すきま風
だけど声をかけることができなかったのは、ラルフには連れがいたからだ。
ラルフと向かい合っても遜色のない、長身の白人男性にエヴァンは見覚えがあった。
アトランタの病院で出会ったラルフの元カレ、医師のダニー・トンプソンだった。
ダニーはあいかわらすハンサムで、さわやかな笑顔で、そしてラルフとハグした。
エヴァンはふたりから目をそらした。見てはいけない光景を見てしまった気分だった。さっきまでの幸せな妄想もほろ酔い気分も一気に冷めてしまった。
僕とのデートをキャンセルしてまで仕事してたんじゃなかったのか?
そういえば電話でラルフは仕事だなんてひとことも言ってなかったっけ。
いや、もしかして今回のクライアントがダニーだったとか?
場合によっては酒を飲みながら打ち合わせすることもあるだろう。
だとしてもクライアントと夜の街角でハグする必要ないだろ? しかも満面の笑顔で。
Wooo! もうワケわかんないよ、ラルフ。
それが3日前の、エヴァンにため息をつかせることになった出来事だった。
翌日、ラルフから連絡があったがエヴァンは出版社との打ち合わせがあるからとそっけなく切ってしまった。大人気ないと思ったが、街角でダニーとハグする姿がエヴァンの脳裏から消えなかった。
だけど自分だって夜のクラブで元カレと踊って酒を飲んでハグして別れたじゃないか。でもあれは浮気じゃない。友人としてのハグだ。
ラルフだって偶然ダニーと出会っただけかもしれない。
もっともラルフとつき合う以前のエヴァンは、特定のボーイフレンドがいても不特定多数の男たちとの関係を楽しんでいた。ゲイの恋愛なんて刹那的でその時が楽しければそれでいいと思っていた。
ラルフと出会って初めてホンキになって、同性婚を真剣に考え家族にもゲイをカミングアウトした。
そしてよりによってプロポーズするつもりの夜にラルフとダニーのハグを見てしまったのだった。
ラルフもエヴァンのそっけない態度に気づいた。確かにデートはドタキャンした。でもそんなことは4年の間に何回もあった。それくらいのことでふたりの関係がギクシャクするような時期はとっくに過ぎているはずだった。
それよりもエヴァンに伝えたいことがあった。ふたりにとってとても重大なこと。
だけどエヴァンは打ち合わせだとか、取材だとか言ってなかなか時間を作ってくれなかった。
ラルフの法廷の傍聴にもエヴァンは姿を見せなかった。閉廷後、スマホを見てもエヴァンからの着信もメールもなかった。代わりに元カレのダニーからの数件の着信はあった。
エヴァンはまた例のクラブに顔を出した。ラルフがいなくたって僕はモテる。場合によっては誰かと一夜限りの関係を楽しんでもいい。
フロアで踊っていると狙い通り男たちから次々と声をかけられた。
Sorry, 細くてかわいいトゥインクは趣味じゃない。一瞬アーロンを思い出した。
僕の好みはマッチョな男。鋼の肉体を持つ男を攻略したいんだ。たとえばラルフみたいな。そうなんだ、ラルフ。ラルフじゃないとダメなんだ。ラルフを抱きたいよ。
虚しくなってテーブルに戻ったエヴァンに声をかける男がいた。
「一緒に飲まない?」
見上げるとそいつはダニー・トンプソンだった。いちばん会いたくないヤツに会ってしまった。
「キミ、エヴァンだったよね? こんなところでナンパ?」
ダニーはムカつくほどさわやかな笑顔で言った。ムッとした顔のエヴァンにさらにダニーは続けた。
「ラルフに言っちゃおうかな? 泣いちゃうよラルフ」
エヴァンの同意も了解も得ないままダニーは向かい合って座った。
「なんでこんなところにいるんですか?」
ぶっきらぼうにエヴァンがたずねた。
「この街って意味? このクラブって意味?」
笑顔のままでダニーは続けた。
「この街に来たのは学会のため。このクラブに来たのはキミと同じでナンパ目的」
「僕は別にナンパなんて……」
エヴァンはダニーから目をそらした。
「エヴァン。ラルフを泣かすんなら僕が取り戻しちゃうよ」
ダニーの目は笑っていなかった。
「それをあなたの口から聞きたくないですね。ラルフと密会してたくせに」
「あれ? 知ってたの? ラルフから聞いたの?」
「違いますよ! 見かけたんですよ」
「だったら声をかけてくれればよかったのに」
ダニーに笑顔が戻った。
「声なんてかけられるワケないじゃないですか。あの雰囲気で街角でハグしてる元恋人同士に」
「あははは」
大笑いするダニーにエヴァンはさらに気分を害した。
「ひとつだけ言っておくよ。僕はフリーだから確かにあの夜ラルフを誘ったよ。でもラルフにきっぱり断られたよ」
「……」
「ラルフが愛してるのはキミだよ。そのキミがナンパしてるって知ったら泣くだろうね。それとも怒り狂ってグーで撲殺されるかな。楽しみだな」
「じゃあなぜあの夜、ラルフと会っていたんですか?」
「それは僕の口から言えない。ラルフに聞くんだな」
エヴァンは黙りこくった。その時、背後から声をかけられた。