舞台裏22 凶報
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その報せが届いたのは、魔物の異常発生が終息した祝いの夜会が行われて数日経った日のことだった。
宰相宛の手紙はザイデラへ派遣している使節団から届いた物だ。
緊急を知らせる印が付いたそれを、従僕はすぐさま宰相の元へと運んだ。
封蝋を丁寧に剥がし、手紙の内容を読んだ宰相の眉間に皺が寄る。
そして、宰相は手紙を読み終わるや否や椅子から立ち上がり、国王の執務室へと足を向けた。
国王の執務室に入ってきた宰相の態度は、一見すると普段と変わりなかった。
しかし、長年の付き合いから、国王は宰相の雰囲気がいつもと異なることに気付いた。
何か良くないことがあったようだ。
そうした国王の予感は、宰相が人払いをしたことによって確信に変わった。
「何があった?」
「まずはこれを」
国王は執務の手を止め、宰相から差し出された手紙を受け取り、中身に目を通した。
左右に動く国王の視線は、ある所で一瞬止まったが、すぐに再び動き出した。
最後まで目を通した国王は、深く息を吐き出した。
「使節団で病人が発生した、か……」
「はい。症状は頭痛、高熱、吐き気で、後に意識を失ったままになるとか」
「流行病だろうか?」
「倒れた者は一人で、他に同様の症状が出ている者はいなかったようですが、手紙が出された後に増えている可能性はありますな」
「現時点では不明ということか。風土病かどうかも、この手紙では分からないか……」
「仰る通りです」
宰相と二、三遣り取りをした国王は、何かを見透かすかのように目を細めた。
「慌てて寄越したのだろうが、あまりにも情報が少ないな」
「はい。それに、少々気になる点もございます」
「何だ?」
宰相の言葉に、国王は手紙から視線を上げた。
国王の意識が自身に向いたのを合図に、宰相が気になった点を挙げる。
状況を鑑みれば、それは些細なことではあった。
常であれば使節団の責任者から送られてくるはずの手紙は、今回は違う相手から送られてきた。
それなりの地位にある者ではあるが、副責任者でもない者から送られてきたのだ。
とはいえ、あちらの状況を考えると、普段とは異なる者から手紙が送られてきても、それほどおかしなことではない。
もう一つ気になったのは、手紙を届けた船だ。
定期的に送られてくる手紙は常であればスランタニア王国籍の船で運ばれる。
しかし、手紙を持ってきた従僕の話によると、今回はザイデラに属する商船が運んできたということだった。
これも差し迫った状況で送られてきたことを考慮すれば、理解できることである。
「手紙の封蝋は?」
「封蝋は正規の物でした。開けられた形跡もございません」
「それでも気になるか……」
手紙の封蝋は差出人の証明や、覗き見、改ざんの防止としても使われる。
封蝋に使われていた紋章は、確かに送り主の物で相違なく、封蝋の状態も良好で、途中で中身を改ざんされた様子もなかった。
けれども、宰相はどうにも引っ掛かるものを感じていた。
勘ではあるが、宰相の長年の経験によるもの信頼していた国王は、手紙が偽造されていた場合について考えを巡らせた。
全く偽の報せであるならば、放置しても問題はない。
ただ、国王が対応を迷う事情が手紙には書かれていた。
「倒れた一人というのが問題だな」
「はい」
国王の重苦しい声に、宰相も神妙な顔で答える。
ザイデラからの手紙には病に倒れた人物の名前も載っていた。
国王は手紙のその部分に視線を戻し、眉間に皺を寄せる。
そこには、国王の息子で、第一王子であるカイルの名前が記載されていた。
国を統べる者として、いざとなれば息子を切り捨てる覚悟はあったが、カイルは亡き妻が残した大事な息子の一人でもある。
現時点では手紙を見ぬ振りをできるほどの判断材料は存在せず、国王の心は助けを送るべきかどうかで揺れた。
「手紙の真贋を確認したくとも、遣り取りに時間が掛かる」
「どちらにしても、ザイデラには魔道師を派遣した方がよろしいでしょう。手紙の内容が本当であれば、確認している間に病人の容体が悪化するとも限りませんし、他に感染者が現れないとも」
決断を下すために、国王が思い付いたことを口にし考えを纏めようとすると、言葉を拾った宰相が魔道師の派遣を提案した。
色々と理由を付けてはいるが、迷う国王の心情を汲み取った上の発言だ。
宰相の心遣いに気付いた国王は口の端をかすかに上げ、心の中で感謝しつつ、宰相の提案に乗った。
「そうだな。誰を派遣するかだが、病を治せる聖属性魔法が使える者となると限られるな」
魔道師を派遣するとして、次に問題になるのは誰を派遣するかだ。
患者が実の息子であれば、親としては最善を尽くしたくなるのは当然だろう。
しかし、そこに問題がある。
スランタニア王国で最も聖属性魔法が得意な者は【聖女】だからだ。
様々な問題があり、この世界では国王が自国の外に出ることは非常に稀だった。
もし国王が国外に出るとなれば、問題を解決するために、安全対策のための護衛やら何やら、多くのものが必要となる。
国王と同等の地位にある【聖女】も同様だ。
加えて、【聖女】は世間一般に知られている瘴気の浄化以外にも高い能力を有している。
万が一、国外で失うことがあれば、国が被る損失は計り知れない。
