129 温泉
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ホーク家の別荘は領都から北へ、馬車で一、二時間ほど進んだ場所にある。
向かうのは私と団長さん、それから護衛をしてくれる騎士さん達だ。
騎士さん達は王都から来た全員ではなく、三分の一程が参加している。
休養も兼ねているようで、私達が別荘にいる間は交代で休暇を取るという話だ。
別荘から少し離れた場所に村の人達が生活する集落がある。
こちらには辺境伯家お抱えの騎士さんや兵士さん達が使う温泉施設があり、今回同行してくれた騎士さんも使っていいと領主様からは言われている。
それもあって、同行する騎士さんの選抜では熾烈な戦いが繰り広げられたようだ。
少なくはないけど多くもないといった人数だけど、私が思っていたよりは少ない。
領主様はともかく、誘ってくれた領主夫人は一緒に来るんじゃないかと思っていたんだけど、残念なことに外せない用事があるとかで来られなかった。
団長さんも私と同じように考えていたんだと思う。
領主夫人が来られないって話を聞いて、物凄く微妙な顔をしていたもの。
来ないと言えば、師団長様もそうだ。
師団長様も休暇を取るって聞いたから誘ったのだけど、断られたのよね。
何でも、別荘周辺に出る魔物よりも強い魔物が出る所があるらしく、温泉ではなくそちらに行くと言っていた。
魔物討伐の慰労のために魔物討伐に行くって、何を言っているのかよく分からなかったけど、師団長様らしいとは思う。
道中、団長さんと別荘へ着いた後のことや、王都に戻ってからのことを話していると、時間は瞬く間に過ぎ、気付けば別荘が見える所まで進んでいた。
別荘周辺のモミの林は地元の人によく手入れされているのか、木々の隙間から日が射し込み、静謐さを漂わせていた。
先に見える別荘の外観は予想に反した物だった。
ログハウスや木枠の部分が外部に露出した漆喰壁の木骨造の建物を思い浮かべていたんだけど、実物は全く異なり、石造りの館といった趣だ。
予想には反していたけれど、周りの景色とは調和が取れていて、これはこれで素敵だと思う。
馬車は別荘の正面で止まった。
団長さんのエスコートで降り立つと、別荘を管理している使用人さん達が既に玄関前へと勢揃いしていた。
恒例の挨拶を受け、早速中へと案内してもらう。
通された部屋は二階にある、寝室と応接室の二部屋からなる客室だ。
応接室にはテラスへと出られる大きな窓があり、そこからは湖面が煌めくのが見えた。
別荘の西側にはとても大きな湖があり、少し高台にある別荘からの眺めはすこぶる良いのだ。
二階にあるこの部屋からの眺めの良さは言うに及ばない。
「一階には広い浴場もございます。温泉を引いておりますので、是非楽しんでいただければ幸いです」
「温泉に入るのを楽しみにしてたので、後程入らせてもらいますね」
「承知いたしました。お入りになる際には我が家の者にお声掛けください」
「ありがとうございます」
「それでは、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ」
窓からの風景にうっとりしている間にも、部屋へと案内してくれた執事さんが別荘について説明をしてくれる。
領主夫人から聞いていた通り、別荘には温泉が湧き出る大浴場が完備されているらしい。
眺めが良くて静かで温泉もある。
なんて休養にいい場所なんだろう。
少し休んだら早速突撃しようと心に決め、説明を終えた執事さんへとお礼を伝えた。
一休みした後に向かった浴場は、思っていたよりも広かった。
学校の教室くらいの広さはあるだろうか。
天井は高いけど、浴槽から立ち上る湯気で周りはよく見えない。
見える範囲から推測するに、壁も床も浴槽も全て大理石でできているようだ。
あまりの豪華さに、思わず「おー!」と歓声を上げた。
王宮や領主様のお屋敷でお風呂に入るとき、いつもは侍女さん達が色々とやってくれるんだけど、今日は一人だ。
夢にまで見た温泉だ。
誰に気遣うこともなく堪能したかったので、今日はゆっくり入りたいからとお願いして、一人風呂の権利を勝ち取った。
こんな広いお風呂を独り占めだなんて凄く贅沢だと思う。
けれども、流石に侍女さん達に一緒に入ろうなんてお願いできないし、しても遠慮されるから、甘んじて独り占めの罪悪感は受け入れることにした。
「掛け流しだ!」
奥の方へ移動すると、湯気で見えなかった浴槽の様子が把握できた。
浴槽は奥の方の壁に寄せて造られていて、壁にある湯口から浴槽へと滔々とお湯が流れ落ちていた。
浴槽から溢れたお湯はそのまま排水されているようで、これが噂の掛け流しかとテンションが上がる。
体を洗って、いそいそと湯船に浸かれば、反射的に口から溜息が溢れた。
お湯の温度は少々低めで、長湯するのには丁度良さそうだ。
細部の作りは元の世界とあまり変わりがないみたいね。
強いて挙げるなら、湯口が見慣れない形をしているくらいだろうか。
この間見たアンデッドドラゴンの頭に形が似ているので、ドラゴンの頭のような気がする。
元の世界にあったライオンの頭型の湯口と同じように、口からお湯が出ていて、ちょっと面白い。
一通り観察が済めば、後はお湯を堪能するだけだ。
浴槽の壁に体を預けて、ぼーっとする。
しかし、何も考えないという状態も長くは続かない。
ついつい考え事をしてしまう。
「終わりか……」
思いを馳せるのは、今後についてだ。
濃くなり過ぎた瘴気を浄化するために喚び出された身だけど、その仕事がいよいよ終わろうとしている。
一区切りつくようで感慨深い。
気持ちとしては大きなプロジェクトが終わるときのような感じだろうか。
人生の区切りと言うほどではない。
案外落ち着いているのは、元の世界に戻る方法が見付かっていないということが大きいんだと思う。
浄化が終わっても環境が大きく変わる訳ではないので、単純に一つの仕事が終わったとしか思えないのだろう。
我ながら現金だなとも思うけど、こうして比較的あっさりとした気持ちでいられるのは、馬車で団長さんと話したことが大きく影響している。
団長さんと乗馬の練習をする約束をしたことで、ここまで気分が上がるとは思わなかった。
叫び出したくなるほど嬉しいという訳でもないのだけど、気持ちがふわふわとしているのは確かだ。
これも恋なのか?
