(12)皇帝の剣
クラエスに抱えられて廊下に出たとき、あたりは硝煙に包まれていた。
慣れない匂いに顔をしかめる。視界は煙で判然とせず、非常灯の光さえも頼りなくなっていた。くわえて、水を打ったような静寂――どこか不穏な空気が漂うなか、クラエスは床に転がる死体に目もくれず、無言で歩きはじめた。
そのとき、彼の胸ポケットにある無線から声が響いた。
『ジキルから鷹へ。下階はまもなく制圧完了――』電波が悪いのか、とぎれとぎれに聞こえるそれが鬱陶しいとばかりに、クラエスは電源を切った。溜息をつく。
「とっととずらかりたいのが本音ですが、あなたの落とし物を探さなくてはいけない。――心当たりは?」
「桑雨――あなたが会いに来た子に盗られたのよ。その子でなければ、頭領のアラムって男が持っているんじゃないかと思うけど……場所とかは、見当もつかないわ。私、あの小部屋にずっと閉じ込められていたの」
「なるほど。貴方が役に立たないということだけはよく理解できました」
憎まれ口を叩いて、クラエスはふいに足を止めた。その行動を不審に思い、視線を追う――そのとき、折よくビルの主電源が非常用に切り替わり、電灯の明かりが復活した。あたりが急に明るくなって、見通しも段違いによくなる。
「どうやら、問合せに行くまでもなかったようですね」
私たちの視線の先――廊下の突き当たり部分に、ひとりの人間が立っていた。
白衣姿の桑雨だった。彼女は私たちの目線に気が付いているのかいないのか、鬱陶しそうに、乱れた前髪を耳にかけた。そして片手を白衣のポケットに突っ込みながら、にやりと笑ってみせたのだった。
「――こんにちは、軍人さん。こんなところで会うとは思わなかったな。その様子を見るに、逃げられた恋人には無事に再会できたようで何よりだよ」
クラエスは無言で銃口を彼女に向けた。すると桑雨は大げさな動作で両手を上げ、「勘弁、勘弁」と弾んだ声を響かせる。周囲に《仲間》の死体が積み上がったこの状況でさえまるで動じない彼女に、私はそら恐ろしささえ感じた。
「おお、怖い。そんなに食い気味でどうしたの、軍人さん? 何か気に障るようなことでもあったの?」
周囲を取り巻いていた硝煙が無くなろうとしていた。私はそこではじめて、彼女が片手に掲げたものの正体に気がついた――キラリと輝くそれ。桑雨の右手には、私の『脚』が握られていた。
「――クラエス! あれよ、あれ。あれが私の脚よ!」
思わず身を乗り出しかけながら、私は義足を指差した。「やあ、ユリアナ」――桑雨は屈託のない笑みを浮かべて、片方だけの足を左右に振った。
「――気には障りませんが、不都合はあるものかと」
「《逃げられた恋人》が他の男のお手付きになっちゃっ――うわっ、このタイミングで本当に発砲する? 短気だなあ……」
真横の壁を抉った弾丸を一瞥し、桑雨は身を震わせる真似をする。そして片手に握った義足をじっとみつめると、「返してほしいの?」と問いかけてきたのだった。
「そもそも、貴方がたの物でもないでしょう。その義足を必要としているのは他でもなくこの娘じゃないんですか?」
「〝必要としている〟――ね。嫌な言い方をするじゃないか。それを言うならば、これの正当な所有者は我々、と主張すべきところでもあるけど……まあ、それは置いといて」
桑雨は両手を挙げたまま、ゆっくり私たちに近づいてきた。
一歩一歩、彼女が進むたびに、白衣の裾がゆらめく。
「――預かっている間に解析させてもらったよ。結論、『てんで駄目』。この義足は義足単体では機能しなくて、持ち主の生体情報が入力されてはじめて真価を発揮するものだとわかった。そしてこれの所有者は、今現在、ユリアナ・ファランドール――君に指定されている。
これの所有権はこれまで二度、書き換えられた記録があった。二〇〇年前、開発者ルスラン・カドィロフからオレーシャ・セスラヴィンスキーに譲渡。そして、オレーシャ・セスラヴィンスキーから名もなき少女へと。その所有権を書き換えることは、今のところ、僕たちにはできない」
