第四話〜あの時〜後編
それら、全てから目をそらせて、ヨシトは一日一日を過ごした。
日曜日、その頃はまだ友達も多かったヒロが、数人で連れ立って遊びにいくのを、カーテンの陰から見送った。
ふと見上げるヒロの視線に、慌てて隠れながら、明るい笑い声に胸をなでおろす。
そして火曜日。あれからちょうど一瞬間。気持ちのよい、さわやかな朝だった。
いつもと同じようにヨシトはバス停に向かい、そしてヒロを見つけた。
「おす。おはよう」
さりげなく声をかけられたことに満足しながら、ヒロに駆け寄る。――大丈夫だ。今日も昨日と同じ……
「なんだよ。寝ぼけてんのか……」
ヒロは返事をしない。振り向きもしない。ヨシトに気づいた様子さえない。
ヨシトは急に不安になった。その理由は分からないまま。
「なあ、なに見てんだよ。何かあるのか?」
ヒロの視線をたどっても、向かい側のバス停があるだけ。さっき一台バスが行ったばかりだから、今は誰もいない。その手前を、通勤途中の車が行き交う。
「何もねえじゃねえか」
少し躊躇いながら、ヒロの顔を覗き込み、息を呑む。
彼女は、何も見ていなかった。少なくとも、ヨシトはそう思った。
「ヒロ……?」
ふう―― と、柔らかな風が吹いた。
ヒロの瞳が、なびくように揺れた。
その中に自分が映った、そうヨシトが感じた瞬間、ヒロが足を踏み出した。
何気なく、ただ、歩いた。
車の行き交う国道を、まるで青信号の横断歩道を渡るみたいに。
音は確かに聞こえていた。タイヤがアスファルトをかきむしる音を、薄いボンネットがへこむ音を、ちゃんと覚えている。
目だってちゃんと見えていた。宙を飛ぶヒロのスカートが、妙にゆっくりとはためいていたのも、乱れた髪の下から広がっていく血の赤黒い色も、ちゃんと覚えている。
だけど、すべてがしんとしていた。すべてが真っ白だった。
時が止まったその一瞬、ただ、俺のせいだという声だけが、ヨシトの耳に聞こえ続けていた。
見ていただけなのに。そんな言い訳が、頭の中をぐるぐると回る。
だけど何かが、見ているだけじゃない何かができたはずだ。
傍観という名の罪があることを、ヨシトははじめて知った。
その日からずっと、ヒロは恋愛の対象でも、ましてや、性愛の対象などではなくなってしまった。
償い。
それだけが、二人をつなぐ絆。
それだけが、ヒロのそばにいられる理由だった。
今日までは。
だったら、ヒロはどうしてヨシトと一緒にいるのだろう。
そのことを考えたことは、一度もなかった。
そう。今の、今まで。
ザンッ。
山を揺らした生温かい風が、ヨシトの頬をなぶる。
それがまるでヒロの掌であるかのように感じ、身震いする。
動悸が激しくなっているのが、自分でもはっきりと分かる。息苦しささえ感じる。けれど、呼吸が荒くなっているのはそのせいだけじゃない。
人の目が、ぬらりと濡れた奥の瞳が、ヨシトの瞳の、さらに奥の脳髄を捉えて離さない。
欲望が、ヒロを欲しいという原初の感情が、ヨシトを支配しつつあった。
『けもの』
ヒロが拘っていた言葉の意味が、分かった気がした。
ごめんなさい、更新遅れてます(泣)
まずは言い訳(以下略)
では、次回までっ!