冒険者のごきげんレシピ
晴れた空、涼やかな風、陽気な仲間と揃ったらすることはひとつ。
ピクニック──?
いやいや、ちがう。現代日本の常識などまるで当てはまらないのがここ、元ゲーム世界〈エルダー・テイル〉だ。まだ幼さの残る少年少女の声が、鋭い剣戟の音とともに大気を揺らす。
「さあ、そろそろ仕上げといこうか!」
背丈ほどもある長い杖をどこか優雅にひらめかせて、〈妖術師〉ルンデルハウス=コードが狙いを定めた。と、並んで立っていた三つ編みの少女がすかさず彼の詠唱をなぞる。
それまで壁役として一身に攻撃を引き受けていたトウヤは、後列からの声に合わせて構えを変えた。ただ耐える他にも仲間のために出来ることはあるのだ。
「動かない的なんだ、外さないでくれよルディ兄ぃ! いくぞ〈旋風飯綱〉」
「それは誰に言っているのかな? ……紅蓮の熱に焼かれるがいい、駆け巡れ〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉!」
しびれたように動かなくなったモンスターの群れの中を、溶岩の塊が縦横に飛ぶ。一拍をおいて同じ軌道をなぞる光は〈吟遊詩人〉である五十鈴の槍から放たれたものだ。
みにくい断末魔の悲鳴と獣脂の焼け焦げる臭い。けれどその凄惨さに怯む様子は彼らには見えない。
「周辺に敵影ありません。戦闘終了です」
戦域哨戒を引き受けるミノリの報告で最後に残っていた緊張もとけた。
「よっしゃ、楽勝!」
「ボク達の実力なら当然の結果だ」
「ん~、やっぱり綺麗にハモると気持ちいいよね!」
「ほんと、すごいです。二人とも息ぴったり」
両手持ちの大きな槍を体にもたらせて背伸びする五十鈴の傍で、ミノリが嬉しそうに同意をかえす。ルンデルハウスとトウヤは互いの健闘をたたえて目も合わせず拳をぶつけあってから、それぞれ慣れた手つきで戦利品の回収を始めた。
晴れた日のアキバの〈冒険者〉には、戦闘訓練を兼ねた狩りだって日常。
過酷だったチョウシでの戦いを経て、ようやく彼ら四人も戦闘を生活の一部と思えるようになった。それは確かに慣れでもあったが、何より仲間としての絆が深まったのが大きい。一人では怖くても、仲間とならば戦いだって乗り越えられる。
「ふむ……どうやらこの辺りの獲物はあらかた狩り終えたようですにゃあ」
雑談しながら荷物を整える一行に、のんびりした口調が近づいてきた。近ごろ「引率班長」というあだ名の増えた〈猫人族〉の〈剣盗士〉にゃん太その人だ。
引率という響きのとおり最近では本物の万一に備えるだけで、ミノリ達が戦闘を重ねる間、〈暗殺者〉なみに気配を殺している。
「士別れて三日なれば──どころか、若者の成長はまさに分刻みですにゃ。隠居の身とはいえこれはうかうかしていられないですにゃあ」
そう言って目を細めヒゲを撫でる仕草はまさに〈猫人族〉ならでは。にゃあという独特の語尾といい、これは彼なりに猫らしさを求めた結果であるのか。はたまた生まれ変わったような新しい姿にも、人は柔軟に対応するという好例であるのか。
にゃん太のにゃん太らしさに慣れきってしまった一行には、そんな疑問の浮かぶ余地もない。
「班長、狩り終えたはいいけどこれからどうすんの? フィールド移動?」
最年少組のトウヤが砕けた口調でにゃん太に問う。姉のミノリが困った顔をするのもいつもの光景だ。
「その前に少し早いですが昼休憩にしましょうかにゃー」
にゃん太の一言にわっと歓声があがる。
「やたっ! あたしもうお腹ぺこぺこ」
「俺も! ねーねー班長、今日の弁当なに? 俺、からあげかミートボール食べたい!」
「こ、こらトウヤ! 毎日作ってもらうだけでも申し訳ないのに、そんな言い方したら失礼でしょ」
「え~だって班長のからあげはぜっぴんだって師匠も言ってたし。ミノリだって卵焼き入ってない時はがっかりって顔してるだろ」
「そっ、そんなこと……もう、トウヤの馬鹿っ」
「にゃはは、安心するにゃ。今日は卵焼きもからあげも入ってる上に、なんとスペシャルメニューもご用意してるにゃん」
