145 まるっと
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「え、えぇ~っと……」
よりにもよって、最も聞かれたくない人に聞かれてしまった。
どう答えよう?
貴族の御令嬢は不測の事態に陥っても微笑みの仮面に感情を隠さなければいけないらしいけど、私には難しい。
これが社交場であれば、多少引き攣っていたとしても、微笑むことができるのだけど。
生憎ここは研究所。
自分の陣地かつ、気が緩んでいたところでの出来事で、取り繕うことができない。
驚きと焦りで考えは纏まらず、視線が左右に揺れてしまう。
結局、口から出たのは何とも言えない言葉だった。
「海外……ですかね?」
「海外?」
「えーっと、昔から一度行ってみたいなって思っていまして……」
何で疑問系?
心の中で自分で自分にツッコんだ。
それでも何とか言葉を絞り出せたのは、日本にいたときからの夢だったからだろう。
旅に出て、色々な風景を見たり、現地の料理を食べてみたりしたいと思っていたのよね。
残念ながら、休日出勤が常態化していた職場に勤めていたこともあって、一度も行けなかったけど。
「ザイデラに行きたくなったのか?」
「な、何で!?」
団長さんは少し考えてから、先程まで考えていた国の名前を挙げた。
驚いて声を上げると、団長さんは困ったような笑みを浮かべ、声を潜めて教えてくれた。
「近々、ザイデラに第二陣が向かう話は私も知っている。そこから推測したんだ」
団長さんは軍の上層部だ。
どこから聞いたかは分からないけど、師団長様達がザイデラに行くことを知っていてもおかしくはない。
話しぶりからすると、万能薬が送られることも知っていそうだ。
私が国王陛下に呼び出されたことも。
「すみません。ザイデラに行くのは仕事で、遊びに行く訳ではないことは分かってるんですけど、話を聞いたらちょっと行きたくなってしまって」
「謝る必要はない。国の外に出る機会など、ほとんどないからな。外の国に憧れがあるなら、そう思うのは自然なことだ」
嘘を吐くのは、あまり得意ではない。
ましてや、好意を持っている相手に対して嘘を吐くのは、他の人に対してよりも罪悪感を強く感じるので難しい。
だから、早々に諦めて正直に話した。
元より後ろめたかったこともあって、苦笑いを浮かべながら謝罪の言葉を口にすると、団長さんは咎めることなく、私の気持ちを肯定してくれた。
後ろめたい気持ちが消えた訳ではないけど、団長さんの優しさに、ほっこりと胸が温かくなる。
「ありがとうございます。でも、思うだけです。そんな遠くに行ってる場合ではありませんしね」
「どうして?」
思うだけで実行するつもりはないのだ。
できる状況ではないとも思っていた。
これらもまた正直な気持ちだ。
心配を掛けたくなくて釈明すれば、団長さんが首を傾げた。
あれ? 私変なこと言ってないわよね?
「えっと、あの、これからけ、結婚式の準備も、ありますし?」
結婚式と口にするのが妙に気恥ずかしくて、吃ってしまった。
余計に恥ずかしさが増して、ほんのりと頬が熱くなり、視線が揺れる。
そんな私の態度に釣られたのか、団長さんも少し恥ずかしそうだ。
「そう、だな。そちらの準備も必要だな」
「ですよね。式まで一年くらいなら、そろそろ衣装の注文とかもしないといけませんし」
「一年?」
口元を右手で覆いながら、団長さんは頷いた。
団長さんが肯定してくれたことに促されて、やらなければいけないことを口にする。
この間の女子会でリズから聞いた話では、ドレスが一番準備に時間が掛かりそうだった。
だから、真っ先に衣装の話を挙げたのだけど、団長さんが気にしたのは、そこではなかった。
次は「一年」という言葉が引っ掛かったらしい。
「婚約期間って、最短で一年くらいって聞いたんですけど……」
「あぁ、結婚式の準備にそれくらい欲しいからという話だったか」
怪訝な顔をする団長さんに、根拠を提示する。
婚約期間は最低でも一年は必要だという話は、複数の人から聞いた話だ。
団長さんも同じ認識だったようで、顎に手を添えて少し考え込んだ後に頷いた。
しかし、思うところがあったらしく、徐に口を開いた。
「だが、それは最短での話だろう? 結婚式は一年以上先でもいい訳だ」
「確かに、そうですね」
「なら、ザイデラに行って帰ってきてから準備を始めてもいいんじゃないか?」
「えっ?」
予想外のことを言われて、目を丸くした。
言われてみれば、結婚式を一年後に挙げる必要はない。
今のところ、陛下から結婚式の時期について言及もされていないしね。
団長さんが言う通り、ザイデラに行ってから準備を始めても問題はない訳だ。
もっとも、時期以外にも問題はあると思うので、いくらザイデラに行きたいと思っていても、団長さんの言葉には素直に頷けなかった。
そんな私の心境も団長さんは、まるっとお見通しだったようだ。
「後、セイが気にしているのは、仕事を長期間休んでしまうことだろうか? それとも、渡航に掛かる費用? あぁ、身分もか?」
どうして分かるんだろう?
