↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/91

(12)吹鳴

 どこからか、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 出窓から射した光が顔にかかると、私はわずらわしさから身をよじろうとして、失敗した。――体の自由が利かないのだ。

 温かい《何か》に全身を包まれていて、思うように身動きを取ることができない。夢とうつつの境も曖昧なまま、私は薄目でその温かいものの正体を確かめようとして――一気に、目を覚ました。

 まず視界に飛び込んできたのは、白金色の長い睫毛。その下にあるはずの淡青色の瞳はいまは閉ざされ、寝息がかかるほどの距離に、若い男の整った顔がある――彼の細くともしっかりと筋肉のついた腕は、私の腰を力強くホールドしている。それだけでなく、私を包む込む青年の上半身は、一縷もまとっていないのだ。

 ――下半身がどうなっているかは、怖くて確かめられなかった。

 私は目を白黒させた。なぜ、私はクラエスと寝ているのか? とっさに昨日のことを思い出そうとするものの、意識を失った以外のことはわからない。視界をずらした先に氷嚢が転がっていた。上半身にはきちんと包帯が巻かれていて、寝間着も着せられている――私の背中を冷やしてくれているうちに、彼も寝入ってしまったのかもしれなかった。

 クラエスはなおも眠り続けている。

 私は彼に抱きしめられたまま、微動だにもできない。自分よりもすこし低い体温だとか、思ったよりもやわらかい髪だとか――なめらかな肌の感触だとか、かすかな石鹸の香りだとかが、頭を真っ白にしてしまっていた。

「……――」

 そのとき、クラエスが何かを囁いた。寝言だ。

「ジュリア……」

 誰かの名前をつぶやきながら、猫のように顔をすり寄せてくる――その綺麗な顔にむかって、ほぼ反射的に、私は頭突きをした。

「なっ、なんなのよ……あなた!」

「……ユリアナ?」

 寝台《ベッド》から転げ落ちたクラエスが――幸いにして、ちゃんと下着を履いていた――ぱちぱちと目を瞬いた。明らかに状況を飲み込めていない顔だ。

 私は寝台《ベッド》の上からクラエスを見下ろして、思わず「ジュリアって誰?」と問いかけてた。するとクラエスは一気に顔を赤らめる。

「ど、どうしてその名前を……?」

「あなたがついさっき寝言で呟いていたのよ」

「ジュリアは――その」

 クラエスは絨毯に座り込んだまま、口を手で押さえ、ひどく恥ずかしそうに目を伏せた。そして小声で、ぼそぼそと言葉を続けた。

「………、ですよ」

「……聞こえないわ」

「クマさんの名前ですよ……ああ、言ってしまった……黒くてふわふわした毛並みで、目が青くて……最近は白いリボンを首に結んでやっていて――もう、何言わせるんですか! 私の気に入りのぬいぐるみですよ! 悪いですか?」

 あなたが勝手に言ったんじゃない、と返しながら、私は思わず胸を撫で下ろした。――なぜ安心したのかは、自分でもよくわからなかったけれども。

 私は乱れた髪を指で直し、こめかみを押さえる。そして追及の言葉を続けようとした瞬間、家の外から、サイレンの音が響いた。

 クラエスが弾かれたように立ち上がる。

 どこかで一斉に鳥の飛び立つ音がした。サイレンの吹鳴《すいめい》は朝の長閑《のどか》な空気を裂いて、屋敷中に――ひいては街のなかにまで響き渡る。

 けっして危機感を煽るものではない。低く呻《うな》るその音は、警報という意味合いではなく、しかし確固たる意味でもって鳴り響く。

「……追悼のサイレンだわ」

 前皇帝(スルタン)の命日、崩御の時刻に、首都や直轄都市、属領の各地で一斉に鳴らされる音であることに思い至ったのは、音が鳴り止んだあとだった。


 ◆


 〝我々は恐怖に屈さない〟と書かれたポスターが、喫茶店の採光窓に貼られている。奥の座席についた私の視界の隅に、チラチラと映り込んでいるものだ。紙は真新しく、いささか乱暴に書き付けられたアラビア文字は、大通りを歩く際、様々な店のショーウィンドウや、露店の天幕から吊り下げられているのを見かけた――先日の《女王派》の一件を受けてから、首都で爆発的にみられるようになった標語だった。道中、劇場が崩落した跡地の前を通ったが、そこには大量の花束や顔写真が飾られ、朝の凪いだ風に揺られているのだった。

 大通りに面した喫茶店《オープンカフェ》、太い柱の影にある席で、私はコーヒーカップの底に残った粉を覗き込もうとしていた。帝国《ハディージャ》式珈琲はコーヒーの粉と水、そしてたっぷりの砂糖を煮て作る。飲み終わるとかならず粉がグラスの底に沈殿するので、その形をもとに占いをする習慣があるのだ。

「これは鉤爪《かぎつめ》か?」

 ひょいと奪われたかと思うと、正面の席に座った女性――エレノアが、受け皿の上で一度小さなカップをひっくり返す。そして底に残った粉の模様を覗きこんで、ニヤリと笑ってみせた。

「幸先が悪いですね」

 隣に座るクラエスが肩を竦め、エレノアからカップを受け取る。そして自身も覗きこみながら、「雛菊《ウクフワーン》に見える」と小声で呟いた。

 ようやく自分の手に返ってきたものを見下ろして、獣の鉤爪の形とも花の形ともつかない模様を、私はじっとみつめた。鉤爪は災難とか、敵とか、そういう意味だ。雛菊の意味は、いったい何だったろうか?

