138 後悔はしたけど…
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珍しく、急なお茶会の招待を受けた。
たかがお茶会、されどお茶会。
ただ単に美味しいお菓子を摘み、お茶を飲んで、キャッキャウフフと話すだけでも、その招待は開催日の一週間前までには届くものだ。
しかし、今回の招待は、なんと前日に来た。
普段であればお断りする案件なんだけど、招待状の主は勝手知ったるリズだ。
相手がリズなら、前日のお誘いでも喜んで向かうに決まっている。
急いで招待状の返事を書いて送り出し、王宮の侍女さんへと当日の身支度を手伝ってもらえないかとお伺いを飛ばした。
「ねぇ、セイ。私に何か話さなければいけないことはないかしら?」
「話さなければいけないこと?」
お茶会の当日。
形式的な挨拶を済ませてから席に着き、紅茶を一口飲んだところで、リズが質問してきた。
これまた常にはないことだ。
普段であれば、気の置けない友人同士のお茶会でも、最初は何てことのない雑談から始まるものだ。
それなのに、急に本題っぽい質問が飛んできた。
余程重要な案件なんだろうか?
王子の婚約者を務めたほどのリズがセオリーを無視して事を進めるなんて。
疑問に思いつつも、質問にどう回答しようかと頭を働かせた。
「うーん。特にないと思うんだけど」
「そう。本当に心当たりがないのかしら? それとも、私には言えないようなことなのか……」
「確かに言えないことはあるけど、何を聞きたいのかが分からないから何とも答えられないわ」
「そう。それならはっきりと伺いますわ。宮廷魔道師団のドレヴェス様とは、どういう関係ですの?」
「ドレヴェス様?」
リズの口から出てきた名前に、私の頭の中は更に疑問符で一杯になる。
何で師団長様の名前が出てきたんだろう?
まぁ、それは後で聞いてみよう。
まずは答えないと。
師団長様と私の関係を問われても、はっきりと当てはまるものといえば、教師と生徒くらいしか思い浮かばない。
それ以外と言われると、後は魔物の討伐で一緒になることがある同僚?
こっちは勤め先が宮廷魔道師団と薬用植物研究所で異なるから、何とも言えないわよね。
「そうねぇ……。教師と生徒かしら? 魔法のことを教えてもらってるし」
「それだけですの?」
「? それだけだけど……」
取り敢えず、断言できそうな方を答えれば、リズの目がスッと眇められる。
えっ? 何? 何?
それだけかって聞かれても、他には答えようがないんだけど。
答えに詰まると、リズは手に持った扇を広げて口元を隠し、分かりやすく溜息を吐いた。
「最近、王宮を騒がしている噂がございますのよ?」
「えっ? 噂?」
噂と聞いても心当たりはない。
貴族間での噂は鮮度が命なところがある。
【聖女】の浄化能力や回復魔法の効果の高さについては一時王宮を騒がしていたけど、それも結構前の話で、今は下火になっている。
化粧品についても、最近は新商品を出していないから同様だ。
王宮で開いたパーティーで出した料理についても、そうよね。
未だ話題に上がることはあっても、騒がしていると言うほどではないと思う。
それなら、何の噂なんだろうか?
待てよ。
さっき師団長様との関係を聞かれたということは、そういうことなんだろうか?
