデミーに関連する記事が引っかかった。予想したとおり、彼は一介の研究者だ。

 代表的な成果として、『身体芸術プロジェクト』と称された研究がまとめられている。


 ――《踊るための足》を。

 グロズヌイ工科大学教授、ルスラン・カドィロフは、これまでになく独創的で機能的な義足を発表した。白鳥型と黒鳥型と名付けられた両モデルは、世界的ダンサーであったオレーシャ・セスラヴィンスキーが骨肉腫で両(・)足(・)を切断したことを受け――


 外部向けのプロモーション記事だろう。私は自分の右足に手のひらを重ねて、目を細めた。この記事には、義足は二つのモデルがあったと書かれている。

 記事をスクロールしていくと、実物の写真があった。ひとつは見覚えのある右足用の義足。そしてもう一つは左足用の義足――《リエービチ》とは対照的な、光さえ吸収する、漆黒の義足だった。

 

 ◆


「――そろそろ帰りませんか?」

 すこし呆れた顔をしたクラエスに話しかけられるまで、私は本の中身に没頭していたようだった。

 弾かれたように顔を上げ、窓を見やれば西日が射している。

「……もうこんな時間?」

 気が付けば、私は何時間も情報の海にのめり込んでいたようだった。思い出したように体が空腹を訴えはじめる。

 私は読んでいた本を元の位置に戻した。スカートの皺を伸ばして、クラエスを振り返る。

「――収穫はありましたか?」

「どうかしら。遺構についてなら、あなたや当主から聞いた以上のことは知れなかったわ。ああ、でも、キリル文字ならひととおりの文字と発音を覚えたわよ。意味まではわからなくても、読み上げるくらいならできるわ」

「それは重畳。何かの役に立つといいですね」

 肩を竦めたクラエスを引き連れて、図書館の外に出る。

 ――遺構第二○二に関しては、軍事関連施設ということもあってか、情報として拾えたものはほとんど無かった。

 ただ地理的な情報だけを探せば、収穫があった。クラエスが言っていたとおり、あそこがアラクセスの《聖地》であったことは本当らしい。それこそ気が遠くなるくらいの昔、世界で初めてキリスト教を受容したアラクセス人が異教徒に迫害され、離散したことがあった。現在、遺構第二〇二が建設されたのは、異教徒に包囲された彼らが集団自決した場所。『約束の地(カナン)』と呼ばれるところらしい。

 一度にたくさんの情報を頭につめこんだせいか、今はそれらを整理するので精いっぱいだった。頭の疲労をどうにかするには、食事を摂るしかない。

「ねえ、お腹が空いたわ。今夜は何を作ってくれるの?」

「……私は貴方の料理人じゃないんですが」

「でも今までだって作ってくれていたでしょう? ねえ、市場《スーク》に寄って帰りましょうよ。ここなら西の市場が近いわ」

 クラエスは渋い顔をしたが、しばらくして「何がいいんですか?」と聞いてきた。リクエストを聞いてくれるらしくて、私は喜々としてそれに答えた。

 軍の施設が並ぶ街区《ハーラ》の検問所を通り、西の街区へと入る。街並みはすっかり橙色に染まっていた。生ぬるい風が吹いて、石畳に落ちた砂埃を巻き上げる――何となしにそれを目線で追った先で、何かが動いた。

「あら、猫がいるわ」

 クテシフォンの厳しい日差しを避けるように、塀の影にずらっと何匹もの猫が並んでいる。首都ではまま見かける光景だ。

 その中の一匹――白黒のブチ模様の太った猫が、おもむろに影のなかから這いだした。ゆっくりとしっぽを振って、私たちに背を向けたかと思うと、路地にむかって駆け出していく。

 ――気が付けば、私はそれを追いかけていた。

「ユリアナ!?」

 背後でクラエスが声を上げる。

 私の頭の中には、いつかのキナアからの手紙が蘇っていた。

 いわく――〝西の街区にはネコがたくさんいる〟、〝ボス猫は白黒のブチ〟。

 偶然かもしれない。けれども、偶然じゃないかもしれない。そんな予感に駆られて、走らずにはいられなかった。後からクラエスが追いかけてくる足音が聞こえる。

 私は猫を追って、路地に飛び込んだ。ブチ模様の猫は塀の上を悠々と駆け、かと思えば細長い階段へとかろやかに跳び移る。時に人様の家の茂みをかきわけて歩き、敷地内に侵入しては、私はあてもなく放浪しているようにも見える猫を追った。

 そして――ひらけた場所に出た。

 複雑に入り組んだ路地の果てに、小さな広場があった。周辺住民も利用していないだろう、古く、朽ち果てた場所だ。

 枯れ井戸があり、小規模な礼拝堂《モスク》が建っている。

 荒野のバラ(ローザ・ペルシカ)が繁茂する礼拝堂の門扉の前に立つ。猫のすがたはいつのまにか消えていた。もしかして、ここをねぐらとしているのだろうか?

 ――クラエスとはどこかではぐれてしまったようだった。

 礼拝堂の門扉を見下ろせば、ほとんど壊れかけている。下部に大穴が空いていて、猫はここから出入りしているらしかった。私は逡巡した末、小枝の引っかかったスカートをきれいにすると、意を決して地に両膝をついた。

 そしてそろりと、その穴をくぐった。

 屋内は埃臭く、ほとんど光が届いていないように思われた――しかし立ち上がって、数歩前に進んだ矢先、何かを踏んだ感触があった。

 カチリ、とどこかで音が鳴る。次の瞬間、周囲に青い光が点灯すした。

 青色の光は床から壁面を、そして天蓋《ドーム》状の天井までを覆い尽くし、あたりをまばゆく照らし上げる。

 礼拝堂の隅で、猫がニャアとちいさく鳴いた。

 呆然とする私の目線の先で、青い光が浮遊した。やがてそれらは集約され、ひとつの形をかたどった――人間の姿だった。

 それが立体映像《ホログラフィ》であることに気が付いたのは、一拍遅れて、彼が喋り出したときだった。

『――――の映像は』

 映像は乱れて顔の判別はつかず、音声はたびたび途切れる。

 劣悪な環境で撮影されたもののようだった。

『この映像は暗号化され、複数の遺構のサーバーを経由して秘密のデータバンクへと送られる。永遠に秘匿されるかもしれない。一方で、いつか誰かがこれを目にすることを願う』

 しかし徐々に明瞭になっていく映像と音声に、私はふと、ここから一歩も動けないきもちにさせられた。両足を床に縫い止められたように。

 夜色の肌をした、黒髪の男が私を見おろしている。

 その声が鼓膜を打ち、一瞬、心臓が打ち震える。

『――僕の名前は、ウルヤナ・ファランドール』

 私の頭の奥で、火花が弾けた。同時に、ひどい頭痛と吐き気がこみあげてくる。立っていられずに、その場にくずれ落ちる。

『これは僕が死ぬまでの記録だ』

 男の声はひどくかすれている。音声が乱れているのかと思ったが、実際に彼の声がかすれているのだ。鮮やかな映像のなかで、その顔色はひどく悪い。

 怪我をしているのか、手で腹部を押さえながら立っている。いまにもその場に倒れ込みそうになりながら――。

 ――〝   〟。

 ふと、記憶の奥底で、誰かが私の名(・)前(・)を呼んだ。

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