舞台裏23 疑惑
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時間はセイ達がザイデラに到着した頃に遡る。
帝都にあるスランタニア王国使節団が滞在する屋敷に、その報せが届いたのは朝早い時間だった。
「お食事中のところ、失礼いたします」
大使である第一王子のカイルが朝食を摂っている最中に、使節団の一人が報せを持って訪れた。
食事中に届けられた報せに、急いで対応する必要があることを察したカイルは、食事の手を一旦止めて、聞く姿勢を取った。
「どうした?」
「ティエンガンより報せが届きました。王国からドレヴェス師団長が参られたようです」
「ドレヴェス師団長が?」
ティエンガンというのは、セイ達が乗った船が入港した、帝都から最も近い港町だ。
外国に開かれている港であり、カイル達もティエンガンを経由して帝都に入った。
ティエンガンからスランタニア王国の者が来るのは、理解できる話だ。
しかし、宮廷魔道師団の師団長であるユーリが来るのは、理解できなかった。
ユーリはスランタニア王国でも一番の戦力で、国の守りの要でもある。
戦争でもない限り、スランタニア王国を離れることは考えられない人物だ。
しかも、今スランタニア王国には滅多に現れない【聖女】もいる。
非常時には国王よりも重要だと考えられている【聖女】の守りを外れてザイデラに来る等、余程のことがない限り、考えられないことだった。
故に、報せを持ってきた者は元より、話を聞いたカイルも怪訝そうな表情を浮かべた。
ユーリがスランタニア王国を離れられない理由を思い浮かべていたカイルは、そこで何かが引っ掛かった。
国から離れられない人間が、あえて離れる理由。
逆に考えれば、簡単な話だった。
思い至った可能性に、カイルの視線が僅かに揺れた。
「随行者はいるのか?」
「はい。側仕えが二名と護衛の騎士が一名、その他にも数名付いてきているようです。また、民間の商会の人間も同行しているとのことです」
努めて冷静な振りをしてカイルは報せを持ってきた者に質問した。
返ってきた答えの中に、付いてきているかもしれないと予想していた者は入っていなかった。
けれども、そのことが尚更カイルの予想を裏付けているような気もした。
(危険を避けるなら、あえて同行を伏せることもあるか)
国一番の戦力に護衛が付いていることにも不自然さを感じたが、思い浮かべた人物が共に来るのであれば、護衛が多いのも納得できる。
益々確信を深めるカイルの表情を見て、報せを持ってきた者もユーリと共に誰が来るのか思い至ったようだ。
ただ、まさかという思いの方が強いようで、普段は冷静な人物が見て取れるほど困惑を露わにしていた。
果たして、カイルの予想は当たった。
ユーリ達が到着したと連絡を受けて、カイルが屋敷の玄関まで出ると、ユーリの後ろにはセイも控えていた。
「遠路はるばる、よく来たな」
セイの姿を目にして、カイルは身を固くした。
王族として育った矜持で、何とか表情を取り繕ったが、纏う空気は緊張をはらんでいた。
ユーリに対する挨拶の声も僅かに震えてしまったが、幸いにして、そのことに気付いた者はいなかった。
カイルがここまで緊張するのは、かつての自身が起こした騒動が原因だ。
【聖女召喚の儀】で喚び出された人物の一人、アイラが【聖女】であると頑なに信じ、人が多く集まる場所でセイを偽物呼ばわりしてしまったのだ。
騒動が起きたのが召喚直後のことであれば、まだ情状酌量の余地はあった。
しかし、このとき既にセイは魔物の討伐任務で傷付いた者達を魔法で治療したり、瘴気の塊である黒い沼の浄化を成功させたりと数々の功績を打ち立てた後で、多くの者達から【聖女】であると認められていた。
そのため、国王と並ぶ地位の【聖女】に不敬を働いた咎で、カイルは国王から厳しい叱責を受けることになった。
何故周りの言葉に耳を傾けず、盲目的にアイラが【聖女】であると信じたのか。
今思えば、若気の至りだ。
けれども、当時のカイルは国王に叱責されても、中々反省することができなかった。
漸く当時のことを冷静に振り返ることができるようになったのは、最近の話だ。
国王から接触を禁じられていたこともあり、カイルがセイと直接顔を合わせるのは騒動から初めてだった。
未だ謝罪をしていないカイルが、急にセイと対面することになって感じたのは、もちろん後ろめたさだ。