経験したことがないからよく分からないけど、嫌な気分ではない。
残る仕事は、薬用植物研究所での研究だ。
こちらは当分終わらせる予定はない。
これからも、今までと同じように……。
「あっ……」
あまり思い出したくないことを思い出してしまった。
大きく溜息を吐きながら、ずるずると座る位置をずらして、体を更に沈ませる。
浄化の仕事はなくなるけど、今度は社交に勤しまなければいけないかもしれない。
世の中に【聖女】と縁付きたい人は多いようで、お茶会や夜会等の社交場へのお誘いが多いのよね。
今までは魔物の討伐を理由に断っていたのだけど、これからはそうもいかなさそうだ。
正直なところ、結婚と言われてもまだピンとこない。
漠然といつかは結婚するんだろうなとは思うけど、今はまだいいって思ってしまうのよね。
特に今は、団長さんに対して抱える地に足がついていないような感覚を、もう少し堪能していたい気持ちが強い。
だって、何だか楽しいんだもの。
再び、もぞもぞと動いて、頭を浴槽の縁に乗せて目を閉じる。
よし! 社交については棚上げしよう!
折角、休養に来てるんだから、今は楽しいことだけ考えていよう。
ホーク領での討伐の報告は団長さんがしてくれるから、王都に戻ったら研究所の仕事に勤しもう。
冬越しさせる薬草で植木鉢への植え替えや葉の剪定が必要な物もあるから、準備しないとね。
そうそう、領都で見つけた乾燥ソーセージなんかは日持ちがするから持って帰って、研究所の皆で宴会をするのもいい。
所長も食べたいって絶対言うだろうけど、団長さんと仲がいいから、もしかしたら食べたことがあるかもしれないわね。
後は……、リズやアイラちゃんとお茶会もしたいな。
ホーク領でよく食べられているお菓子は……、持ち帰りできなさそうだから、誰かにレシピを教えてもらえないかな?
難しいかしら?
まぁ、お土産話だけでも許してもらおう。
会えるだけで嬉しいしね。
後は、そうそう、団長さんが暇なときに乗馬を教えてもらおう。
乗れるようになるか微妙なところだけど、乗れるようになったら遠乗りに行こう。
きっとその頃には気温も暖かくなってるだろうから、サンドイッチでも作って、出先でピクニックにしてもいいかもしれない。
サンドイッチには鶏肉の香草焼きでも挟んで、ボリュームのある物にすれば、団長さんも喜びそう。
ピクニックだけじゃなくて、他にも何か……何か?
ふと我に返ると胸の辺りからモヤモヤと、覚えのある感じがする。
慌てて周りを見回せば、浴槽の上には金色の靄が掛かっていた。
温泉の心地良さに気が抜けたのか、うっかり魔力が漏れ出してしまったらしい。
えっ!? どうしよう、これ……。
呆然としたのは一瞬。
お風呂の中には自分しかいないことをいいことに、すぐさま【聖女の術】を行使すると、浴槽全体が輝いた。
光が収まった後に、お湯を掬えば、中には金色のラメが散っていた。
発動前に願ったのは、温泉から浮かぶキーワード。
疲労回復、腰痛肩こりの改善、お肌ツルツル、エトセトラ、エトセトラ……。
一瞬のことだったから、どこまで効果が付与されたかは分からないけど、妙な効果が追加されてしまったのは確かだ。
もっとも、ここは掛け流し。
浴槽の湯はそのうち全て入れ替わるだろうから、【聖女の術】を使ってしまった痕跡は残らないだろう。
危ない、危ない。
温かいはずの温泉でほんのり冷や汗をかきながら、これ以上の失態を犯す前に湯船から上がることにした。