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聖女の魔力は万能です  作者: 橘由華
第三章
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舞台裏14 練習

ブクマ&評価&誤字報告ありがとうございます!

【聖女】のお披露目が開催されることが各貴族家に通知されて数日後。

 王都にあるヴァルデック伯爵邸の小広間にて、ヨハンは一人、ダンスのステップを踏んでいた。

 かつて講師について習っていたときとは異なり、音楽も指導をしてくれる人もいなかったが、体は覚えていたようだ。

 簡単なものとはいえ、久しぶりの割には動けることに、ヨハンはホッとする。


 繰り返し踊り、何回目かの区切りの良いところで、手を打ち鳴らす音が聞こえた。

 足を止めて、部屋の入り口の方を見ると、いつの間に来ていたのか、ヨハンに面差しがよく似た男性が笑顔を浮かべながら拍手していた。

 ヨハンの五つ上の兄であるローラントだ。



「珍しいな、お前が踊っているなんて」

「えぇ、まぁ……。兄上こそ、こんな時間にいるなんて珍しいですね」

「なに、お前が練習していると聞いて、様子を見に来たんだ」



 ローラントは現当主である父親の右腕として活躍している。

 外はまだ明るく、普段から忙しくしているローラントが家にいるのには早い時間だ。

 珍しく、時間が空いたのだろうか?

