103 万能薬
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所長にお願いしてから一週間後。
夜の帳も下り、そろそろ自室へと戻ろうかと思った頃、所長が研究室へとやって来た。
入り口で手招きされたので向かえば、所長は外へと足を向けた。
少し急ぎ足で追い付き、横に並ぶ。
「どこへ行かれるんですか?」
「林檎の苗木の用意ができたんだ。ただ、場所がちょっと離れててな」
研究所の外に出てから、行き先を尋ねれば、林檎の苗木のところだと言われた。
もしかして、王宮の果樹園に向かうのかしら?
王宮には研究所の薬草畑だけではなく、野菜畑や果樹園もあるのよね。
木の大きさや、今後の栽培を考えれば、そちらの方がいいのだろう。
しかし、予想に反して、連れて来られたのは立派な温室だった。
外から見た感じ、中は結構広そうだ。
そして、ガラスでできた温室は中から布で目隠しされていて、様子を覗くことができない。
これでは温室よりも暗室といった方が良さそうだ。
けれども、所長の後から中に入ると、中の様子は普通の温室と変わらなかった。
ただ、部屋の中の気温は外と変わらない。
これは一体どういうことかしら?
室内の異様に首を傾げていると、所長が教えてくれた。
「お前が使おうとしてるのは【聖女】の術だろう?」
「はい。その予定ですけど」
「なら、滅多な者に見られる訳にはいかないからな。陛下に頼んで用意してもらったんだ」
「そうだったんですね」
「あと、お前の魔法は派手だからな。本当なら昼間の方がいいんだろうが、夜の方が出入りが見られなくて済むということで、この時間にしたんだ」
「ありがとうございます」
言われてみれば、そうだ。
【聖女】の能力は、魔物の殲滅に関すること以外は秘匿事項だ。
周りに人がいなければ大丈夫かなと思っていたけど、陛下にお願いすれば、人払いも何のその。
成果物である林檎の木すら、こうして隠せるよう、念入りに手配してくれたようだ。
温室の広さはそれなりにある。
奥の方に行くと、所長が「これだ」と一本の苗木を指差した。
苗木の周りは十分な空きがあり、温室の天井も高い。
これなら、自重なく育ててしまっても大丈夫そうだ。
一度目を閉じ、息を整えるように深呼吸する。
胸に手を当てて、団長さんのことを思い浮かべる。
最近は【聖女】の術の発動にも大分慣れた。
蜂蜜の感想を伝えたときの団長さんの笑顔を思い浮かべると、自然と笑みが浮かぶ。
胸の奥からふわりと魔力が湧き出るのを感じ、そっと目を開くと、辺りに金色の靄が漂うのが見えた。
林檎の苗木を見て、実が収穫できるところまで育つように祈る。
その際に、つい万能薬のことも考えてしまった。
あ、変な効能が付いたらどうしよう?