その言葉に年少組が飛び上がる。
「スペシャルメニュー? わあ、なんかワクワクしてきたね、ルディ」
「ああ、実に楽しみだな、ミス・五十鈴」
「卵焼き、嬉しいです」
「班長、スペシャルってなに? 早く見せてよ!」
「まあまあひとまず落ち着くにゃ。まずは休める場所を探してのお楽しみにゃん」
「う、嘘っ」
倒木に座った五十鈴が信じられないというように呟く。
「わあ美味しいです! え、でもどうして?」
五十鈴の隣に並ぶミノリも驚きにぱちぱちと目を瞬かせた。
大判の敷布の上、もっとも食べ物に近い場所を陣取ったトウヤは、彼女たちよりもずっとストレートな感想を口にする。
「すっげぇ、普通に食えるよっ! でもでも何で?? ルディ兄ぃって〈料理人〉だったっけ?!」
仲間の反応に気をよくしたのか、金髪の青年は誇らしげに胸をそらす。片手に持つのは竹で編んだ簡素な弁当箱。中身は少しばかり形のいびつな小さなおにぎりだ。
「ふふん、だからいつも言っているだろう? ボクの辞書には不可能の文字が書かれていないのさ!」
そう言って取り出したひとつを品よくかじる。山形の上に中身がわかるように飾りの具材が乗せてある。彼の食べるのは好物でもある明太子の入ったおにぎりだ。
味に納得したのかひとつ頷いてルディが続ける。
「まあ、不恰好なのはこれからの修行でどうとでもなる。……どうしたのかな? 遠慮せずどんどん食べてくれたまえ!」
言われてすぐ手を伸ばしたのは元気者のトウヤ。卵おかかと鮭で迷って両方確保したのが彼らしい。
一方、双子の片割れのミノリは真剣な面持ちで言葉を探した。
「どうして……? 〈料理人〉スキルのない私たちが作ると、たとえおにぎりだって口にできない失敗作になるはずなのに」
「っていうか、ルディ兄ぃがおにぎり握んのって見た目的にちょっと笑えるよな!」
口にご飯が入ったままそんなことを言うのにミノリは慌てる。
「こ、こらトウヤ! ごめんなさい、少し驚いてしまって。──でも本当に分からないです。確かに私たち〈冒険者〉はサブ職業をひとつだけ選べますけど、もともと〈大地人〉だったルディさんは、もう他のサブ職業を選ぶことなんて……」
「そこが今回のトリックなんですにゃー」
にこにこと騒ぎを見つめていたにゃん太がようやく口をはさむ。
日ごろ調理担当を務めるギルドの頼れる猫ひげ料理長は、ぽふん、とルディの金髪に片手を乗せた。子供にするような仕草に反発がないのは、それだけ今日の一幕に彼が納得している証しだろう。
「そうですにゃぁ、種明かしの前にまずは想像してみてくれますかにゃ」
ひらりと指を立てるにゃん太に三人分の視線が集まる。
「君たちはこの幻想世界セルデシアに〈大地人〉として生を受けましたにゃ。さて、まだ言葉も話せない乳飲み子の君たちに、果たしてサブ職業などというものが初めから割り振られていると思いますかにゃ?」
ごくり、とおにぎりを飲み込んでからトウヤが話す。
「んーと、それって生まれた時から何になるか決まってると思うかってこと? 貴族の息子はやっぱり貴族、みたいな」
首を傾げるトウヤと対照に、ミノリはなにか思いついた顔。
「あ、そうか。私たち〈冒険者〉はある程度成長した姿で〈エルダー・テイル〉を始めるけれど、そうじゃない〈大地人〉のみなさんはきっと……」
「さすが、ミノリっちは呑み込みが早いですにゃあ」
にんまりと笑うにゃん太にミノリが続ける。
「で、でもそれだと〈大地人〉のみなさんはどの職業のどのスキルでも習得可能ってことになっちゃいませんか? たとえば〈料理人〉で〈鍛冶屋〉で〈細工師〉みたいなこともできるんですか?」
ふむ、というように白い手袋がヒゲを整える。
「どうですかにゃぁ……そもそも〈冒険者〉のように達人級までレベルを上げるのはどの職業でも難しいのだと思いますにゃ。なにせ〈冒険者〉と〈大地人〉では同じ行動から得られる経験値にも、かなりの差があるようですからにゃ」
それなら、と続けそうな少女をにゃん太は片手をあげて制した。
