第三話〜坂道〜後編
「なあって」
ヒロの背中が、急に小さくなった。
「私って、けものなのかな……」
(猫の)
「なんだそりゃ」
「人はサ、人に生まれたら、勝手に人として生きていけるわけじゃないんだよ、きっと」
「なに、急にテツガクしてんだ?」
からかいの調子を声に込めようとして、ヨシトは失敗した。冷たい距離が、ヒロとの間に生まれた、そんな気がする。それを少しでも埋めようと、ヨシトは足を速めた。
「じゃあ、お前は人じゃないってのか? じゃあ、なんだよ」
(泣く声が)
「――けものか? けものってなんだよっ」
「けものってなに?」
ヒロは顔をうつむかせたまま、一定のテンポで足を動かし続けている。
ヨシトは困惑した。どんなに足を急かしても、ヒロに追いつけない。人とけものの世界を分かつ線が、二人の間に引かれているのか。まるで足下の擦れた白線のように。
――ちがう!
ヨシトは歯を食いしばった。
――俺たちはずっと一緒にいたんだ。ずっと、同じところに。
だけどあの時、視線が絡み合ったとき、いくら手を伸ばしても届かない、手を伸ばすことすらできない距離が、分厚い壁が、二人の間には無かったか?
たぶん、ほんのちょっとの勇気で乗り越えられたはずの、無限に遠い距離。
「ねえ」
ヒロが不意に立ち止まり、くるりと振り向いた。
ヘッドライトとも、街灯とも違う、点滅する薄暗い明かりが、彼女の横顔を照らしていた。
「疲れた。休みたい」
「だから、なに言って――」
「雨降りそうだし。休んでこ」
あたりの景色が、ようやくヨシトの意識に届いた。
ちらちらと色を変える、くすんだネオン。ところどころが切れたままの、電球の群れ。風にばさばさと音を立てる、色あせたビニールののれん。
峠の途中にポツリとある、瀟洒を装った、夜の建物。
「ば、馬鹿。ここは……」
「大丈夫。おごってあげる。バイト代、出たばかりだから」
まるで、喉が渇いたからジュースを飲もう、おごってやる、そんな口調。
「な――」
開いた口から、それ以上の言葉が出てこない。ヨシトの喉が、灼けたようにひりつく。
「どうしたの?」
ヒロが一歩近づいた。
ご宿泊・ご休憩・フリータイムと書かれた料金表の明かりが、彼女の顔を、目を、照らす。
熱を帯び、潤んだ光を放つ瞳、上気し、汗ばんだ頬。ゆるく開かれた唇。
――違うっ! これはヒロの顔じゃない!
「私、知ってるよ」
「な……なにを」
――これは
(猫の泣く顔)
「見てたでしょ」
(浅黒い大人に組み伏せられてなく仔猫)
――成長した牝猫の顔
「ど、どうして――」
――せっかく、ぶっ壊れた日常こそが日常だと、そう思えるようになったのに
「ヨシトは私としたくないの?」
「なんで急にそんなことを言うんだよ!」
いつもありがとうございます。
……ちょっとオフラインがえらいことになってまして(泣)
何とか更新は続けて生きたいとは思っていますので、よろしくです〜。
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