 ――朝のけたたましいサイレンが鳴り止んでからほどなくして、クラエスのもとにエレノアから連絡が入った。いわく、ちょうど近くにいるから、ここまで来いという話だった。結果、朝食を兼ねて私は大通りの喫茶店まで連れて来られたのだった。

 エレノアは見慣れた軍装ではなく、かっちりとしたスーツ姿で私たちを出迎えた。白いジャケットに開襟の襯衣《シャツ》を身に付けてなお、彼女の肌はまぶしいくらいに白い。赤毛も燦々とした朝陽を浴びて、燃えるように輝いていた。

「――朝方のサイレンは、表向きには誤報ということになっている」

 朝食を終えたころ、エレノアはおもむろにそう切り出した。昼前の喫茶店は人でごった返し、アラビア語に限らず、様々な言語が飛び交っている。聞き耳を立てたところで、他の席の会話を聞き取ることは困難だ。

「今日は皇帝《スルタン》の命日でもなければ、陛下が崩御あそばれたわけでもないからな。……実際は治安警察隊の管轄下にある放送塔が未明に占拠されたことが原因だ。警備の者が二名殺害され、本日の〇六五九、サイレンが吹鳴。治安警察隊によって容疑者は射殺され、放送塔は現在通常通りに戻っている」

「――《女王派》ですね」

 クラエスは納得したようにうなずき、横目で私を見た。

「三日後はクイーンズランドの先(・)代(・)女(・)王(・)、アナマリア・ジェーン・ジュリアナの三三回目の命日なんですよ。《女王派》の末端が先走ったんでしょう」

「女王……? クイーンズランドは、百年以上前から帝国の属領でしょう? まだ独自の君主を立てているの?」

「いいえ。他の属領とおなじく、帝国が派遣する副王の統括下にあります。《女王《クイーン》》は、属領独立のために《女王派》が勝手に擁立したものです。一方で、クイーンズランド的には正統な〝継承者〟でもありましたからややこしいところでして……」

「……今はいないの? その女王は」

「表向きは血統が絶えたことになっていますね」

 クラエスはちらりと正面のエレノアを見る。

 つまり、世が世ならば、本当にクイーンズランドの『女王』となるべき人を、《女王派》は旗頭として擁立していた、ということらしい。そのひとが殺害された今となっても、《女王派》だけは属領独立を目指して活動を続けているのが実際のようだ。

「……あんなふうに、人を殺したり、建物を爆破したりして……何の意味があるの? 逆に自分たちの印象を悪くするだけじゃない」

 コーヒーカップを手でもてあそびながら、誰にともなく私は呟きをこぼした。

 エレノアはテーブルの下でなじっていたクラエスの足から靴のつま先を離し、長くすらりとした脚を組みかえた。

 そして色の濃いサングラスをずらすと、青い瞳で私をみすえる。

「表面的に見ればな。ひとつは恐怖――強者である『帝国』に対するアピール方法としては、これ以上なく刺激的でわかりやすい。帝国に住まう人間にとって、《属領である》ことは、意図的、無意識的に見過ごされてしまうことだから」

「見過ごされてしまうって? 属領人も、帝国人も、首都のなかにはたくさんいるじゃない」

「不平等なんだよ。この国で帝国人として暮らすということは、帝国の帝国たる由縁――属領下の人的、物質的資源の搾取の構造の上に居座るということだ。属領出身者の賃金は法的に不当に低く設定され、重い人頭税《ジズヤ》が課せられる。属領は帝国の周(・)縁(・)としてシステム上に位置づけられるのを知っているか? 複数の文化体で経済圏を分業する発想であり――要は『自分たちのためにお前たちが不利益を被れ』ということだ。一方で、〝帝国たれ〟という名のもとに、そのものの文化は形骸化され、失われていく。

 だからこそ、鮮烈でわかりやすい《自分たち》をアピールしなければいけない。帝国人だけでなく、みずからの属領にむかっても――」

 頭を過《よ》ぎったのは、バラドの顔だった。

 ――〝大義のためだ〟、と彼はあのとき口にした。

「だが実際は、そう単純なものではない。ひとつの破壊行為にも、様々な思惑が絡む。場所の選定、〝英雄〟の選抜――使用する武器や兵器の流通。そこに利益を得る者がいるんだ。たとえば……」

 言葉はそこで途切れた。私はぎゅっとスカートの裾を握りしめた。彼女が続けようとしたものの名を、言われずとも知っているからだった。

「クラエス」

 エレノアは鞄からひとつの封筒を取り出し、ぞんざいに机の上に放り投げた。

「休暇中のところ悪いが、仕事だ。以前、《女王派》が属領喜望峰(グッドホープ)の水素関連遺構より液体水素を入手したとの情報が入った。正規軍の喜望峰司令支部の元(・)長官が手引きをした形跡が残っている。かの地ではつい最近、奴隷兵《マムルーク》による蜂起があったが、それも今回の物資運搬を『偽装』するための陽動だったようだ。

 液体水素はロケット燃料として有用だな。女王派が何かしらの大規模な破壊活動をもくろんでいることは明白であることから、本日、皇帝直属軍《イェニチェリ》に正式な勅令が下った。作戦は三か所で展開し、《女王派》を巣もろとも叩き、地下通路《カナート》経由で首都に運搬される液体水素のタンクを奪還する。お前は首都任意のポイントで待機し、取引現場に現れる『商人』を押さえろ」

 クラエスは無言で封筒を開けた。淡青色の瞳が、無機質にすがめられる。

 中には首都の航空写真と、一枚のメッセージカードが入っている――そこには、ザムエル・ファランドールという名が刻まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。