箴言第9章、解読文章。
第9章
9:1知恵は自分の家を建て、
その七つの柱を立て、
9:2獣をほふり、酒を混ぜ合わせて、
ふるまいを備え、
9:3はしためをつかわして、
町の高い所で呼ばわり言わせた、
9:4「思慮のない者よ、ここに来れ」と。
また、知恵のない者に言う、
9:5「来て、わたしのパンを食べ、
わたしの混ぜ合わせた酒をのみ、
9:6思慮のないわざを捨てて命を得、
悟りの道を歩め」と。
(このまま)
※思慮のない者よ、ここに来いと、
また、知恵のない者に言う、
愚かな者は、その愚かさを繰り返すので、反省の意味も大切なのである。
そうならないために。
罪を繰り返したのでは、主は見捨てられる。
思慮のないわざを捨てて命を得、
悟りの道を歩めと、
9:7あざける者を戒める者は、自ら恥を得、
悪しき者を責める者は自ら傷を受ける。
(このまま)
※この言葉も現実の意味で、わたしが歩んだ行動の意味である。
あざける者を戒めようとして、自ら恥を得て、
悪しき者を責めることで、自らに傷を負ったことさえある。
9:8あざける者を責めるな、
おそらく彼はあなたを憎むであろう。
知恵ある者を責めよ、彼はあなたを愛する。
(このまま)
※あざける者を責めるな、
逆に責めれば、効果は薄いのである。
「おそらく彼はあなたを憎むであろう。」とある、その示された人物がわたしの言葉を聞いてわたしを憎むようになるというのである。
この言葉の意味は、実際に私と友人との間に起きた心の葛藤の部分である。
知恵ある者を責めよ、彼はあなたを愛する。
またこの次に知恵ある者を責めよとある。彼はわたしの意味を悟り、愛するようになるというのである。一人の人物の心の変化なのか、それとも記された意味において別に人物なのかは考える所である。
9:9知恵ある者に教訓を授けよ、
彼はますます知恵を得る。
正しい者を教えよ、彼は学に進む。
(このまま)
※知恵ある者に、教訓を授けることは間違いのないことである。
彼はますます知恵を得る。
正しい者を教えよ、彼は学門に進む。とある。
その言葉を聞いて、学問にはげむわたしの意味を悟り、学問を志し窮地をしのぐ方法を悟ると思われる。
9:10主を恐れることは知恵のもとである、
聖なる者を知ることは、悟りである。
9:11わたしによって、あなたの日は多くなり、
あなたの命の年は増す。
9:12もしあなたに知恵があるならば、
あなた自身のために知恵があるのである。
もしあなたがあざけるならば、
あなたひとりがその責めを負うことになる。
(このまま)
※主の教えられた知恵の言葉を知るのは、恐れることが初めである。
聖なる者を知ることは、悟りである。
わたしによって、あなたの日は多くなり、
あなたの命の年は増す。
その御言葉の隠された意味を悟ることで、命は長らえる。
それは悟りである。
もしも、わたしがその言葉をあざけると、その意味は罰を一身に背負うことになる。それだけあざけることは罪を得るのである。
わたしも一時期は、信じることができない時期があり、愚かな言葉を心で語ったこともある。
やはり信じることの大事は己の心の中にある意識を変えるのである。
9:13愚かな女は、騒がしく、みだらで、恥を知らない。
9:14彼女はその家の戸口に座し、
町の高い所にある座にすわり、
9:15道を急ぐ行き来の人を招いて言う、
9:16「思慮のない者よ、ここに来れ」と。
また知恵のない人に向かってこれに言う、
9:17「盗んだ水は甘く、
ひそかに食べるパンはうまい」と。
9:18しかしその人は、死の影がそこにあることを知らず、
彼女の客は陰府の深みにおることを知らない。
(このまま)
※愚かな女は、騒がしく、みだらで、恥を知らない。
つつましい女こそ、誉れを得ることと心得ること。
これに記された意味は、罪を重ねて神から遠ざかり、
偽りに身を置くことである。
「思慮のない者よ、ここに来れ」と。
言うかもしれない。
盗んだ水は甘く、ひそかに食べるパンはうまい」と。
言うかもしれない。
しかし、それは真実ではない。