Act1・巨獣と魔術師
駆ける。
ただひたすらに駆ける。
「…………」
魔力で強化した足で並び立つ建物の屋根を駆け抜ける。
南門へと近付くに連れ、獣の咆哮がはっきりと耳に届く。
「■■■■■■■―――ッ!」
聞く者が聞けばその身を竦み上がらせ、恐怖の底へと叩き落とすだろう叫び声を聞きながら俺は街の最南端へと辿り着く。
見上げれば、ビル七階相当の高さの壁が度重なる攻撃で所々ひび割れ、今すぐにでも倒壊しそうな危うい様相を見せている。
「…………っ」
俺は屋根を蹴り、跳躍すると、その街を覆う外壁へと跳び移ると足を付け、重力に逆らって駆け上がる。
「っと」
外壁の上に着くと素早くまわりを見渡す。
あれほど大きな魔力を持つ存在だ、それを内包する体も大きい筈。
そう思いつつ、眼下を見ると……
「……デカ過ぎんだろ、おい」
魔物と呼ぶには余りにも大きすぎる、狼のような生き物が壁を睨んで唸っていた。
その毛並みは黒く、眼は狂犬病にかかったかの様に血走り、赤い。
大きさはだいたい四メートル弱……どんな成長過程を経ればこんな巨体になるんだ。
「……まぁ、いい」
何であれ、この魔物(でいいのか?)が街を襲っているのであれば、足止めないし討伐しなければ、街の皆が危ない。
「そうと決まれば」
ルーンを幾つか取り出し、指に挟む。
狼のような魔物はまだ此方に気付いていない。
俺は外壁の縁に足をかけ、跳躍する。
「おっ始めるとしますか……!」
数十メートルの高さから落下しながら、指に挟んだルーンを一つ一つ発動する。
「Ur(力)」
先ずは定番の身体強化。
「Eh(駿馬)」
続いて加速。
そして最後に、
「Sigil(太陽)!」
この世界に来て初めて使うルーンを発動する。
Sigil……文字通り擬似的な太陽を具現するルーン。触媒が触媒なら軍一大隊を塵も遺さず消し去る威力を持つ。
今回は街に被害が出るのを避けるため、威力を抑えてある。まあ、それでも普通の人間なら即死するレベルだが。
右の手のひらに拳大の太陽を掲げながら、加速の勢いを上げ、魔物へと突撃する。
そこで漸く俺の存在に魔物が気付き、此方を見上げるがもう遅い。
「挨拶代わりだ、受け取れ」
距離がゼロになった所で、太陽を魔物の顔面に叩き付ける。
直撃した感触を得るのと同時、太陽が爆ぜる。
瞬間広がる閃光と爆音。
発動者である俺に、太陽の熱波は当たらないが、直撃した魔物の方はひとたまりも無いだろう。
「普通の魔物ならな……」
爆心地から離れた位置に着地して、さながら火山の噴火した様な爆煙を見る。
その中から確かな気配を感じて、警戒する。
(まだ、生きてるってか……)
「■■■■■■■■ッ!」
煙の中から、咆哮と共に黒い影が躍り出る。
その体毛の所々を『少々焦げ付かせた』身体で。
「チッ……!」
魔物の突撃を避けながら舌打ちを打つ。
仮にも太陽と称される程の熱量を叩き込んだってのに、所々焦げ付いただけって…
「どんな防御力だよ、クソッたれが!?」
しかもこの魔物、かなり速い。ルーンを使った身体で、避けるのがギリギリだった。
「■■■■――」
車のドリフト染みた方向転換をして、魔物が俺を見て唸る。
どうやらターゲットを街の壁から俺へと移したようだ。
「なら好都合…って言いたい所だが」
堅い、速い、強いの三拍子揃っているコイツを相手にするのは随分骨が折れそうだ。
しかも、熱量においてルーンの中で最高クラスのSigilが効かないという事は、同じく熱量をメインの効果とするCen(炎)のルーンは魔物に対して使えない事の証左だ。
「成程、撃退すんのが精一杯ってのも頷ける…っ!?」
「■■■■■ッ!!」
ぼやいた所で状況は変わらない。再度、突撃してきた魔物をサイドステップで避けつつ、その巨体にルーンを投げつける。
「Is(氷)!」
触媒である石から散弾の様に氷の鎗が魔物へと殺到する。
Eh(駿馬)のルーンの加速効果でそのスピードは常人では目に終えない速さに達している。だというのに。
「■■■」
「おいおい、マジかよ」
魔物は事も無げに慣性の法則を無視したかのような直角機動で、面に広がった氷の槍の効果範囲から逃れた。
今の正直な感想を述べるなら、一言。
「無いわ~…」
いや、確かに人間に通じる技が魔物に同じように通じるとは思ってなかったよ?
だがここまで余裕を持って避けられると何か理不尽さを感じる。
「■■■■■……」
「でもまあ」
ズボンから新たにルーンを数個取り出す。
相手が自分より速いのなら、自身が更に加速すればいいだけの事。
「諦める気はさらさら無いけど……なっ!」
言うが早いか、俺は唸り声を上げる魔物へと駆け出す。
「Rad(車輪)!」
Radのルーンの効果は、Eh(駿馬)のルーンの効果に近い。
Ehは単純な加速であるのに対し、Radは進む方向を設定して、その方向へと一気に加速する。云わば瞬間移動みたいな物だ。
「■■■■ッ!?」
唐突な加速に驚いたのか、一瞬身体を硬直させた魔物の懐に入り込み、俺はイヤリングへと手を伸ばす。
「兵装、解放――」
そして、手に掴んだのは緋色に耀く戦鎚。
かつて、数多の巨人を一撃の下に屠殺せしめたその武器の名は……
「巨者鏖殺の戦鎚―――!」
振りかぶった戦鎚は途端にその大きさを変え、二メートル近いサイズになって魔物へと襲いかかる。
「■ッ……!?」
その一撃は確かに魔物の腹に叩き込まれ、その巨体を『宙に浮かせた』。
「……はっ」
時間にして数秒。その中で俺は確信する。
コイツは、この魔物は――
「殺せる」
さあ、始めよう。
戦闘開始。