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けもの  作者: 弥招 栄
8/9

第四話〜あの時〜前編





 近づいてくるヒロから逃げるように後退りながら、ヨシトは己の中心を痛いほど意識していた。

 あの日から、無理やり押さえつけていた衝動が、いま一時に襲いかかる。

 ヒロに対して性的な感情を持っていなかったからといって、ヨシトが異性に興味ないわけじゃない。

 ただ――

 あの日、自分ちの二階のベランダから、低い植え込み越しに見た光景が、常にかせとなっていた。

 開かれた窓の向こう、カーテンの隙間、常夜灯に照らされて。

 裸で組み伏せられて、激しく揺れる黒髪の間から覗いたヒロの顔は、確かに苦痛に歪んでいた。――そう見えた。

(助けなきゃ)

 だけどヨシトは動けなかった。

 友人の家で、アダルトビデオを見たことがある。

 ヨシトと同じく童貞であるはずの友人がしたり顔で『うわぁ、やらしーな。こんなことされて喜んでるよ』、そういったときの、画面の中の女優の顔。それと同じ表情に見えた。だから。

 仔猫の泣き声が、いっそう高まった。

 ヒロは、何かから逃れようとするかのようにのけ反った。

 そして、涙に濡れた目が――

(泣いてる。助けなきゃ)

――ヨシトのまばたきを忘れた目とあった。

 ヒロは確かに、ヨシトに気づいたはずだ。

 仔猫の泣き声は続いているのに、彼女の身体はずっと揺れ続けているのに、ヒロの目は、その奥の瞳は、その中心は、ヨシトを捉えて離さない。

(助け……なきゃ)

(ヒロが泣いてる)

(助けなきゃ)

(どうやって?)

(ここから飛び降りて)

(ケーサツ)

(表に回って玄関から)

(『喜んでるとき――)

(父さんに)

(大声を出せば)

(――女は泣くんだぜ』)

(へぇー、ほんとかよ?)

 泣き声はだんだんと高まり、揺れはさらに激しさを増して――終わった。

 だけど、最後の瞬間まで、ヒロはその瞳をヨシトに向けていた。それが、ゆっくりと閉じられる。

 いたたまれなくなって、部屋の中に入ろうとしたヨシトの視界にはじめて、ヒロの上に乗っていた男の頭部が映った。

 とてもよく知っている、隣のおじさんの顔。

 ヒロの、父親の顔……


 次の日の朝、ヨシトはバス停で、ヒロと会った。

「おはよう」

 とっさに目を逸らしかけたヨシトに、ヒロは声をかけた。

 いつもと変わらない、明るい声。明るい笑顔。

「……おはよう」

 ぎこちなく、ヨシトも応える。

「ね、宿題やった? 後で見せてよ」

「う……うん」

 昨夜の事は、もちろん言い出せなかった。

 父親とあのような関係になることがよくないってことは、ヨシトも知っていた。

 たとえそうじゃなくても、普通は人に見せるものでも、見られて嬉しいものでもないだろうと、想像はついた。

 助けられなかった、助けなきゃいかなかったのかすら判断できなかった、そんな後ろめたさもあった。だから、いつもと変わらないヒロの態度が嬉しかった。

 いや、都合が良かった。

 少し考えれば、分かったはずなのに。

 昨夜のことを気取らせまいと、ヨシトはかえって挙動不審になっているのに、どうしてヒロはいつもと変わらないのか。

 もし、ちゃんとヒロの顔を、ヒロの目を正面から見ることができていれば。

 彼女が壊れかけていることに気づけたかもしれないのに。

 だけど、その代わりに、ヨシトはその夜の出来事を『なかったこと』にした。

 ヒロのことを恋愛対象としてみるには、ヨシトはまだ子供だった。意識するには、一緒にいる時間も長すぎた。

 だからといって、彼女が特別な人間じゃなかったわけじゃない。何も変わらなかったわけじゃない。

 顔を合わせていれば、ヒロの笑い声に泣き声が重なって落ち着かない。

 夜になれば、また泣き声が聞こえるんじゃないかと耳を澄ませた。

 あの光景を思い出して、オナニーもした。

 ベランダから隣の窓をうかがうことさえした。

 そのぶん昼間は、以前と変わらぬ、何も見ていないふうを装った。

 ヨシトの目には、ヒロも以前と変わらないように見えた。

 それは、あの光景が一度限りの事ではなく、幾度も繰り返されてきた証に思えて、ヨシトの心をざわつかせたが、それも隠し通した。――そのつもりだった。

 もしヨシトが、自分をつくろうのではなく、ヒロを見ることに心を砕いていれば、気づいたはずなのに。

 彼女が、いつも以上に、不自然なくらい、ヨシトの姿を目で追っていたことに。

 いや、それでも気づくことはできなかっただろうか。

 目が合いそうになるたびに、ヨシトは慌てて目を逸らし、そしてその度に、ヒロの目が哀しそうに伏せられたことに。





いつもありがとうございます。


ちょっとダーク?


でも、いいよねぇ。

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