156 ひやり
ブクマ&いいね&評価ありがとうございます!
テンユウ殿下は微笑みながら私の方へと歩いてくると、数歩離れたところで立ち止まった。
予定外の行動なのだろう。
後ろから、慌てた様子でお付きの人も付いて来た。
「お久しぶりです。ザイデラにいらしてたんですね」
「は、はい。御無沙汰しております……」
嬉しそうに声を掛けられるけど、こちらは突然の遭遇に動揺が激しい。
吃りながら何とか答えると、お付きの人の更に後ろからザイデラ語で声が掛かった。
『知り合いか?』
続けてやって来たのは、長い黒髪を三つ編みにして体の前に垂らしている男性だ。
周りにいるザイデラの人達よりも背が高い。
ジュードくらいだろうか?
けれども、厚みは違う。
この厚み、団長さんくらいはありそうだ。
間違いなく、普段から体を鍛えているものと思われる。
そんな微妙に威圧感のある体格に加えて、鋭い金色の瞳がジッとこちらを見詰めた。
とても居心地が悪い。
不自然にならない程度に、そっと男性が着ている衣装に視線を落とす。
着ている衣装は遠目に見た時には落ち着いた印象だったけど、近くで見ると地味に凝った物だった。
使われている生地は滑らかで光沢があり、テンユウ殿下が着ている衣装よりも刺繍等の飾りが多い。
端的に言って、とっても身分が高そうだ。
ということは、この人が……。
『はい。スランタニア王国の視察先で世話になった者なのです』
『スランタニア王国で?』
私が考えを巡らせている間にも、二人の会話は進んだ。
テンユウ殿下が答えると、男性は私からテンユウ殿下へと視線を移した。
しかし、テンユウ殿下の言葉に引っ掛かるものがあったのか、男性は眉を寄せて再び私の方を見る。
どこに引っ掛かったんだろう?
本人が呟いた通り、国なのかしら?
でも、変なところ何てないわよね?
ここはスランタニア王国の使節団が滞在する屋敷だ。
スランタニア王国の人間がいても、おかしくはないはず。
『直答を許す。其方、名はなんという?』
内心で焦っていると、男性は私にも話し掛けてきた。
予想が合っているなら、この男性はザイデラのお偉いさんだ。
お偉いさんに会う予定はさっぱりなかったので、ザイデラのマナーはほとんど覚えていない。
ピンチだ。
深呼吸をした後、取り敢えず失礼にならないようにカーテシーをした。
王宮の講義で習ったマナーの通りに目線は下に向け、顔を直視しないようにする。
決して目を合わせるのが怖いからという訳ではない……。
嘘です。
怖いです!
『セイと申します』
『そうか。スランタニア王国では異母弟が世話になった』
『恐れ入ります』
テンユウ殿下を異母弟と呼ぶということは、やはりこの男性は皇子の一人のようだ。
幸いなことに、私のやっつけマナーでも気を悪くすることはなかったようだ。
しかし、皇子達がこの場を去るまでは緊張は解けない。
次に何を言われるのかとドキドキしていると、私の後ろの方が騒がしくなった。
『テンユウ殿!』
テンユウ殿下の名前を呼びながら、こちらにやって来たのはカイル殿下だ。
後ろにはカイル殿下の側近の他に厳しい表情をした団長さんの姿もある。
皇子達が予定よりも早く到着したことを誰かが伝えに行ったのだろう。
そして、カイル殿下が来たことで私と皇子の話は打ち切られ、一行は応接室へと移動することになった。
漸く解放される!
ホッと胸を撫で下ろし掛けたところで、期待は裏切られた。
残念ながら解放されなかったのだ。
どうしたことか、私もそのまま応接室へと連行されたのである。
◆
一行が応接室に入ると、まずカイル殿下とテンユウ殿下が挨拶を交わした。
最初に交わされたのはスランタニア語での挨拶だった。
「予定よりも早く来てしまい、大変申し訳ありません。異母兄に急な予定が入ってしまいまして」
「こちらこそ、忙しいところ足を運んでもらい感謝する」
詳細な内容については語られなかったけど、予定よりも早い到着は、あちら側の急な予定変更のためだったようだ。
応接室に着くまでに聞いた話によると、テンユウ殿下達が出した先触れよりも先に本人達が到着してしまったため、慌ただしい出迎えとなってしまったらしい。
テンユウ殿下は続けて隣に立つもう一人の皇子に話し掛けた。
今度はザイデラ語だ。
『兄上。こちらはスランタニア王国の第一王子、カイル・スランタニア殿です。カイル殿。こちらは我が国の第五皇子、テンシャクです』
『初めまして、カイル・スランタニアです』
『テンシャクだ』
カイル殿下、ザイデラ語を話せたのね。
そういえば、さっきもテンユウ殿下のことをザイデラ語で呼んでいた気がする。
生活する上で現地の言葉が話せた方が色々と便利なのは間違いないので、恐らくザイデラに来てから覚えたのだろう。
お互いに名乗った後に握手を交わすと、カイル殿下の勧めで三人は用意されていた席に着いた。
カイル殿下の背後には側近の人以外に、団長さんと師団長様が並んだ。
テンユウ殿下とテンシャク殿下の後ろにも同様に、側近の人と護衛の人が並ぶ。