「ただまあ、例えば今回のおにぎりのように手順が簡単なものであるなら、大抵の〈大地人〉に作成可能なようですにゃ。ルディっちの場合、実家を出て初めて一人暮らしする大学生などを想像すると分かりやすいんじゃないかと思いますにゃ。実際、初めてお米を研いだときの手つきときたら……」
「班長! それは秘密にしてほしいとお願いしていたはずだ!」
「にゃっはっはっは」
他愛ないことのように彼らは言うが、ミノリの驚きはかなりのものだ。
練習を前提にすれば、どの方面にも一応の伸びしろがある。
ひとつひとつの技能を得るのに時間がかかっても、突出した能力のために他のすべての可能性を捨てなくてもいい。
それは異世界で超人の能力を得た代償に〈冒険者〉が失った当たり前の、ひどく柔らかでたくましい力だ。
(極めなくても、ちょっとだけやってみたいことって、今もあるもんね……)
例えばおにぎりくらい握れたら──夜遅くまで明かりの消えないあの部屋にちょっとした差し入れができたりするだろう。嫌で仕方なかった〈裁縫師〉の能力が残っていたら、〈円卓会議〉に出向くあの人に、使い勝手のいい書類袋を作ってあげられたかもしれない。
思うとなんだか羨ましいような気持にもなって、ミノリは賞賛を口に出そうと動く。
が、その前に。
「ごちそうさま!」
きっぱりとした口調で言い切って、勢いよく五十鈴が立ち上がった。
突然の言葉に驚く周囲に、構わず五十鈴は背中を向ける。
「ごめん。あたしちょっと散歩してくるっ」
「あれ、五十鈴ねえちゃんもう食わないの? さっきお腹ぺこぺこだって……」
「いっぱい食べたし、いいの、気にしないで!」
言いながらすでに歩き出している彼女を追おうとルンデルハウスも急いで腰を上げる。
が、
「待ちたまえ、ミス・五十鈴。散歩ならボクも付き合おう。女性のフィールド一人歩きはさすがに不用心というもの──」
「ルディは! 絶対! ついてこないでっ」
名指しで言われたルンデルハウスは目を白黒させた。
「な……なぜミス・五十鈴はあんなに怒っているのだ? ボクは何か彼女に失礼をしたのだろうか……」
「あの、わたしが追いかけますから」
五十鈴がなにに傷ついたのかミノリにはわかる。
女の子が女の子らしいことができないのが悔しい場面が、この世界にはいくらでもあるのだ。それでも、周り中おなじ条件であるなら仕方ないと諦められるのに、彼女の相手はその全てをできる可能性があるのだという。
(それってやっぱりちょっと、悔しいよね、うん)
こればかりは理不尽と言われても飲み込めないのだから許してほしい。
疑問符を浮かべたままの男性陣を背に、ミノリは急いで三つ編みの友人を探した。
ばか、ずるい、わんこのくせに、と繰り返す五十鈴は、すねた顔がなんだかとても可愛らしかった。
◆
筋骨隆々というわけではないにしろ、立派な成人男子が正座するさまは情けない以外にはどうにも形容しづらい。しかも隣には弟のようにも見える若者をふたり従えて。
彼らの表情は三人三様だ。
ひとりめ。直継は全身からしまったという焦りをにじませて。
ふたりめ。小竜は深く反省した顔。
その隣で無表情を装いつつ、展開の面白さに茶色の尻尾を揺らすのは〈三日月同盟〉の誇る高校生コンビ、その片割れの〈狐尾族〉飛燕だ。
今日は出張講師という名目で〈記録の地平線〉の不動の城壁が〈三日月同盟〉に顔を出していた。
会議室をつかった講義は滞りなく進み、その後、直継を囲んで質問コーナーという名の雑談会が始まった。
会議室に残ったのは小竜、飛燕を筆頭にしたギルドメンバーの一部。正確にいうなら直継を慕う、主に前衛職を選ぶ一部の男性陣だ。
ギルド同士の交流の深さから、また夏合宿でみせた力強い背中の印象から、直継を慕うメンバーは多い。が、いかんせん普段の言動が残念気味であるので、女性や気弱な男性などは雑談パートになると退室してしまう。
となるとブレーキ役がいなくなり、賑やかな暴走に突入するのもいつもの流れだ。
