私の知らない君の話
弟とは年が離れていたし、あの子が物心つく頃には学校の寮に入っていた。
だから、弟と会うのは長期休暇の時くらいで、いつも少し緊張していたことを覚えてる。
こどもの成長は早いというけれど、まったくその通りだ。帰省する度に別の人間みたいにぐんぐん伸びて、どこで覚えたのそんな言葉!というようなことまで喋るようになって。
はじめはぼんやり、なんとなく私を認識していたのだろうけれど、だんだんと「おねえちゃん」として接してくれるようになった。
血のつながりは偉大だ。
それでも世間一般の姉と弟より、きっと接点は少なかったし、普段離れて過ごしていたから多少気に食わないことにも目をつぶれた。
かわいい弟。
それだけだった。
「結婚するの」
社会人になって、五年ほど過ぎた。
結局私は進学先も就職先も実家から離れた場所を選び、相変わらず長期休暇や冠婚葬祭の折に帰ってくるだけだった。
弟も高校生。……私も年をとるわけだ。
今ではあっさり抜かれた身長も、こうして座っていればあまり気にならない。ひとりで大きくなったような、涼しげな顔をしおって。まあ、私はそんなに弟と過ごしていないからなにもいえないけれど。
「会社の後輩、いい子なんだよ」
久しぶりに週末に帰り、まずは弟に内緒話をするように告げたことに、深い意味はなかったはずだった。
「祝えない」
低い声で呟かれたその言葉が、私に向けられていたことに一瞬気づけなかった。
「……え?」
「おめでとうなんて絶対言わない」
いまにも泣きそうな弟をみて、この子もこういう顔をするようになったんだな、とぼんやり思う。そして、本当はずっと前から、この子が私をかぞくとしてではなく【好きでいたことがわかっていた自分】に気づく。
意識するより自然にわかった。
誰だって、自分へ向けられる視線の意味がなんとなくわかるように。わかるから避けて誤魔化してきた。
「結婚はするよ、私は彼が好きだし」
私は、弟のことは弟にしか思えない。
君が例え、私が昔好きだとなんの気なしに言ったアイドルに似た髪型をしても。
似合うよ、と贈った時計を大切に身につけていても。
距離を測りかねるように伸ばされた手が、どんなに熱くても。
苦しそうに、縋るように、私を見つめても。
君が願う形で、君を好きには決してならない。
私が知らないふりをしていた君を振り払い、私は彼と結婚するだろう。
もしかしたらうまく行かないかもしれない。
今は優しい彼だけれど、DVに悩むかもしれない。
ささいなことで言い争うかもしれない。
それでも、いいかもしれないと思ったから。
「ごめんね」
弟は俯いたまま、なにも言葉を返してくれなかった。
知らなかった、わからなかった。それをいい訳だというならそれでもいいと、そう思う。