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翌朝、俺は家に戻っていた。
家のそばにある薄暗い蔵の中で、俺は小さな明かりを頼りに作業をしていた。
昨日寝過ごしてできなかった、網縫い。
網縫いとは、麻縄でできた漁網を竹針で縫う作業、見た目以上にこれが難しいんだ、手先がかなり器用じゃないとうまく行かないし。
(後は、一針で……)
ボロボロの漁網の切れている箇所を補修する作業をしていた。
俺はジャージ姿のまま、俺は網の穴に糸を通していた。
そのあと補修が完了した箇所を見返す。
「よ~し、完成」
一声上げた俺は、背後にある倉の入口から音が聞こえた。
明かりを持った鰹じいが、ちょっと怖い顔で入ってくる。
「ようやく、できたようだな」
「ああ、何とか間に合った。『大七夕』の前に終わった~」
「網目は細かく……ちょっと雑だな」
憮然とした顔でダメだし、鰹じいの一言に俺はため息をつく。
「ええっ、まだっスか?」
「いいや、大丈夫だろう。それにしても、勇太が買い物を忘れてくるとは」
鰹じいの言葉に、俺は顔を赤らめた。
鰹じいはそばにある小さな紙袋を見ていた。
それは草薙のところで、お土産として渡された少しこげたクッキー。
小さな紙袋に入ったクッキーを、一枚手に取って鰹じいは食べた。
「ごめん、鰹じい」
「勇太、今から釣りの極意を教えてやろう」
すると、鰹じいは難しい顔でそばにあったボロボロの竿を取り出した。
鰹じいは、俺にとって師匠。だからこそ、一言も聞き逃さないようにと耳を傾けた。
俺は目を輝かせながら次の言葉を待つ。
でも、なかなか鰹じいから言葉が出てこない。
ただ、竿を振って難しそうな顔を見せていた。
「これは……」
「この竿は、昔わしが使っていたものだ。
今は養殖もあって危険な漁にはあまり出なくなったものだ。だがな、勇太よ……」
そういいながら、竿を大きく振りかぶった。
「それでも、危険な漁で得られるものは大きい。
養殖では、漁で取れた魚に味は絶対に及ばない」
「えっ、何を急に……」
「釣りと人生というものは、一緒だと思う。
だからお前にはもっと危険な漁をしてほしい。そこで得られるものは魚だけではない」
鰹じいは、竿を振ってリールを巻く。
竿の先には、船の上で取られた写真が飾られていた。
古いカラー写真は、色ボケしていて画質も悪い。
でも三人の海の男が、嬉しそうな顔で魚を釣り上げていた。
「写真?」
「これはわしじゃ、若かりし頃だ。もう三十年以上前になるのだろうな。
大漁旗をなびかせて、港に戻る前に撮った写真。
この船は数時間前に、大嵐にあって遭難しかけたんだ」
「ええっ、マジ?」
素直に鰹じいの武勇伝を聞いて俺は、驚いた顔を見せた。
「沖に流されて三日ほど、遭難してな。
ちょうど嵐もあって、自分たちがどこにいるのかわからなくなってしもうた。
あのころが懐かしいのう。わしはこの思い出が大事なんだ」
「思い出?」
「人は、いい事より悪いことを覚えているもんだ。
それは、成功した時より失敗した時のことを思い出として残るものだ。だから勇太よ」
鰹じいは竿を高い棚にしまって、俺の方を見ていた。
「失敗を恐れるな、そして失敗した時に冷静でいられる心を持て。
買い物を忘れて、クッキーを持って帰ったときにお前は慌てただろう」
「う……うん」
「勇太、恥や失敗は小さなものだ。そんな一時の感情に恐れては、海の男になれんぞ」
俺は鰹じいの最後の言葉に納得できた。