それなら、それでいいか。
秋が来てから普通の林檎で試作して比較すればいいし。
そこまで考えたところで、術が発動し、苗木の周りが強く輝いた。
低かった苗木はどんどんと成長する。
一定の背の高さまで育つと、今度は花が咲き、実が付いた。
早送りで成長していく様子を、隣にいる所長が驚きの表情で眺めている。
かなり驚いているようで、珍しく僅かに口が開いていた。
横目にそれを眺めながら、クスリと笑う。
そうして実が赤く色付いたところで、術の発動は終了した。
「これがクラウスナー領でやったことか」
「はい。あちらはもっと広範囲が対象でしたけど」
「そうだ。体調は大丈夫か? クラウスナーでは倒れたんだろう?」
「大丈夫ですよ。今回は木一本だったんで、それほど魔力も使ってないみたいです」
辺りの明るさが元に戻ると、所長が声を掛けてきた。
クラウスナー領で術を使った直後に倒れたことも、所長の耳に入っていたらしい。
今回は対象が木一本だったので問題ないと伝えれば、所長は笑みを浮かべた。
木に近付き、実をもぎ取って観察する。
術の発動直後は、周りが金色の粒子で覆われていた。
けれども、その輝きが消えてしまえば、ぱっと見は普通の林檎と変わらない。
昔、薬草に【聖女】の術を掛けたときと同じだ。
同じように観察していた所長はというと、林檎を眺めながらひくりと頬を引き攣らせていた。
普通の林檎との違いが何かしら判るのだろう。
上手くいった証拠だ。
さて、後はこのリンゴを使って、全力でポーションを作るのみ。
勢い込んだ私は、研究所に戻ってそのまま試作に取り掛かろうとした。
すぐさま、所長に止められたんだけどね。
一度休んで、明日にするよう注意を受けたのだった。
林檎を収穫して一ヶ月。
テンユウ殿下が留学途中にもかかわらず、ザイデラへと帰国した。
なんでも、ザイデラにいる母親の容態が悪化したという連絡が来たそうだ。
しかし、それは表立っての理由。
母親の治療薬が手に入ったので、一刻も早く届けたかったというのが本当の理由だそうだ。
温室で育てた林檎と、団長さんから貰った蜂蜜でポーションを作ったところ、濃い黄色のポーションが出来上がった。
今回も師団長様に鑑定の依頼を出したのだけど、鑑定結果は書類ではなく、宮廷魔道師団の隊舎で聞くことになった。
何でも、情報漏洩を気にしてのことのようだ。
それを聞いた時点で、鑑定結果は良いもののように思えた。
所長と一緒に師団長様の執務室へと向かうと、部屋の中には師団長様とインテリ眼鏡様もいた。
師団長様の口から「万能薬です」と伝えられたときは、やり切った感動で思わずガッツポーズをしてしまった。
所長はそこまでしなかったけど、嬉しそうに笑っていたわね。
師団長様はいつも通り、のほほんと微笑んでた。
インテリ眼鏡様は何故だか眉間の皺が増えていたかな。
報告は以上ということで、少しばかり感動に浸った後はすぐに研究所へと戻った。
行きは二人だったけど、帰りは一人だった。
所長はその足で、宰相様のところに報告に向かったのだ。
所長は研究所に戻ってくると、すぐに私を所長室へと呼んだ。
そこで告げられたのは、万能薬の作製は暫く行わないことという陛下からの通達だった。
物が物だけに、いつまでかは分からないけど、存在を秘匿することになったのだとか。
そこまで聞いて、テンユウ殿下のことが頭を過った。
所長に確認すると、テンユウ殿下に渡すかどうかは陛下達が決めると返ってきた。
これ以上、私が出来ることはないと。
万能薬開発の許可を貰う際にも聞いた話だ。
大人しく、所長の言うことに従った。
そうして、暫く後にテンユウ殿下が帰国したという話が聞こえて来た。
かなり慌ただしく出国したようで、研究所へも来ることはなく、挨拶の手紙だけが届いた。
手紙には視察についてのお礼が、これでもかという美辞麗句と共に書かれていた。
手紙の内容を知っているのは、所長室に呼ばれて、見せてもらったからだ。
その際に、所長からテンユウ殿下の帰国の本当の理由と、万能薬の顛末を教えてもらった。
どうやら、陛下達は作製者を伏せて、テンユウ殿下へと万能薬を譲ったらしい。
そこで、どういった遣り取りが行われたかまでは所長も知らなかった。
それでも、テンユウ殿下の元へと万能薬が届けられたことは嬉しかった。
側室様は無事に回復するだろうか?
鑑定結果にも全ての状態異常を回復すると表示されていたらしいし、無事に回復するわよね?
いつか、テンユウ殿下から結果が聞ければいいなと、そう思った。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お陰様で、無事に小説6巻の発売日を迎えることができました!
数日前より発売が開始されている書店様もあるようですね。
お買い上げくださった皆様、ありがとうございます。
もしまだの方でご興味のある方は、お手に取っていただけると幸いです。
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