その上今日は呼び出しがあって、マリエール、ヘンリエッタのツートップがいない。どかん、という音に驚いたセララが部屋に飛び込んだ時には、来客時に使う大きな樫のテーブルが、真っ二つに壊された後だった。
そうして、冒頭の正座につながる。
「直継さんも、二人も……もう少し、ご自分たちの影響力を考えてくださいっ」
両手を強く握り、精一杯の怒ったジェスチャー。しかしその顔はどこかつつかれたら泣きだしてしまいそうなほど、真っ赤で、一所懸命で、ぷるぷると震えていた。
男性を、しかも一人は目上の男性を叱るだなんて普段のセララを考えれば蛮勇に近い。それでも必死で口を動かすのは新人の世話係として留守を任された責任があるからだ。
「ご、ごめんな! ちょっと調子に乗りすぎたっつーか、決着がつかなくてムキになりました。大反省祭りっ」
「ごめん。俺もその、負けたくないってそればっかりで……」
直継と小竜が慌てているのは怒られたからというより、慣れなさ全開で口をきくセララがあまりに可哀相に見えるからだろう。
「そもそも、お二人がなんで勝負なんかしないといけなかったんですか」
「そ、それは……」
「男の事情祭りというか、挑まれたら後にひけない祭りというか」
「つうかさー」
と、そこで傍観をきめこんでいた飛燕がしれっとした顔で口をはさんだ。
「勝負ってもたかが腕相撲じゃん。そりゃテーブル割ったのは想定外だったけど、喧嘩ってわけじゃなし、そう目くじら立てなくてもよくねえ?」
そう、頑丈で堅い大テーブルは、直継と小竜の腕相撲で破壊されてしまったのだ。
そもそも力比べと称して腕相撲を始めたのは誰だったのか。そんなものSTR値をみれば明白と思われたがそうでもなかった。姿勢や技術、タイミングや気合いに左右され、小さな数字の差がひっくり返るのは見る者にもやる者にもなかなか面白かった。
そうしてどうせならと組んだトーナメント表から低レベル組が次々脱落する中、ついにはこの二人の頂上決戦が実現してしまった。
レフェリーをつとめたのはしっかりちゃっかり参戦を回避した飛燕。中立を装い小竜の耳元に一言ささやくのだって忘れない。
『マリエさんって、やっぱり強い人のが好きなんかねー?』
関係ない、ただの遊びだろ、と切り捨てた小竜も、五回勝負/二勝二敗の場面まで来ると本気の様子を隠せなくなった。つまりは耳まで出しての大奮闘だ。
ちなみにテーブルが割れた原因は、汗に滑った互いの手がそれぞれ全力でぶつかったためで、勝負の結果は引き分けだったが、それはそれ。
「……飛燕さんが煽ったのだってちゃんと分かってるんですよっ。オッズっていうの、見かたはよくわかりませんけど数字の大きい小竜さんに勝ってほしかったんですよね?」
「なっ、飛燕おまえまさかっ」
「なんつーか、油断も隙もない祭り……」
「んんん? な~んのことっすかね~」
「もう、とにかく!」
息を整えてセララが続ける。
「小竜さんも、飛燕さんも、戦闘班みんなのお手本です。それに、直継さんに憧れてる子たちもたくさんいるんですから……」
「だから品行方正にして下さいって?」
ちゃかす飛燕にもひるまない姿勢。
「じゃなくて、何でも真似して流行っちゃうんだから、気を付けてほしいんです」
「べっつに腕相撲くらい流行ったって問題ないじゃん」
「賭けごとは嫌いですけど賭けてもいいです。流行るのは腕相撲じゃなくて『どうしたらテーブルを一撃で粉砕できるか』ですよ」
セララの指摘に三人は目を白黒させる。
「あー……確かに。やりかねねーかな?」
意見を翻して、飛燕が頬をかくと小竜は疑問に首を傾げる。
「いや、そこまでは。いくらなんでも」
「そうそう、別に影響力ったって赤ん坊じゃあるまいし、そこまで阿呆な真似はしないと思う祭り」
「そんなことないんです。だって──」
そういうと急に困った顔になって、セララはしどろもどろ口を動かす。
「お、ぉ・・っの……」
「へ?」
聞き取れず直継が問い返すのに、涙目のセララが真っ赤になって言う。
「ですから、お・・っです……」