挙げられたものは、ことごとく私が気にしていることばかりだ。
苦笑いを浮かべると、それが回答になったらしい。
団長さんは説得するように話し始めた。
まず、休暇を取ることについては全く問題ないだろうと、あっさりと言われた。
今までが働き過ぎなので、むしろ休暇を申請したら喜ばれるんじゃないかと言われる始末だ。
未だに周りに気にされるほど働いている自覚がなく、所長からも時折臨時休暇を取れと言われることもある身としては、団長さんの意見に頷かざるを得ない。
続いて、渡航に掛かる費用についても同様に、迷いなく問題ないと太鼓判を押されてしまった。
元の世界と違い、この世界では海外への渡航費用は一般庶民からするととんでもない金額となる。
しかし、今回は国の派遣団と一緒に行くので費用は少なく済むだろうという話だ。
「私が決めて良いことではないが」という前置き付きで、仕事で向かう派遣団に同行するのが気になるなら、陛下に報酬として貰えばいいのではないかとまで提案された。
先日陛下に呼ばれた際にも言われたけど、私の功績に対する報酬は報酬の渋滞が起きていると言われるほどに貯まっている。
功績が高過ぎるのも貯まっている理由の一つだろうけど、私が陛下達から提案される報酬を断っているのもまた理由の一つだと思う。
そこで、今回の渡航費用を報酬にすれば良いのではないかという話だった。
確かに。
そうすれば、少しは渋滞も解消されそうではある。
ただ、団長さんの見立てでは、陛下に進言したところで報酬にはされなそうだという話なんだけどね。
それというのも、今回のザイデラ派遣の目的がザイデラで倒れた人の治療だからだ。
もしザイデラに行って治療に当たるのなら、お仕事での渡航となり、掛かる費用は全て経費となる。
当然、王宮として報酬としては認められないという訳だ。
そこで私が治療に当たらないっていう選択肢はないのかって?
そこは私の性格上、間違いなく治療に当たるだろう。
ついでに言えば、治療には全力で当たるだろうから、必ず治せるだろう。
そう団長さんはきっぱりと言い切った。
私が治せないなんてことは、微塵も思っていないようだった。
え? 何その信頼感。
「休暇と費用については問題なさそうだな。後は身分についてだが……」
【聖女】が国外に出ても問題ないのか?
団長さんは私が気にしていたこの問題についても話し始めた。
ただ、この件については言い辛いことがあったようだ。
立て板に水の如く話していた今までとは異なり、時折考えながらゆっくりとした口調で話してくれた。
やはり、私が考えていたように【聖女】が国外に出るのは王宮としては歓迎できないことらしい。
主に問題となるのはセキュリティーの面だ。
国外よりも国内にいる方が守りやすいってやつね。
そして、ザイデラへ誰を向かわせるかという話になったときに、この点が引っ掛かったようだ。
今回の治療に当たって、ザイデラへは最高の人材と物資を送ることは決まっていたらしい。
物資というのは万能薬だ。
では、人材はというと、何も斟酌せずに選ぶなら、聖属性魔法のレベルがおかしなことになっている私だろう。
けれども、【聖女】を国外に出すのは問題がある。
そこで次善の策として選ばれたのが師団長様だったそうだ。
「なら、やっぱり私が行くのは難しそうですね」
「セイが希望するのなら、交渉の余地はあると思う」
話を聞いて、残念だけどザイデラに行くのは諦めた方が良さそうだと思った。
しかし、団長さんは諦めるのはまだ早いと言う。
それというのも、誰をザイデラに送るかという話になった際に、私を送るか師団長様を送るかで上層部はかなり悩んだからだそうだ。
故に、私がザイデラ行きを希望し、セキュリティーの問題が解決できるなら、王宮が拒むことはないだろうと団長さんは考えているらしい。
「そうなると、問題は安全対策だけということですか?」
「あぁ。そちらについては案がある」
「どうするんですか?」
「私も一緒に行こうと思う」
「えっ!?」
思わず耳を疑った。
今、団長さんも一緒にザイデラに行くって聞こえた気がするんだけど、気のせいじゃないわよね?
でも、団長さんには騎士団の仕事があるんじゃないの!?
「大丈夫。セイを守ることも仕事のうちだから」
考えていたことが顔に出ていたらしい。
私の困惑を見取った団長さんは、私が気に病まないようにか、仕事だからと言った。
確かに、【聖女】を守ることは王宮の騎士の仕事だとは思う。
けれども、騎士団長の仕事はそれだけではないはずだ。
私の我儘に付き合わせて、他の仕事を放り投げさせてしまうのは非常に申し訳ない。
だから、思い留まるように、尚も言い募ろうとしたのだけど……。
「それに、私がセイの願いを叶えたいんだ」
「うっ……。わ、分かりました。ヨロシクオネガイイタシマス」
団長さんはニッコリと、有無を言わせないような笑顔を浮かべて言った。
いつもよりも笑顔の圧が強い。
元より、私が願ったのが始まりだ。
流されやすい土壌もあり、もう反論はできなかった。
そうして、団長さんが陛下達に交渉してくれた結果、晴れて無事に私はザイデラへと行くことになった。