けれども、お忍びで来ていると思われる以上、この場で謝罪し、肩の荷を下ろすこともできない。
取り敢えず、まずは一行を屋敷の中へ案内しようと気持ちを切り替えたところで、カイルはユーリ達の様子がおかしいことに気付いた。
カイルを前にして、ユーリ達は驚いていたり、何かを考え込んだりといった様子を見せていた。
何か尋常ではないことが起きているようだ。
話を聞きたいが、人目に付く玄関先で話すのは問題があるかもしれない。
咄嗟にそう判断したカイルは、代表者であるユーリと簡単な挨拶を交わした後、すぐに屋敷の中に入るよう一行を促した。
話を聞くためにカイルと共に応接室に入ったのは、ユーリとセイとアルベルトだ。
本来であれば、情報収集が任務の一つである特務師団のオスカーも同席させるべきだったが、問題があったため、話をする機会を別に設けることにした。
オスカーは現在隠れてセイの護衛に当たっており、表立っての身分は商会の人間となっているため、政治的な話が出る場に同席するのは不自然だったためだ。
人払いをして四人だけになると、カイルは早速気になっていたことを尋ねた。
普段のように長旅を労えるほどの精神的余裕はなかった。
何故なら、カイルが話し掛けるべき最も地位の高い者は、セイだったからだ。
最初に尋ねたのは、ユーリ達がザイデラを訪問した理由だ。
カイルが話し掛けると、セイは何とも言えない表情を浮かべた。
どうして、そのような表情を浮かべるのか?
謝罪していない以上、自身に対する心証が果てしなく悪くても仕方がないが、話し掛けるのも厭われるほどなのだろうか?
セイの様子が気に掛かったものの、すぐにそれどころではなくなった。
ユーリ達がザイデラを訪問したのは、使節団の大使を務めるカイルの預かり知らぬところで、スランタニア王国に緊急の報せが届けられたからだと聞いたためだ。
詳細を聞くにつれて、カイルの胸に宿った不安は色を濃くしていった。
聞けば聞くほど、誰かが【聖女】か万能薬を呼び寄せるために、偽の報せを送ったように思えてきたからだ。
一体、誰が手紙を送ってきたのだろうか。
疑問に思うものの、今ある情報を照らし合わせると、候補者を絞り込むことは難しかった。
とはいえ、何も手を打たないのは愚策だ。
できることから始めるべく、まずは最優先でセイの安全を確保することにした。
そうして、観光を楽しみにしていたセイに告げるのは心苦しかったが、直ちに帰国するよう勧めたのだった。
けれども、物事はすんなりとは進まなかった。
カイル達の動きを見計らったかのように、帝都周辺に出国制限が掛けられたのだ。
あまりのタイミングの良さに、報告を受けたカイルの脳裏には、【聖女】と万能薬を帝都に留め置くための策略ではないかという考えが過ぎった。
しかし、故意か偶然かはまだ分からないという周囲の声を聞き、すぐに考えを改めた。
結論を決め付けて動くのが、どれほど危ないことなのか。
かつて自身が起こした騒動を振り返れば、カイルには痛いほどよく分かった。
そして、現時点では手紙が送られてきたことと出国制限が掛けられたことは切り分けて調べるよう、周りに指示を出した。
スランタニア王国に出された手紙についての調査は、割とすぐに進んだ。
手紙の封蝋に使われていた印章が手掛かりになったためだ。
出国制限について調べるために慌ただしく動く隙間を縫って、カイルが執務室として使っている部屋に主立った者達が集められた。
手紙に関する調査の進捗を共有するためだ。
部屋の中にはカイルと側近の他に、使節団で調査を取り纏めている者や、ユーリとアルベルト、オスカーもいた。
もちろん、話の中心人物となる印章の持ち主もだ。
「この者が印章の持ち主か」
「はい」
印章の持ち主は、使節団に所属する子爵だった。
カイルが執務室として使っている部屋に呼び出された子爵は、既に色々と聞き及んでいるのだろう。
この後の処遇が予想できているのか、血の気が引いた顔色は白く、小さく震えてもいるようだった。
カイルの誰何に、執務机の横に立っていた側近が答えると、子爵は体を更に小さく縮こまらせた。
「それで、手紙はこの者が出したのか?」
「いいえ。本人に確認したところ、覚えがないそうです」
「ならば、何故この者の印章が押されていたのだ?」
「どうやら暫く前に印章をなくしたようで」
子爵からの聴取は終わっていたため、続くカイルの質問にも側近が答えた。