 こんな時間に在宅しているローラントにヨハンが訝しげな視線を送ると、ローラントは理由にもなっていない理由をヨハンに告げた。

 そのことに、ヨハンの眉間の皺が深くなる。


 ヨハンの実家であるヴァルデック家は数ある伯爵の中でも上位に位置し、王宮内での発言力もそれなりに強い。

 そのため、嫡男であったローラントは、ヨハンよりも厳しい教育を課されてきた。

 幸いにして、ローラントは優秀で、周りの期待通り、後を継ぐ者として立派に育った。


 ヨハン同様、ローラントは甘い顔立ちと柔らかな物腰で、一見すると人当たりの良い、優しい人のように見える。

 しかし、ローラントをよく知る者はそれだけではないことを知っていた。

 弟であるヨハンももちろん、ローラントが次期当主に相応しい中身をしていることをよく知っている。


 そんな男が、いくら珍しくとも、弟がダンスの練習をしているのを見るためだけに顔を出す訳がない。

 何かしら別の用があるのだろう。

 そう思い、ヨハンはローラントの次の言葉を待った。



「そうやって練習しているということは、今度の舞踏会に出るつもりなのか?」

「そのつもりです」

「やはり、【聖女】様がお出ましになるからか?」

「一応、部下なので」



【聖女】という単語に、セイのことを聞きたいのだろうかとヨハンは考えた。

 お披露目が開かれることが通達されてからというもの、貴族の間で今一番話題になっているのは【聖女】のことだったからだ。


 王宮と研究所以外の場所にはほとんど行かないセイと面識がある者はそう多くはない。

 研究所や、第二、第三騎士団の人間、それからごく一部の文官くらいだ。

 そこから更に夜会等に出る人間となると、かなり少ない。

 そのため、夜会等の社交の場では【聖女】の話を聞こうと、彼女と面識のある者達の周りに、多くの人が集まるという。


 ヨハン自身はそのような場に出ることはないが、ローラントはよく顔を出している。

 ローラントとセイは面識がないが、ローラントの弟であるヨハンは薬用植物研究所の所長だ。

 ローラントからも【聖女】の話を聞けるのではないかと、囲む者がいてもおかしくない。

 だから、話題提供のためにローラントがセイについての話を聞きたいのではないかとヨハンは考えた。


 しかし、その考えはすぐに疑問に変わる。

 それだけのために時間を取るだろうかと。



「随分と目を掛けているんだな」

「多少は……。彼女は少々特殊な立場にいますから」

「そうだな。舞踏会ではダンスのお誘いが次々と来そうだ」



 兄の言葉に、ヨハンは苦笑いを浮かべる。

 ローラントの言ったこと。

 正にそれが、ここ数年、社交の場には出ていなかったヨハンが、今度の舞踏会には出ようとしている理由だった。


 お披露目はされていないといえど、魔物の討伐に行く関係で、セイは一部の貴族の間では知られている存在だ。

 根が真面目なためか、討伐にも真摯に取り組んでいるようで、出向先の領主達からの評判はとても良い。

 どこかから聞こえてくる話では、ヨハンが自重しろと言ったにもかかわらず、セイは旅先でも何かしらやらかしているようでもある。

 それがまた、評判に拍車をかけていたりもした。


【聖女】という地位だけでも価値を見出す者がいる中、領主達の話から、自分の利益になりそうなことを嗅ぎ付けた者達もいる。

 そのため、セイが正式に社交の場に出てくる舞踏会で、縁を繋げようとする者が多く出ることが予想された。

 今でも、セイと面識があるというだけで取り囲まれるのだ。

 想像に難くない。


 そうした縁を繋ぎたい者達がまず最初に取る手段は、セイに声を掛けることだろう。

 それはまだいい。

 問題は、ダンスだ。


 セイが王宮で受けている講義の中にもダンスは含まれているので、踊ることについては問題ない。

 ただ、ダンスに関するマナーの中には少々問題になるものが含まれているため、注意が必要なのだ。


 例えば、最も踊る回数が多い異性が結婚相手の本命と見做されるといったようなものがある。

 このマナーを逆手に取って、意中の相手と恋仲だと言い触らし、結婚を迫る者がいたりする。

 そのため、通常は配偶者や婚約者でもない限り、同じ相手と二曲以上踊る者はいない。


 単純にセイの地位や評判から考えて、このマナーを逆手に取る者が出る可能性は高い。

 恐らく、そのことは王宮側も予見していて、舞踏会の前にはそのような行為を控えるよう、改めて指示が出されるだろう。

 それ故、可能性は低くなると思われるが、それでも出ないとも限らない。


 セイの性格からして、ダンスに誘われれば断ることはできないだろう。

 マナーの講義を受けていることもあり、紳士的に誘われたのであれば、二曲目を断ることはできるかもしれない。

 しかし、二曲目を強引に踊らされそうになったときに上手く回避できるかというと不安が残る。


 セイもいい大人だ。

 そこまで自分が心配することではないのかもしれない。

 それに、セイとアルベルトが仲睦まじいことは、それなりに有名だ。

 今更、二曲以上踊った者が現れたとしても、アルベルトの優位は覆せないとも思う。


 けれども、二人は婚約している訳ではない。

 一縷の望みに賭ける者がいないとも限らず、またそうなれば面倒なことになるのは考えなくとも分かることだった。

 そして、もしも不安が的中したらと思うと、ヨハンは対策を立てずにはいられなかった。

 面倒事は起こらない方が良い。


 ヨハンが立てた対策とは、セイと踊る相手を制限することだった。

 自分とアルベルト、あともう一人くらいと踊れば、後は疲れたとでも何とでも言ってダンスを断ることもできる。

 何度か踊ってさえしまえば、セイにはできなくとも、自分かアルベルトが代わりに断ることもできるだろう。

 そう考えたヨハンは、久しぶりに舞踏会に出ることにしたのだ。


 そんなヨハンの思惑を理解しているのか、ローラントは顎に手を添えて少し考え込んだ後、笑みを深くして口を開いた。



「そうか、ヨハンは【聖女】様と踊るつもりなのか」

「そのつもりです。初めは慣れている相手と踊った方がいいですし」

「そうだな。そのまま、二曲、三曲と踊るつもりはあるか?」

「は?」



 一瞬言われたことを理解できず、ヨハンは貴族らしからぬ応答を返した。

 そのことには触れず、ローラントは話を続ける。



「【聖女】様の結婚相手について、話が出ているんだ」

「結婚相手ですか?」

「あぁ。彼方此方の家で候補を擁立する動きがある。うちの最有力候補はヨハンだ」



 ここまで聞いて、ローラントが出向いた目的がセイの結婚相手の話だということにヨハンは思い至った。

 ヨハンは目先の舞踏会のことに囚われていたが、周りでは大元の結婚相手についての話が同時進行していたようだ。


 ローラントの言っていることは理解できる。

 分家を含めたヴァルデック一門の中で、最もセイの身近にいるのはヨハンだ。

 仲だって悪くない。

 周りがヨハンを最有力候補として担ぎ上げても、おかしくはない。



「候補を擁立って、何をするつもりですか?」

「それはもちろん、身上書や肖像画を王宮に提出するに決まっているだろう。お前の場合は、肖像画はいらないかもしれないが」



 分かってはいたことだが、ヨハンが呆れながら聞けば、予想通りの答えが返ってくる。

 所謂、貴族のお見合いだ。

 通常と違うことといえば、提出先が相手の家ではなく、王宮だということくらいだろう。

 少しだけ頭が痛くなり、ヨハンは右手で額を押さえた。



「却下で。候補のお話は断ってください」

「分家筋がうるさくてな。他からどうしてもと言われているんだが」

「それでもです」

「お前のために色々と便宜を図ってやっているというのに、つれないな」

「あー、それについては申し訳なく思っていますが……」

「少しは兄に恩返しをしようと思ってくれてもいいと思うんだが」

「それとこれとは話が別です。それに商会の件では、金銭はともかく色々と、利益を得ていたと思うんですがね」



 ローラントの言葉に、ヨハンが半目で睨むと、ローラントは笑いながら肩を竦めた。


 確かにセイの化粧品を売る件について、当主である父親をはじめとして、ローラントにも世話を掛けた自覚がヨハンにはあった。

 特にセイの商会を新しく立ち上げる直前には、他家の貴族も出てきたほどで、その対応に苦慮していたのも知っている。

 それでも、化粧品を商会に仲介することによって、有形無形問わず、何らかの利益をヴァルデック家が受けていたことも確かだ。

 故に、今回の見合い話と釣り合いが取れるほどの恩は感じていない。

 もっとも、それはローラントも理解していることで、商会云々の話はローラントの冗談だった。



「それに、ホーク家と敵対したいんですか?」

「したくないな」

「なら、諦めてください。俺も友人の恋路を邪魔するのはごめんです」

「そうか。いい話だと思ったんだけどな」



 いくら最有力候補といえども、派閥の中だけの話であることを、ヨハンはよく理解していた。

 何せ、本当の最有力候補が親友なのだから。


 もしも、ヨハンが候補に立ったとしても、アルベルトは怒らないだろう。

 そうは思うものの、ローラントを諦めさせようとアルベルトの家の名前を出せば、ローラントはあっさりと引き下がった。


 ローラントもヨハン同様、昔からホーク家の兄弟とは懇意にしている。

 アルベルトとセイのことについては、ローラントの耳にも入っていた。

 だから、ローラントとしては、言うだけ言ってみようという程度の話ではあった。

 ヨハンが受けてくれたら、面倒事が一つ減るくらいの感覚だ。


 ヨハンは内心で「良くない」と叫んでいたが、結局はローラントをジロリと睨むだけに留めた。

 ローラントは、その視線をどこ吹く風という様子で受け流す。

 そして、ヨハンの肩を一つ叩くと、その場を立ち去った。

 ヨハンはそんな兄の後姿を見送り、一つ溜息を吐くと、再びダンスの練習に戻った。


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