「ごめん、ちょっと聞こえない祭りだぜ。もうちょっとしっかりはっきり言ってくれないか」
彼女の言わんとすることに気付いた小竜が助け船を出そうとするが、飛燕がすかさず口をふさいだ。この展開に水をさすなんて、もったいなくてできるはずない。
「だから、おぱ……し、下着ですっ。な、直継さんの真似をして、装備に、あの、直継さんみたいなシールを貼ってる子だってうちにはいるんですっ。そのくらいみんな直継さんに憧れてるんですっ」
「ぐっはぁっ!」
これ以上ないダメージを受けて直継が悶える。言ったセララも動揺の極致で、彼女にはめずらしい早口で話す。
「あの、でもあの、趣味は人それぞれといいますかっ、シール自体をどうこう言うつもりはないんです。ただ、そのくらい真似しちゃう子もいるって知っててほしくて……」
「わーわー、わかった! 皆まで言うな。了解です。反省しました。行動と言動には今後気を付けます。だからお願い勘弁してくれ祭りっっ」
土下座せんばかりの直継の勢いに、今度は言い過ぎたかもとセララが焦る。
結果なぜかごめんなさい合戦になった二人を見て、飛燕が深々とため息をついた。
「なーんか、おぱんつおぱんつ言うわりに直継さんって奥手なトコあるよなぁ。これならまだ逆転のチャンス大ありなんじゃね?」
「なんの話をしてるのか分からない」
ぶはっ、と遠慮なくふきだしてから、飛燕が小竜の脇腹をつつく。
「またまた。おまえがいつも誰を見てるかなんて周知の事実っつーか」
「俺は別にっ──直継さんには稽古をつけてもらってるだけだ。いつか直継さんのように一振りの剣として仲間を守れるように……」
「なっかまね~。一番守りたい人の名前くらい堂々と口に出したらいーのにー」
「う、うるさいっ! 大体なんだ、自分は逃げといて裏で賭けてたなんて、見損なったぞ!」
「いーじゃん。親友の勝ちを信じてやったことだぜー? この麗しい友情!」
「都合のいい時だけ親友とか言うな!」
「まーまー落ち着け。耳しっぽ出てるぞ?」
「! 誰のせいだと……!」
いつもの言い合いが始まった二人を、我に返ったセララが叱る。
「もう、ふたりもちゃんと反省してるんですかっ。マリエさん達が帰ってきたら、ちゃんと謝らないとダメですからね!」
「うぇ~~い」
「ごめん。わかってる。あの、直継さんも巻き込んでしまってすみませんでした!」
「いや……俺も同罪っつーか、責任重大祭りっつーか。でも悪ぃ、今日は一度帰らせて。今度ちゃんと謝りに来るから。なんかもうダメージでかいっつーか、なにこれなんかの罰ゲーム……?」
よろりと立ち上がった〈守護戦士〉の顔はげっそりとして、責任逃れではないのだと全身が訴えている。と言ってもその後、直継がおぱんつ発言を控えるようになったかというと、それはまた別の話になるが──
男のこだわりは一言では語りきれないものなのである。
◆
「わたしは……怒っているのだぞ、主君」
棒読みのような低い声が小さな唇からこぼれると、丸眼鏡の奥でシロエが怯んだような表情になった。
「そうですわね。私も僭越ながら、一言ご忠告申し上げたい気持ちでいっぱいですわ」
両手でしっかりとアカツキを抱きしめたヘンリエッタも言葉をつなげる。手練れの〈暗殺者〉であるアカツキがその腕から抜け出せないのは、〈記録の地平線〉〈三日月同盟〉両ギルドに共通した謎のひとつだ。
その〈三日月同盟〉のギルドリーダー、いつも笑顔を絶やさないはずのアキバのひまわりことマリエールも、今日は大人げなく両頬を膨らませている。
「あかん。あかんよシロ坊! ギルマスいうんは体調管理も仕事のうちやで! 一日の終わりは身も心もリフレッシュして、ばちっと英気を養っとかんと」
「マリエは少し、息抜きの時間を減らしてもいいんじゃないかと思いますけれど……おおむね私も同意見です」
「まったく、どういうことなのだ、主君っ」
彼女らの「しっかりすっかり怒ってます」の表情にシロエはますます小さくなった。
そもそもの起こりは〈アキバ〉を代表する美女コンビが、連れ立ってシロエを訪ねてきたことにある。