師団長様関連というと……。
私が思い付いたと同時に、リズが言葉を発した。
「セイとドレヴェス様が婚約なさるかもという話を伺いましたわ」
「はい!?」
とんでもない発言に、はしたなくも大きな声で叫んでしまった。
そして、リズから話を聞いて頭を抱えた。
リズの話によると、師団長様と私についての噂が貴族の間で駆け巡っているのだそうだ。
噂の発端は、師団長様と私が劇場に行った日に同じ会場にいた人達だ。
あの日、ボックス席で師団長様と私が仲睦まじそうに話している姿を見て、彼等はあれこれと憶測を飛ばしたようだ。
その憶測に尾鰭背鰭が付きまくり、あることないことが噂として王宮で広まっているのだとか。
ちなみに、ないことの代表が、師団長様と私が婚約するという話だ。
そして、噂を耳にしたリズは大いに驚き、こうして私に真偽を問い正しに来たという訳だ。
「それでは、ドレヴェス様と劇場に行ったのは本当のことなのですね?」
「うん。家族が行けなくなったからチケットが余ってしまったって言われて……」
「それ、典型的なお誘いですわよ」
「でも、あのドレヴェス様からよ? 魔法にしか興味がない人だし、こういう噂が出るとは思わないじゃない」
「そうですわね。気持ちは分からなくもありませんわ。でも、油断しましたわね」
「うぅ……」
「自業自得ですわよ。男女二人きりで観劇に行くなど、迂闊にも程がありますわ。噂をしてくれと言っているようなものですもの」
「ハイ、モウシワケアリマセン……」
呆れたような視線を向けるリズに、私は平謝りするしかない。
リズが今口にした内容は、王宮で受けている講義でも習った内容だ。
知っていたにもかかわらず、師団長様の誘いを受けてしまったのは、私が完全に油断してしまっていたからだ。
リズの言う通り、異性と二人きりで出掛けるのは、格好の噂のネタになる。
それが劇場のボックス席という、微妙に密室とも言える場所なら尚更だ。
ボックス席って、家族や婚約者以外だと、一緒にいる人との親密さを周りにアピールするために使われることもあるらしいしね。
しかも、今回は宮廷魔道師団の師団長と【聖女】という大物の組み合わせだ。
これを目にした噂好きの人達が囀ってしまうのも仕方がない、とリズは言っていた。
「暫くは周りが騒がしくなるかもしれませんけど、そのうち落ち着くと思いますわ」
「そうかな?」
「えぇ。噂というのは、どんどんと新しいもので上書きされますもの。これに懲りたら男性からのお誘いには気を付けた方がいいですわよ」
「そうね、今後は気を付けるわ」
リズからのありがたい忠告を胸に刻み、お茶会はお開きとなった。
それから、二日後。
私は未だに、噂の件を引き摺っていた。
研究所の薬草畑でしゃがみ込み、地面を見詰めながら、心の中で奇声を上げる。
実際に声を出さないのは、誰かに聞かれたら変な人扱いされるからだ。
リスクを考える理性は、まだ残っていたらしい。
とはいえ、自分の迂闊な行動を後悔する気持ちは切り替えられない。
それというのも、リズと別れてから色々と考えてしまったからだ。
リズ曰く、この噂は王宮を騒がしている。
ということは、多くの人がこの噂を知っているということだ。
恥ずかしいことは恥ずかしいけど、知らない人達が話しているだけなら気にしないように気持ちを切り替えることはできる。
知っている人達に話されるのは……、百歩譲って、どうにか切り替えることができるだろう。
けれども……、あの人に知られてしまうと思うと、気持ちが騒めき、どうにも落ち着かなくなる。
あの人というのは、団長さんだ。
割と最近自覚したばかりだけど、私は団長さんのことが好きらしい。
姿を見られれば嬉しくなるし、話すことができれば気持ちはフワフワと浮き上がる。
何てことはない雑談でもだ。
こんなことは、他の人では感じない。
だからきっと、恋なんだと思う。
前の世界にいた頃と合わせても、こうした経験はなかったので、本当に恋なのかは不安なんだけどね。
そんな団長さんとの今の関係は、とても心地良いものだ。
けれども、師団長様との噂を知られたら、どうなるんだろうか?
リズの耳に入ったように、師団長様と私が婚約間近だと思われたら、距離を置かれてしまうのではないだろうか?
スランタニア王国でも、日本でも婚約者以外の異性と仲良くするのはご法度だし、真面目な団長さんが、そういった禁を犯すとは思えない。
あの温かな時間は、確実になくなってしまうだろう。
そう考えると、居ても立ってもいられない気持ちになった。
後悔先に立たずとは言うけど、今が正にそうだ。
あのとき、どうして私は師団長様のお誘いを受けてしまったのだろう?
貴族に限らず、他人の恋愛話は格好の話のネタになる。
少し考えれば、二人で出掛ければ、仲がいいとか、付き合ってるんじゃないかとか、そういった噂が出るのは予想できたのに。
あのときの自分には、さっぱり思い付かなかった。
いや、だって、まさか自分が恋愛事で人の口に上るようになるとは思わなかったし。
そんなに簡単に噂になるのって、中学生くらいまでじゃない?
