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けもの  作者: 弥招 栄
6/9

第三話〜坂道〜前編




「あちー。ぜんぜん涼しくなんねえな。ジュースのみてぇ」

 左手でパタパタと顔を扇ぎながら、ヨシトはぼやいた。犬みたいに舌を出して、わざとらしくハァハァと息をしている。

「さっき飲んだばっかりじゃない」

「うるへー。鞄全部人に待たせやがって。くそー。二、三本買っときゃよかった」

 肘にかけていたヒロのトートバッグを振り回して、道を見上げる。変なところでまじめなヒロの鞄には、一日の授業で使う教科書の類が全部入っていて、ずしりと重い。そして、この先国道は山間に入り、ちょっとした峠と短いトンネルを越えないといけない。

 夜になっていっそう湿気を帯びた空気は、トラックの熱い排気ガスと混じりあって、薄いシャツを素肌に張り付かせる。

 さらに五分ほど登ったとき、ふう、と息を吐く声が聞こえた。

 その声に釣られて目をやると、広がシャツをつまんで、はたはたと風を送り込んでいる。

 トラックのライトがボタンをはずした襟口から射し込み、汗ばんだ胸元と白い下着を照らし出した。ヨシトは意識せぬまま、目を逸らす。

 バスでならあっという間の坂道も、いや、だからこそ終わりのない急坂に思えて、疲れをよぶ。スポーツに縁のないヒロには余計に堪えるのだろう――それはヨシトも同じだったが。

「疲れた。休みたい」

「なに言ってんだ。雨が降り出したらどうすんだよ。早く帰らないと」

 見上げれば相変わらず月はない。鈍色の雲の動きは見えないが、生暖かい風は、少しずつ勢いを増してきていた。

「うわ!?」

 ヨシトが空を見上げている隙に、ヒロが彼の前に回りこんでいた。それに気づかなくて、彼女の背中にぶつかってしまう。

「なんだよ」

「押して」

「はぁ?」

「背中押してよ」

 肩越しに振り向いて、ヒロが言う。憎たらしいことに、ニコリともしていない。

「てめ、誰のせいで歩かなきゃいけねえって思ってんだ」

「ヨッパライオヤジのせい?」

「はいはい、そうだねぇ」

 ヨシトは諦めてトートバッグを肩にかけると、よいしょ、よいしょとヒロの背中を押し始めた。

「うわぁ、らくちん」

「そ、そりゃ……よかった……ネ、と」

 ハァハァと息を切らし、ぶつくさ言いながらも、ヨシトは押すのをやめようとしない。

 掌に伝わるじめついた体温も、疲れた身体にのしかかる重みも、なぜか心地よい。

 ヒロは全く自分の足で登ろうとはしていない。それどころかそっくり返って、完全にヨシトに身体を預けている。

 もしヨシトが不意に押す手を外せば、きっと彼女は背中をアスファルトに打ち付けるだろう。

 そこに現れた信頼が嬉しい。それを裏切ることは、二度とできない。

――二度と?

 ヨシトは頭を振った。――俺はヒロを裏切ったことはない。

――だけど……仔猫の泣き顔が――

「ちょ、ちょっと、止めてよ」

 突然強い力で押されて、ヒロが悲鳴を上げた。

「もたもたすんなよ」

――網膜から消えない。

 しかし、ヨシトの息が続いたのは、ほんの三十秒ほどだった。膝に手をついて、立ち止まってしまう。肩からずり落ちたヒロのバッグが、地面にぶつかる寸前で、手首に引っかかる。

「やっぱりあんた、馬鹿」

「るせ」

 腰に右手を当てて睨みつけているヒロの息も、途中からほとんど自分の足で走ったからだろう、肩を揺らすくらいに上がっている。

「なあ……」

 しばらく呼吸を整えてから、ようやくヨシトは顔を上げてヒロを見た。白い肌を桜色に上気させ、その上に汗に濡れた黒髪を張り付かせて、ヨシトを見下ろしている。

「なに?」

「けものって、なんだ?」

 雨の前触れの風が、どう、と吹き上げる。それは制服の端々を揺らすものの、重い髪はなびきもしない。

「それは私が訊いてるの」

 口元に絡む髪の毛を、うるさそうに掻き退けて、それでも少し心地よさそうに、ヒロは目を細める。

 湿度の高い、生温い風でも、汗ばんだ肌を少しくらいは冷やしてくれる。

「いや、そうじゃなくて……っつか、そうなんだけど」

 ひとつ大きな息を吐いて、やっとヨシトは身体を起こした。ヒロのバッグを担ごうと背中にまわすが、自分のディバッグに跳ね返されて、ちょっと肩を落とす。

「なんで、そんなことを訊くんだってんだ」

 しかしヒロは、すぐには答えずに踵を返し、ゆっくりと坂を上り始めた。





わ、間に合わなかった(汗)


お付き合いいただき、ありがとうございます。

次回は、きっと水曜日の更新です。


きっと……?

うん。きっと(泣)



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