故に、国王も宰相もセイが国外に出ることには消極的である。
もっとも、それ以外にも理由はあった。
「治療だけであれば、セイ様にお願いするのが最も確実でしょうが、手紙が偽物だった場合を考えると他の者を行かせるべきでしょうな」
「それもあるが、そもそもセイ殿に依頼するべきではないだろう。彼女には既に本分を果たしてもらったのだから」
セイがこの世界に召喚されたのは、濃くなり過ぎた瘴気により異常発生した魔物を倒すためだ。
スランタニア王国で行われた【聖女召喚の儀】によって、同意なく喚び出されたため、セイに魔物を倒す義務はない。
けれども、セイは騎士や宮廷魔道師と共に王国各地に赴き、【聖女の術】で魔物を際限なく発生させていた黒い沼を浄化していった。
先日、遂には最後の黒い沼を浄化し終え、これによりスランタニア王国は魔物の脅威から救われたのだった。
国王が言う通り、セイは【聖女】としての本分を果たしたのである。
幼い頃から国を背負う者として育った国王は、義務や責任がどういうものであるかを、誰よりも良く理解していた。
故に、王侯貴族でもなく、元より、この世界の人間でもないセイが【聖女】としての役割を全うし、スランタニア王国を救ってくれたことに非常に感謝していた。
同時に、魔物の討伐以外の責務をセイに課すことに否定的だった。
この世界に喚び出されたためにセイが失ったものを補填することも、功績に見合うだけの報酬を用意することもできないと考えていたからだ。
「ならば、ドレヴェス師団長を向かわせることにいたしましょう。聖属性魔法にも長けておりますし、あの者なら少々の荒事が起きても、問題なく対応できるかと思われます」
「荒事か……。起こると思うか?」
「手紙が偽物だった場合のことを考えると、ないとは断言できませんな」
「偽物だった場合か。目的は何だと思う?」
「さて。【聖女】様ではないと思いますが……」
病気の治療を理由に誘き寄せることができるものとして、二人が真っ先に思い付くのは【聖女】だ。
けれども、宰相はすぐに【聖女】を候補から外した。
ザイデラの使節団が【聖女】について詳しく知らなかっただろうことが、その理由だ。
ザイデラから使節団がスランタニア王国を訪れた際には、【聖女】の能力については箝口令が敷かれた。
それもあって、一般的に知られている【聖女】が魔物の討伐に有能であること以上の情報はザイデラ側には知られていないはずだった。
また、【聖女】の容姿についても詳細は秘されていた。
ザイデラの使節団の前に公に姿を現したのも一度だけで、更にそのときには白いベールを頭から被り、顔貌がはっきりと見えないようにされていたのだ。
だからだろうか。
テンユウの母親の治療方法を見付けるためにスランタニア王国に来たにもかかわらず、使節団は【聖女】に興味を持つ素振りを見せなかった。
使節団が最も興味を示したのは、薬用植物研究所で作られるポーションだ。
「そうなると、目的は万能薬か」
「その可能性は高いでしょう」
国王の言葉に宰相は首肯した。
万能薬は特殊な状態異常回復用のポーションだ。
一本で、あらゆる症状の状態異常を治すことができる画期的な物だ。
一般的な状態異常回復用のポーションは症状に合わせてレシピが異なり、複数の症状を治そうとする場合はそれぞれの症状に合わせたポーションが必要になる。
そのことを考えれば、万能薬がどれほど価値のある物か理解できるだろう。
そんな万能薬は、テンユウの母親を治療するために作られた。
治療方法を探し求めていたテンユウに絆されて、セイが新たに開発したのだ。
「予想通り、テンユウ殿に渡した物に目を付けた者が出たな」
「来歴を誤魔化しておいて功を奏しました」
「あぁ。作製者に目を付けられるのだけは避けたかったからな」
万能薬は国王の手からテンユウの元へと渡った。
ただし、宰相が言ったように、セイが作った物であることは伏せられた。
万能薬には【聖女の術】で作られた材料も使われていたからだ。
【聖女】の能力をできる限り秘匿したかった国王達は、万能薬の来歴を誤魔化すほかなかった。
そして、テンユウには、王家に代々伝わっていた貴重なポーションで、今では作ることができない物だと説明したのだ。
「テンユウ殿には三本ほど渡したが、こちらにもまだ残っていると思われたか」
「当然でしょうな。あれほど貴重な物を、何の見返りもなしに全て吐き出したとは思われますまい」
「まったくだ。ならば、此度の派遣では、万能薬も持って行かせた方がいいか」
「取られたとしても、あちらが満足して手を引いてくれるのであれば、問題は片付きますしな。それに万能薬を狙ってきた者を捉えられれば、あちらへの貸しにもできましょう」
「そうだな。【聖女】殿に目を向けさせないためにも、万能薬を活用することにしよう」
こうして、ザイデラには宮廷魔道師団の師団長と万能薬が赴くことになった。
しかし、この話し合いが持たれた数日後、国王達のセイへの気遣いは無用となった。
第三騎士団の団長であるアルベルトから、セイがザイデラ行きを希望していることを伝えられたためだ。
安全面を考慮すると、セイの要望は受け入れ難い。
けれども、ザイデラからの手紙が本物であるなら、セイ以上の適任者はいない。
国王達は悩んだが、アルベルトの説得もあり、最終的にセイのザイデラ行きが決まった。