中学生の頃だって、噂になったことなかったのに……。
喪女には噂になるような相手がまずいなかったけど……。
あー、でも、リズが言う通り、やっぱり迂闊だったよなぁ。
「本当に、どうしよう……」
言い訳と反省が交互に駆け巡る頭を抱えて、心の内を思わず零してしまったとき、後ろから名前を呼ばれた。
「セイ?」
「へ?」
突然、後ろから聞こえた声に飛び上がる。
聞こえてきたのは、今正に思い浮かべていた人の声だ。
慌てて立ち上がって後ろを向けば、そこには団長さんが立っていた。
「ホーク様?」
「どうした? 何か悩んでいるようだったが」
本人降臨に内心非常に焦っていたせいで、挨拶も忘れて呆然としてしまった。
そのことを咎めもせずに、団長さんは心配してくれる。
けれども、言えない。
絶対に言えない。
一番知られたくない人に、知られたくない内容を言える訳がない。
だから、ヘラリと笑みを浮かべて誤魔化した。
「あ、いえ。えーっと、何でもないです」
「そうか? 大丈夫なら、構わないが……」
未だに心配そうな表情を崩さずに、こちらを見る団長さんは少しだけ気落ちしているように見えた。
罪悪感がチクリと胸を刺したけど、それでも噂について悩んでいたことは言えなかった。
「どうしたんですか?」
「今度のセイの休みに、良かったら一緒に出掛けないか?」
「お出掛けですか?」
「あぁ。王都にある公園なんだが……」
王都に公園はいくつかあるが、中でも最も大きい物は貴族の社交場でもある。
広い庭園を持つ邸宅に住んでいても、公園に散歩に行ったりして、そこで会った人達とお話をしたりするんだそうだ。
暖かい季節には、ピクニックをする人達もいるらしい。
その公園に行かないかと、団長さんに誘われた。
「散歩には向かない季節だが、見せたい物があるんだ」
「見せたい物? 何ですか?」
「内容は着いてからのお楽しみだ」
ニッコリと笑って口元に人差し指を立てる団長さんに、後光が射したように見えた。
若干目を眇めつつ、団長さんを仰ぎ見る。
相変わらず、目の保養になる人ね。
それにしても、見せたい物って何だろう?
気になる。
行かなければ分からないというのなら、行こうかな?
団長さんとのお出掛けは楽しいだろうし。
そうして、承諾の返事をしようかなと思ったときに、ふいに怒ったリズの顔が脳裏を掠めた。
あ、これ、一緒に出掛けたら、また噂になるのでは?
二日前に怒られたばかりのことを思い出して、返事を思い留まる。
私は別にいい。
団長さんは、ほ、本命? なので、団長さんと噂になっても、嫌な気持ちにはならない。
恥ずかしいとは思うけど。
けれども、団長さんの方はどうなんだろうか?
私と噂になるのが嫌だったり、困るようだったりするなら、非常に申し訳ない。
先日のこともあるし、ここは断るのが正解だろう。
久しぶりの団長さんとのお出掛けだったから、後ろ髪は引かれるけど……。
「ダメだろうか?」
行きたい気持ちと、行ってはいけないと思う気持ちが鬩ぎ合い、お断りの返事をしようと漸く重い口を開いたとき、団長さんが柄になく気弱な声を発した。
肩を落とす団長さんの頭上に、しょんぼりと垂れ下がった耳があるように見える。
縋るような眼差しで見られて、出そうとした声は止まってしまった。
うぅ……、そんな目で見詰められたら……。
「ダメじゃないです」
無理。
あの状態の団長さんのお誘いを断るのは、私にはできない。
結局、行きたいと思った気持ちの後押しもあり、団長さんのお誘いを受けてしまった。
途端に、晴れやかな表情になった団長さんを見れば、ほっこりと胸が温かくなった。
仕方ない、後悔は後からしよう。
苦笑いを浮かべつつ、その場で団長さんと楽しい計画について話を続けた。