――どうしてだろうか。そのとき、桑雨は痛みをこらえるような顔をした。それはすぐに消えてしまって、いつもの飄々とした笑みに戻ってしまったのだが。
「この『足』を返すよ。――いったんはね。
その代わり、君たちには条件を飲んでもらう。僕とアラム、《難民解放戦線》の幹部たちはこれから脱出する。それを見逃すこと」
「なるほど。そういうことでしたら」
クラエスは迷うことなくうなずいた。桑雨は笑って、義足を投げてよこした――私はなんとかそれをキャッチして、両腕でぎゅうっと抱きしめた。
――やっと、私の脚が返ってきた。
安堵が、じんわりと胸のなかに広がっていく。――私の足。バラドがくれた、大切な足と再会できた。そのことが何よりも嬉しい。
桑雨は私が義足を受け取ったことを確認すると、白衣の裾をひるがえして、廊下を駈けていった。来た時同様、地下水路経由で逃げるのかもしれなかった。
私は自分の脚にほおずりをして、それから眼下のクラエスに問いかけた。
「……よかったの? 見逃してしまって」
「別に。それが貴方の大事なものなら、安いもんでしょう。――それに、私が見逃したところで……」
――そのとき、下階から激しい爆発音が響いた。
クラエスは弾かれたように顔を上げた。地面が揺れる。彼は迷うことなく走りはじめ、舌打ちをした。――私たちがいる廊下は、たちまち崩落を始めた。なんとか先へと繋がる床を選んで走っていたクラエスは、それが袋小路でしかないことに気がついたのか、真横にあった窓に目を向けた。
迷うことなくライフル銃を窓から投げ捨て、両腕で私をがっちりとホールドする。その腕の強さに、一瞬、呼吸が止まりそうになったくらいだ――耳元で「口を閉じていなさい」とどこか必死さのつのる囁きが聞こえる。
背後で破裂音が聞こえたのは次の瞬間だった。みれば、廊下に大穴が空いている。下の階から吹きあがる熱風に、窓ガラスがガタガタと小刻みに揺れた。窓枠に飛び乗ったクラエスは、そのまま外にむかって、身を投げ出して――。
夜風が、私たちの頬を撫でた。私は彼に横抱きにされながら、頭上に、赤い夜空をみた――黒煙のむこう、蜜色の月がキラリと輝く。そしてその視界に、クラエスの白金色の髪が散った。
窓が面していたのは細長い路地だった。彼はむかい合う建物のバルコニーの柵を蹴り、反動をつけて今度は地面に飛び降りた。そこで立ち止まるのかと思いきや、大通りにむかってひたすらに走る。
私は彼の腕のなかでただ揺られていることしかできない。
廃ビルが崩落する音が響いた。上階に押し潰されて、下の階は見る影もなかった。桑雨たちはどうなったのか、そんなことが頭の片隅を過ぎったが、もちろん確かめるすべはなかった。
しばらくして、大通りに出た。あれほどの出来事があったのに、そこは意外なほどに暗く、静かで――しかし目を凝らせば、軍用トラックが幾つも乗りつけられ、物々しい装いをした軍人の姿を複数見てとることができる。おそらくは皇帝直属軍の集団だろう。
「あれに捕まったらたまらない……」
『仲間』に合流するのかと思いきや、クラエスはぶつぶつとそんなことを呟いた。そしてあろうことか、私を連れたまま、近くの茂みに隠れようとしたのだった――その瞬間、背後から呼び止められて、その目論見もあえなく破られたが。
「おやおや、火にあぶりだされて、子ネズミが一匹出てきたと思えば。――どうやら身内じゃないか。お前たち、銃を下げろ」
複数の照明灯が私たちに向けられる――気がつけば周囲には顔の前面までを覆った装甲を身につけた軍人が複数人立っていた。彼らはその指示を受けると、私たちに向けていたライフル銃の銃口を下げる。
照明灯のあまりの眩しさにぎゅっと目をつむる。しかしなんとか薄目をこじ開けて、私は大通りの向こう側から、こちら側にむかって歩いてくる女をみつけた。