側近が言うには、子爵が印章を紛失したことに気付いたのは、手紙が出されたと思われる数日前のことだったらしい。
印章は身分証明に使われるだけではなく、書類に法的な効力を持たせるためにも使われる、非常に大事な物だ。
紛失したことが表沙汰になるだけでも、管理能力がないと見做され、他者に侮られる材料となる。
王宮に勤める者であれば、昇進にも影響を与える事柄だ。
そのため、子爵は紛失を誰にも告げず、一人で心当たりのある場所を探し回ったそうだ。
「まだ見つかっていないのか」
「はい。本人もずっと捜していたようですが、未だ見つかっておらず。現在は人員を増やして捜索に当たっております」
紛失したことが明らかになってからは、使節団の者達も加わって印章を捜索した。
拾った者が売り払った可能性も考慮し、商会に持ち込まれていないか密かに確認も取った。
けれども、捜索人員を増やしてから時間が経っていないこともあり、まだ印章が見つかったという報せはない。
恐らく、手紙に使われた印章は本物なのだろう。
そして、印章は今も手紙を出した者の手元にある可能性が高い。
子爵本人が捜していたときも印章の在処に繋がる有力な情報はなかったという報告を聞いて、執務室にいる者達は、そう考えた。
「印章をなくしたのは偶然でしょうか?」
「と言うと?」
顎に手を添えながら呟いたのはオスカーだ。
セイが呼ばれていないこともあり、情報収集や分析が得意な特務師団の者として呼ばれていた。
思わず口にしてしまったのは、これまでの経緯を聞いて、頭に浮かんだ考えだった。
その独り言をカイルが拾った。
カイルから問い掛けられたオスカーは偶然ではないのではないかと考えた理由を述べた。
「手紙が出されたことを考えると、印章が狙われていた可能性も考えられるかと。なくしたとされる場所も場所ですし」
「場所? 一番有力なのは酒場だったか?」
「そう伺っております。場所柄、多くの者が立ち入るので馴染みのない者がいても不自然には見えませんし、印章を奪うなら好都合な場所かと」
オスカーが話した内容は、この場にいた者達も一度は考えたことで、話を聞きながら頷く者もいた。
印章をなくしたと思われる前後数日間は、子爵は屋敷で仕事をしていた。
唯一外出したのが、カイルが口にした酒場だ。
元々、子爵は食文化に興味があり、ザイデラでも彼方此方の飲食店を訪れていた。
中でも、カイルが言った酒場は値段の割に料理が美味しいことで有名で、子爵のお気に入りの店だ。
庶民的な店で訪れやすいこともあり、何度も利用していて、最近では店主と言葉を交わすようになっていた。
オスカーは言及しなかったが、料理だけでなく酒も提供している店だ。
泥酔するほど飲むことはないが、それでも店に慣れてきた今、普段よりは判断能力が落ちる程度に飲むこともあっただろう。
素面の人間よりも酒が入った人間からの方が、何かを盗むのは容易い。
そういった意味でも、印章を狙っていたのならば、酒場というのは格好の場所だと言える。
事実、印章をなくしたと思われる日は、子爵は女性の店員に勧められて酒を少々飲み過ぎてしまい、屋敷に戻ってきたときには千鳥足になっていた。
印章をなくしたことに気付いたのも翌日の朝になってからだ。
そのことも、子爵が印章の紛失について誰にも話さなかった理由の一つだった。
「奪われたのであれば、見つかる可能性は低いな」
「はい。捜索は続けますが、奪われた可能性も考慮し、子爵の周りに不審な人物がいなかったかも調べたいと思います」
今後の方針を述べた側近にカイルは頷いた。
基より狙われていたのなら、印章は今も奪った者の手にあると考える方が自然だ。
捜したところで出てくる可能性は非常に低い。
故に、側近が提案したように、今後は奪われたことを前提に、印章を使って手紙を送ってきた者を探ることに注力することを決めた。
話が一段落したところで、子爵は直ちに使節の任を解かれ、セイ達と共に本国へと移送されることが告げられた。
セイ達が屋敷を発つまでは、身柄を拘束され、屋敷に軟禁される。
これは、印章をなくし、手紙の偽装に使われた罰だったが、子爵の安全を確保し、印章が再び偽装に使われることを防ぐ目的もあった。
「現状についての話は以上だ。まだ分からないことは多い。引き続き、調査を頼む」
「「「かしこまりました」」」
カイルの号令で、手紙に関する話は終わった。
そして、各々は再び調査を続けるべく、執務室を後にした。