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あの後、しばらくたって俺は初めての場所にきていた。
スースーとハッカのようなひんやり感と、試験の緊張感のようなものが入り混じった部屋に俺はいた。
そこは草薙の家で草薙の部屋。
俺と草薙は二人きりでこの部屋にいた。静かな空間は、気まずい空気を感じていた。
この家に招いた駿さんは、「おもてなしをしないとね、久しぶりのお客さんだから」と上機嫌で台所に向かう。
なんだか、駿さんは駐車場で会った時よりすごく機嫌がいい。
鼻歌交じりに、台所へ向かっていた。
この駿さん本土の大学に行っていて、夏休みを利用して実家に戻って来たって言っていた。
そのあと、草薙に三階にある部屋に案内された。
女の子らしい部屋で、赤いカーペットにぬいぐるみとベッド、それから大きなタンスがある。
よく考えれば、中学入ってから女子の部屋に入るのは初めてだ。
幼なじみの姫子の部屋でさえ、中学になったら入るのにちょっと抵抗あるし。
「志田君、何もないけれど……」
いつも通りの草薙は、セーラー服姿のままクッションの上に腰掛ける。
草薙の部屋は、驚くほど変な部屋ではなかったけど少し広い。
テーブル越しのクッションに、俺も座って弥生と向き合う。
姫子の部屋は、男勝りというか謎のサンドバックがあった。
もちろん姫子の部屋の方がおかしいのだが。
恥ずかしくて、互いに顔を見合わせないまま部屋を知らずにチェックしていた。
基本は白を基調として、清潔感のある部屋だ。
この弥生の家は、式部島で一番大きいと駿さんが言っていた。
俺の家の十倍はあろうかという広さで、いっぱい空き室もあるって言っていた。
庭も大きく、専属の庭師さんも働いているとか。
草薙の家って、実は金持ちだったんだな。
「大きいな、家」
「うん、大きいよ」
俺がしゃべって弥生が俺の顔を見た途端に、俺は視線を少しだけ上にあげる。
草薙の顔を見た途端に、胸が少し熱くなっていた。
草薙は、それでも冷静に俺の方を見ていた。
「どうしたの?目を逸らしているようだけど」
「いや、なんていうのか、熱いというか……」
「窓、開けるね」
草薙は立ち上がって窓に近づく。
窓を開けると、そこから心地よい潮風が吹きつけてきて眼下に大きな海が見えた。
俺も立ち上がり、窓から外を眺める草薙の方に近づいていた。
「うわ~、きれいだな」
「この景色、気に入っているの。夜は星も……見える」
後半の方、草薙の顔が幾分か曇っているように見えた。
「そうだな。俺の家も、海の近くなんだ」
「そう、よかったわね」
窓から空を眺めた、草薙は素直にかわいかった。
長い髪が海から吹きつける風になびいていた。
(なんで、こんなにかわいいんだ)
それでも、うつろな顔で弥生は海を見ていた。
「俺んちだって海も見えるし、夜は星も見えるんだ」
「星を見るのは……なんでもない」
草薙は不機嫌な顔ですぐに窓から離れて、テーブルそばのクッションの方に戻っていく。
俺も歩いて戻ろうとしたとき、ふとそばに置いてある本棚に目をやった。
「あれ、これって?」
「あっ」草薙は驚いた顔で、かわいい声を上げていた。
俺が見つけたのは、赤い枠に入った写真立て。
その写真立てには三人の子供が写っていた。
男を真ん中に両脇に女で、左の女の子が草薙にそっくりだ。
そして三人の女の子は小さなテディベアを、それぞれ一個ずつ持って笑顔を見せていた。
左の女の子はグレーで、右の女の子はピンク、真ん中の男の子は白のテディベアを持っていた。
そのグレーのテディベアは、さっき俺が届けたものだとすぐにわかった。
「草薙の、子供時代?」
「本土に住んでいた小三の頃、遊園地に行った時に撮ったものよ」
草薙から、大きなため息が漏れる。
俺は写真を見ながら、うつむいた草薙を見ていた。
「私ね、好きな人がいたの。真ん中の子、彼が好きだったの。
同じ小学校の私たち三人はいつも一緒で、何をするにも仲良くやっていたわ。
でも私はね、この遊園地の後に転校が決まっていたの」
「転校?」
「そう。だから私は彼に告白をしたの。
『転校するから、いなくなっちゃうから、私は告白するね。彼が大好きだよ』って」
いつも無表情の草薙はこの時だけ、感情をこめて何かを訴えるように言った。
「草薙……」
「でも、ふられたの。あの子がずっと好きだったみたいで、あの子とは相思相愛だったから」
そういって指さしたのが、隣の女の子。
ピンクのテディベアを持った、かわいらしい女の子。
体を震わせた草薙に、俺はどこか哀れみを感じた。
「なんだか馬鹿みたい。
勝手に一人で好きになって、私の恋は絶対届かなくて、最後に彼と彼女を無意味に傷つけて……最低」
「そっか……変な話聞いちゃって……悪い」
俺は申し訳なさそうに素直に謝った。
でも草薙は、目をつぶって首を横に振っていた。
「ううん、いいの。私が全部悪いんだし、あの言葉がいけなかったの。
志田君は何も悪くないわ。
そんな私なんか、恋をする資格なんかないのだから」
「草薙、そんなことより何か臭わないか?」
すると下の方から、焦げ臭いにおいが俺の嗅覚を刺激した。
窓を見ると、黒い煙のようなのが上がっていて弥生が血相を変えた。
「あっ、兄さんだわ。全くもう……」
そういいながら、草薙が立ち上がるとすぐにドアの方に近づいていく。
口を尖らせ、軽く怒った草薙の顔がやっぱりかわいく見えた。
俺は思わず見とれてしまう。
そんなときにタイミングよく、ドアの方が先にガチャリと開く。
「ごめ~ん、弥生……」
そこに出てきたのが、はにかんでいた駿さん。頭をボリボリ書きながら苦笑いをしていた。