事前に念話でももらえればよかったのだが、近くにいたついでの気楽さは両ギルドの親交の深さのあらわれでもあった。
突然の訪いに対応したのは、シロエの護衛と称し、ひとりダイニングに残っていたアカツキだ。他のメンバーは訓練に、指導にとそれぞれ外に出払っている。そうして連れ立って扉をノックした三人が見たのが、机に突っ伏して見事に眠りこけている〈円卓会議〉の腹黒参謀だったという訳だ。
(しかも、アカツキがあんなこと言うもんだから……)
シロエの状況をさらに悪くしたのは、主君に対して抜群の観察力をみせるアカツキが、彼の服が前日から変わっていないのに気付いてしまったことがある。
シロエのワードローブときたらほとんどが暗い青かモノトーン。見た目も無難なものばかりであるのに、一目で見抜くとは恐れ入るばかりだが、それはともかく。
「主君……さてはまた徹夜したのだな?」
また、という響きにヘンリエッタの柳眉が上がった。
「それに、このところ部屋に籠りきりではないか。今日だって、ずいぶんと顔色が悪い」
めったに口角を下げないマリエールもこれを聞いて、む、と口を尖らせる。
「いや、あのさ、違うんだ。昨日はたまたま忙しかっただけで……普段はもっと……」
これはまずいと言葉を探すも、腹をたてた女性の前では、言い訳など大嵐にさす安いビニール傘に等しい。
「問答無用や!」
「失礼ですけれど、説得力皆無ですわね」
びしり、と指をさすマリエールの横で、ヘンリエッタが冷たい視線を向けてくる。
「できたらもっと言ってやってほしい。わたし達が言うのでは聞き入れてくれないのだ」
その上、同じギルドの仲間であるところのアカツキは、フォローしてくれるどころか火に油をそそごうとするから大変だ。
(まあ、それもこれも僕が悪いってことに……なるんだろうな、きっと)
ザントリーフ半島掃討戦の後始末という言い訳で、我ながらほめられない生活をしていた自覚はある。情報をまとめるのに手書きという手段しかとれない事情と、それでもできるかぎり状況を把握していたいシロエの性格が、山積みの紙とどこまでも終わりの見えない思索の旅を呼んだ。
最近では朝・昼の食事を自室でとることも増えて、温厚を絵にかいたようなにゃん太にすら「先は長いのですから無理は禁物ですにゃ」などと釘を刺されている始末だ。
「で、でもさ、やらなきゃいけない時ってある訳じゃない。今は僕だけじゃなくて皆それぞれ忙しいんだから。あと、こういうの別に初めてじゃないから……」
「初めてじゃない?」
三人を代表してアカツキが問いただすと、慌ててシロエが両手を振った。
「や、ここでじゃなく地球の頃の話ね。卒論の頃なんてそりゃひどくてさ、三日徹夜とか当たり前だったし。あれに比べたら今は〈冒険者〉になってずっと体力もあるから……」
「三日徹夜ぁ? あかん、そんなんめまいがしそうや」
「だから、その時よりはマシって話ですよ。あの時はもう、こぶは作るわ眼鏡は壊れるわで散々で──」
「シロエ様、徹夜で眼鏡は壊れないと思いますわよ」
不審そうに言われて詳しく続ける。
「いや、それが徹夜のあと提出のために駅まで歩いてたんですが、どうも歩きながら夢をみてたみたいで」
三人の顔に盛大にクエスチョンマークが現れる。
「いつもの道をいつも通り歩いてたんです。でもその景色自体が夢だったんですよね。はっと気づいた時には今までなかったはずの電信柱が目の前にあって──」
その時、部屋の空気が変わったことに気付けなかったのはやはり睡眠不足のなせる業だろう。
「思い切りぶつかって眼鏡がぐしゃりと……って、あ、あれ?」
しまった、と思うにはすでに遅すぎた。彼女たちの反応で部屋の温度が何度か下がった気がする。
「じゃあなに、シロ坊は夢ん中の道を本物や思って前も見ずに歩ってたん?」
「駅前の道を……そんな、無謀な……」
「信じられませんわ。まったく真っ黒クロエ様ともあろう方がそんなお間抜けな」
「ご、ごめん……」
