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けもの  作者: 弥招 栄
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第二話〜国道〜後編


「なによ」

「な、なんでもねえ……お前だって、なによ、しか言わねえじゃねえか」

「ふん」

 ヒロはわざとらしくそっぽを向いてから、また左足を振り上げた。

 だけど今度は、確かめるように、そっと下ろす。ヨシトはそれが分かったから、今度は止めない。

「大丈夫か?」

「……うん」

 目を閉じ、眉を少しだけしかめながら、二、三度アスファルトを踏みしめ、そして歩き出す。

 左足を突くたびに、ヒョコヒョコと肩が触れる。だけど、痛いのか、とは、ヨシトは訊かない。ヒロは決して、自分の痛みを認めようとはしない。それはよく知っている。

 高校に入学して、初めての夏休み前のこと、つまり、今からちょうど一年前か。教室でぶちきれたヒロが、机を思いっ切り蹴りつけたことがあった。

 なぜ切れたのか、原因は覚えていない。たぶん、ヒロが通りかかったときに、同級生の誰かが笑うかどうかしたのだ、全く別の話題で。それか、彼女の足元に、誰かがシャーペンを落としてしまったのかもしれない。

 ヒロがキレる理由は、いつもそんなもんだ。

 だから、そのときすでに公認の『世話係』とみなされていたヨシトも、めったなことでは割り込んだりしなかった。人望が厚いわけでもない彼に、一瞬で沸騰する教室の空気を、冷ますことなんてできるはずもない。

 しかしそのときは違った。

 ざわついていた教室が、いつものようにヒロを責めなじることもせずに静まり返った。

 机を蹴り上げた彼女の左のすねが、明らかにありえない曲がり方をしていたからだ。

 慌てたヨシトが保健室に彼女を担ぎこみ、そして駆けつけた救急車に呑み込まれるまでの間、しかしヒロは顔面を蒼白にしながらも、一言も痛いと言わなかった。

 ただ目を固く瞑って、みるみる腫れてゆく足の痛みを――そう、感じていた。

 その表情を見たとき、初めてヨシトは理解した。

 ヒロは、腹が立つから、頭にくるからキレるんじゃない。自分を傷つけ、痛めつけるきっかけを探しているんだと。たぶん、カッターナイフを使わない、リストカットなんだ、と。彼女がそれを意識していないにしても。

 それからヨシトは、ヒロがキレるたびに、積極的に止めに入った。

 彼女が自分を傷つけたがるのが、許せなくなったから。

 なぜだろう……

 今日まで誰にも問われたことはないから、ヒロをかばうことで段々と壁を高くしてゆくクラスメートたちからさえ、問われたことはないから、考えたこともなかった。

 なんであんたは……

 今はじめてヒロに問われたことで、ヨシトの頭にその疑問が住み着いて、暴れる。

 なんで俺は……

「ヨシト?」

 五歩ほど前で、ヒロが振り向いてヨシトを待っていた。

 下ってきたトラックのヘッドライトが、逆光となって彼女の輪郭を際立たせる。光はくるりと、轟音とともに回りこんで、端正な横顔と、その奥の瞳を一瞬照らした。

 そうか……

 ヨシトは、ヒロに向かって足を踏み出した。

 ヒロはいつでもヨシトを見ている。パケ代を稼ぎたくてはじめたバイトにも、ヒロは当たり前のようについてきた。ヨシトもそれを当たり前のように思っていた。

 だけど痛みに心を奪われているとき、ヒロは目をつむる。

 ヨシトのいる世界と自分との境界を、薄いまぶたでさえぎってしまう。

 だから?

 彼女の視線から目を逸らせてきたのは、ヨシトの方ではなかったか。

 彼女が目を瞑るのは、ヨシトが目を逸らすのを見たくないからではないのか。

 どうして?

 疑問がただ、頭の中をぐるぐると巡る。

 答えはわかっているはずなのに。

 けもの……?

 けものってなんだろう?

「なんか、へん」

「なんでもねえよ。喉渇いたなぁ。自販機でも、どっかねえかな」

「角江橋のバス停んとこにあったと思う」

「よく覚えてんな」

「毎日通ってんのよ。覚えてないほうがおかしいよ」

「いちいち覚えてられっかよ。まあいいや。早く行こうぜ。おごってやるよ。バイト代出たばっかだし」

「うん」

 他愛のない会話。

 ふっ、と、ヨシトは全ての疑問を忘れる。

 べったりとした、凪のような日常が、ヨシトの求めていたものだったから。

 あの日まではそうだった。いつも一緒にいるのが当たり前だった、幼馴染との日常。

 遠雷から耳をふさいでいれば、嵐は来ない。

 それがどんなに間違った考えなのか、心の奥底に刻み込まれているはずなのに。

 それでも、現実が消え去ってくれないかと期待してしまう。目を逸らしている隙に。

 でも、嵐は消えてはくれない。

「ねえ。けものってなに?」

「知るかよ」




お付き合いいただき、ありがとうございます。

次回更新は、次の土曜日……って、今日更新ぎりぎり(汗)


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よろしくお願いします〜。

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