彼女が声の主のようだった。
夜風が吹き抜けて、そのひとが身につけた外套が大きく揺れる。視界に映ったのは、その裏側に施された悪竜の刺繍だ。
「クラエス、説明してもらおうか。――私の愚弟が、いったいどうしてこんなところに?」
「…………エレノア」
クラエスは渋々と軍装のひと――エレノアと呼ばれた女性を振り返った。
軍刀の切っ先を地面に向け、悠々とたたずむその女は、燃えるように赤い髪を風にそよがせている。その青い瞳は、ギリギリまで研いだ刃のような鋭さをたたえていた。
「まったく、遅い夏季休暇の申請を出してきたと思ったら……お前はここで何をしている? 私にマラウィ湖のお土産を買ってきてくれるという話はどうした?」
「……ちょっと予定が変わって、アレクサンドリアとアル・カーヒラになっただけですよ。あなたの言うとおり、私は今休暇中ですので、これにて失礼させて――」
「待て」
軍刀の先をクラエスにむけ、エレノアは声を張り上げた。そして、彼が抱え上げた私に目を向けた。
一瞬、その端正な面立ちに苦いものが走る。彼女は私が抱えたものに目をむけて、訝しそうに、形のよい眉をひそめたのだった。
「……なぜ《リエービチ》がここに? それにその娘は……ファランドール家の……まさか……そんな数奇なことが……」
エレノアは軍刀をおろし、一旦は鞘に収めた。そして長い息をつくと、今度は、私にむかって手を伸ばしたのだった。
ほっそりとしているようで、古い傷だらけの――皮の厚い手だ。指先は荒れ、爪は埋まっている。端正な外見に反して、まるで男のような手をしていた。
「そこの愚弟はあとで話を聞くとしよう。――場合によっては軍法廷ものだ、クラエス。私は擁護しないからな。
ああ、あなたがユリアナ・ファランドールですね。さがしておりました」
そのひとはまっすぐに私を見つめ、鮮やかに笑ってみせた。
「どうやら大変な目に遭っていたご様子。ファランドール家の当主はあなたの失踪について、とても心を痛めておりますよ」
「失踪? ――それに、当主が?」
「あなたは一週間前に失踪したとお聞きしておりますが。このあたりのならず者を使って調査したところ、どうやら、《難民解放戦線》のごたごたに巻き込まれているらしいと分かりましてね。――あとは見てのとおり。少々火薬の配合を間違えてしまったのか、あやうくあなたごと吹き飛ばすところでしたが。そこはなぜか、休暇中のはずの愚弟が運よく救助してくれたようで」
「愚弟……」
「私はエレノア・ハクスリー。あなたを助けたそこの男の姉です。身分は皇帝直属軍第一師団、コマンダー。――どうぞお見知りおきを」
エレノアはIDカードを見せた。確かに彼女の顔写真がある。
「あなたの身柄は皇帝直属軍が保護し、責任をもって首都まで護送いたします。――ああ、今はまだ混乱されているところかもしれませんね。それにお疲れでしょう? 一度どこかの部屋を手配しますから、お休みになられてください。詳しい話は、それからでもゆっくりできますから」
彼女の言葉に、私は目を白黒させた。
――いったい、どうなっているのだろう?
私は『反逆罪』の容疑で、首都まで連行されるという話ではなかったのか。しかしエレノアは淡々と、ごく事務的に喋り、嘘をついているふうでもない。
頭をぐるぐるさせながら、私は私を抱える男へと目を向けた。クラエスは姉であるという彼女に手の甲をつねられて、ひどく渋い顔をしているところだったが――私の視線に気がつくと、ばつが悪そうに、目を逸らしたのだった。
――こうして、私は皇帝直属軍に保護されることとなる。
次の日にはアレクサンドリアを発つ船、そして長距離鉄道のチケットが用意された。その状況下になっても、自分の身に何が起きているのか、私は依然として理解できていないままだった。
首都クテシフォン。――そこで待ち受ける運命についても、今はまだ、予感さえできていなかったのである。