そして、何故だか呼ばれた私はザーラさんと共に部屋の隅に置かれた机に向かって座った。
いや、呼ばれたのには、ちゃんとした理由があった。
これも応接室に着くまでの間に説明されたのだけど、ザイデラの人達が話している内容を記録して欲しいと側近の人経由でカイル殿下から依頼されたのだ。
今回の会談ではザイデラ側の通訳を介して話すらしいんだけど、翻訳されなかった部分がなかったか、後で確認するためだそうだ。
要は会談の議事録を取る係なのだけど、責任重大な気がして、ちょっと気が引ける。
しかし、お願いされたからには、やらなければならない。
表向きは師団長様のお付き兼通訳ってことになってるしね。
『今日は最近の帝都周辺の封鎖について、改めて説明したく伺いました。この度は、こちら側の都合で不便を掛けてしまい大変申し訳ありません』
会談はテンユウ殿下の謝罪から始まった。
テンユウ殿下の言葉を通訳さんが伝え終わったのを見計らって、今度はカイル殿下が口を開いた。
カイル殿下の言葉を通訳さんがザイデラ語に翻訳してテンユウ殿下に伝える。
『盗難事件の捜査のためだと伺いましたが、その後進展があったのでしょうか?』
『捜査については、責任者である異母兄から説明させてください』
何故、テンユウ殿下と共にテンシャク殿下が来たのだろうかと不思議に思っていたのだけど、どうやらテンシャク殿下が盗難事件の捜査を取り纏めているからのようだ。
テンユウ殿下の言葉を受けて、テンシャク殿下が話し始めた。
『その前に、まずは礼を言いたい。貴国では異母弟が大変世話になった』
「まずはお礼を言わせてください。貴国ではテンユウ殿下が大変お世話になりました」
「こちらこそ、テンユウ殿下からはザイデラの話を色々と伺うことができ、皆良い刺激を受けたようです」
テンシャク殿下の話し方はTHE・皇族といった感じで、割と尊大な感じだ。
けれども、態度は踏ん反り返っている訳ではなく威風堂々といった程度で、通訳さんがいい感じに翻訳していることもあって、横柄な雰囲気はない。
もちろん、私が付けている記録には聞こえたままを書いている。
抜けがないようにという目的で記録しているから、元の言葉のまま書いた方が良いだろうという判断だ。
『貴国にも利益があったのなら何よりだ。また帰国の折には非常に貴重な物をもらい、感謝する。皇帝陛下も喜んでいた』
気になる単語が聞こえて、思わず手が止まる。
非常に貴重な物って、もしかしなくても万能薬でしょうか?
周りの様子が知りたくて顔を上げたくなったけど、それで注目を浴びるのは怖い。
気合で押し止め、固唾を呑んで続く言葉を待っていると、引き続きテンシャク殿下が話し始めた。
「万能薬は貴国の宝物の一つと聞いています。既に製法が失われているそうですね?」
「はい。多くの薬師が長年研究していますが、未だに再現できておりません」
やっぱり万能薬のことか……。
通訳さんが翻訳した通り、テンシャク殿下もザイデラ語で万能薬って言っていた。
明言されて、私の背中を滑り落ちる冷や汗の量が倍増したような気がする。
益々、顔が上げられない。
そんな私とは対照的に、翻訳されたテンシャク殿下の質問に答えるカイル殿下の口調は落ち着いていた。
私が座っている位置からはカイル殿下の様子は窺えないけど、きっと表情もいつも通りなのだろう。
そして、今初めて明かされる万能薬の話!
万能薬の作製者については伏せて渡したとは聞いていたけど、国王陛下とテンユウ殿下の間で話された詳細な内容については聞いていない。
しかし、カイル殿下には経緯が説明されていたようだ。
考えてみれば、カイル殿下は使節としてザイデラに来ている。
何かの折に話を振られて、知らなかったら困るよね。
だから、陛下から説明を受けたのかもしれない。
テンシャク殿下の言葉を翻訳する通訳の人とカイル殿下との会話から推測すると、万能薬の作製者としてクラウスナー領出身の【聖女】である【薬師様】が身代わりとなったのかしら?
瘴気の浄化以外の【聖女】の能力については伏せたいって常々聞いているから、【聖女】であることは言ってなさそうだ。
「そうでしたか。あのポーションはとても有益です。作ることができれば、治療法が見つからず困っている多くの民が助かることでしょう。お役に立てることがあるなら、私達も是非協力させてください」
「お申し出、ありがとうございます。ポーションの共同研究に関しては、また別途協議させてください」
深掘りされるかと心配していたけど、そんなことはなく。
万能薬の話はあっさりと終わった。
ただ、一安心かと言われると、そうでもない。
共同研究についての話が出たから、テンシャク殿下としては今日はここまでにしといてやるかといった感じで引き下がったのかもしれないからだ。
予断は許されないけど、私ができることは多分ない。
むしろ、何もしない方がいいだろう。
実際にどうするかは、きっと陛下と宰相様が決めてくれるはずだ。
他力本願過ぎて少々後ろめたいけど、後のことは偉い人に任せよう。
そして、万能薬の話が一段落すると、いよいよ話は盗難事件のことへと移った。