笑い話でごまかそうとしたのがかえって裏目に出てしまうとは。
「いいえ、謝ってすむ話じゃありません。反省の色もなくまだまだ無理するつもりだってお顔にはっきり出ていらっしゃいますもの」
ヘンリエッタの言葉に無言でこくこくと頷くアカツキ。
「これはシロ坊、ぺなるてぃやでぇ!」
腰に手を当てたマリエールは豊かな胸を揺らしながら告げる。
「ぺ、ペナルティって……」
「このままシロエ様が生活を改めないというなら、こちらも考えがあると申し上げているのです」
「あの、ちなみにそれってどんな……」
この時彼女の見せた笑みの優美さときたら。
「レベル90の〈吟遊詩人〉が歌う子守歌は効果抜群でしてよ?」
マリエも負けじと笑顔で迫る。
「ならうちは、優しく膝枕したるからな♪」
「わたしはその……そういう特技はないが、マッサージくらいなら……」
「あら、アカツキちゃんなら抱き枕にぴったりサイズですわ」
「ちょ、抱き枕って、ヘンリエッタさん!」
「……っ、そ、それで主君が安眠できるというなら……」
「アカツキも! 本気にしないで冗談だから」
覚悟をきめた顔のアカツキを慌てて止める。ハーレム体質のソウジロウならともかく、そんなことが実現したら安眠どころか寿命が縮まりそうだ。
寝不足のせいばかりではなく顔を青くしたシロエに、やれやれとヘンリエッタがため息をつく。
「とにかく机で寝るなんてもっての外です。夜はきちんとベッドでお休みなさいませ」
「最低でも、六時間は確保……。切れ切れの仮眠は睡眠と呼ばない」
「あとな、ちょっとでいいからお日様の下に出るんやで。お日様の力は偉大やでえ! ほとんどの悩みごとなんてお日様がばちっと解決してくれるもんなんやから」
それぞれの説得に言葉もなく、ひたすら「はい」「はい」と繰り返す。ここでなにか反論すれば状況の悪化は目に見えている。
(まいったな。〈彼女〉には勝てないってずっと思ってきたけど……)
ちらり、と昔の仲間を脳裏に描くが、〈彼女〉といた時とほぼ変わりない無力感がシロエを襲う。
(どうも同じくらい、怒った女性には敵わないみたいだ)
こうなっては策士も腹黒も形なしだ。あっという間に規則正しい生活を約束させられて、広げていた書類を仕舞われてしまう。
そうしてようやく落ち着いたのか、客人二人は視線の向かう先をアカツキに変えた。
「よろしいですか、アカツキちゃん。もしまたシロエ様が無茶をするようなら、先ほどの件、実行に参りますからいつでもお声がけくださいな」
「そうやで。膝でもおっぱいでもばばんと貸し出したるかんな。それとシロ坊、あんまりおうちの子に心配かけんとき。ギルマス失格やで」
「すみません、マリ姉、ヘンリエッタさん。あの、ところで今日のご用件は……」
「用件ならすみましたわ」
冷たいヘンリエッタの応え。
「まさかの梅子の言うとおりや。シロ坊、またちょくちょく寄るからな、夜はええ子で寝るんやで」
「ちょっとマリエ、その呼び方やめてって言っているでしょう」
「僕は夜泣きのひどい赤ん坊ですか……」
「主君は赤ん坊より自覚があるぶん性質が悪いと思うぞ」
「まったくですわね」
結局、何が目的だったのかわからないまま嵐は去ろうとしているようだ。
もしかしたら何かの相談があったのを、これ以上はよくないと飲み込ませてしまったかもしれない。
見送るアカツキの背には、今夜は見張ってでも寝かせようという気合いがにじむ。
(やれやれ。女の人ってほんと、しっかりしてるよなぁ……)
眼鏡を拭く仕草でごまかしながら、シロエはかすかな苦笑を浮かべる。
そんな姿を見せられては、かえって頑張りたいのが男心だ。どうしたら彼女たちの監視の目を盗んで作業の時間をかせごうか──なんて。
(いや、でもさっきのは本当に困るし。うん。しばらくは大人しくしてよう、かな)
「とにかく少し寝ろ」と言われて「うん、ありがとう」と素直に返した。
ほっとして肩の力を抜くアカツキを、くすぐったいような気持ちで見つめる。
天秤祭りを前にした、夏の名残の一日だった。