6
『式部島』は小さな島。
薄緑色に見える海がとてもきれいで、運がいいと沖の方でイルカが見えるらしい。
港から少し離れて、近くの海水浴場に来ていた。
今日は七月になったばかりの日、海開きされたばかりのビーチには平日でも多くのサーファーの姿。
待ち焦がれた海の日は、多くのサーファーが島の外から集まっていた。
曇り空で少し肌寒いけれど、サーファーたちが海を楽しんでいた。
俺は、学生ズボンとシャツ姿という海水浴場に似つかわしい姿で歩いていた。
歩きにくい砂だな、草薙はどこにいるのだろうと周りを見回す。
(早く、届けないといけないな)
なんとなくそんな気持ちで俺は歩いていた。
そして、俺は海岸を五分ほど歩いていくとあるものを見つけた。
「あれは、草薙」
そこには白いセーラー服姿の長い髪の少女が、砂浜に体育座りをして顔を膝につけていた。
近づくと、一人でぽつんと座っていた。
それは、間違いなく草薙。そして泣いていた。
「どこにいっちゃったの……私の過去……私の記念……」
悲しげな声で言う草薙は、小さな体を震わせていた。
なんと弱弱しく、力ない少女の姿なんだ。
(なんか……すごく可哀そう)
憐みの心が俺の感情を揺さぶる。
すぐさま、俺はカバンからぬいぐるみを取り出して、背中から草薙の肩に小さくちょこんとのせる。
それに気づいたのか、涙目で上目遣いをしてきた草薙。
今まで遠目で見ていたけれど近くで見るとかわいい。
「えっ、志田君?」
「おわっ、俺の名前を知っているのか?」
顔を上げた草薙の目は赤く、頬には涙の線が見えた。
教室では表情の変わらない草薙の顔が、くしゃくしゃにした泣き顔になっていた。
「これ、志田君が……」
俺が肩に乗せたぬいぐるみを見つけて、不思議そうに俺の顔を覗き込む草薙。
目の涙を拭いて、大きな瞳で俺を見つめてきた。
それと同時に俺の胸が少し熱くなった。
(ドキドキする、なんだ)不思議な感覚が俺を襲う。
「ああ、教室に落ちていて俺が拾ったんだ」
「教室、そっか……」
草薙は俺から、グレーのくまのぬいぐるみを大事そうに受け取った。
「ありがとう……志田君」
俺の顔を見た草薙は、小さなぬいぐるみを大事そうに抱きかかえた。
俺は草薙の隣に体育座りをしていた。
そのまま、泣き止んだ草薙の横顔をじっと見ていた。
(なんだか、よくみるとかわいいな草薙って)
俺はぬいぐるみを見ている草薙の横顔を見ていた。
その顔を見ていると、とても癒されて和むのを感じた。
前に姫子に言われたことがある。
「あたし以外の女子と、あんた話したことないでしょ」
確かに姫子の言うとおりかもしれない。
話すのが苦手なのか、俺は話す機会があまりない。
熱くなる胸をどこか不思議と心地よく感じながら、俺は口を開いた。
「草薙、あのさ……それって大事なものなの?」
「そうよ、私の大事なもの。よかったときの思い出、この子はバースディ・テディベアなの」
草薙が不意にぬいぐるみから俺に顔を向けたとき、俺は思わずドキッと胸が高鳴ったのが分かった。
(な、なんだよ、これ……)
同時に、今までに感じた事のない熱さが胸にこみ上げてきた。
でもそれはとても心地よかった。
「バースディ・テディベア?」
「自分と同じ誕生月のテディベアを持つと、幸せになれるの。幸せに……」
「草薙……、あのさ……」
「ごめんなさい!」
草薙も何かを感じ取ったのか、俺に顔をそむけた。
テディベアを抱いたまま体を震わせていた。
「何か気に障ることを言ったみたいだ、悪かった」
「私は人を好きになっちゃいけないの。また自分が……他人が傷つくから」
俺と草薙の声が、同時に聞こえて言葉が交差した。
それを気まずく感じた草薙は、そっぽを向く。俺もまた草薙に背を向けた。
そのあと、草薙と俺の間にはしばしの沈黙。
海が寄せる波の音が、静かに聞こえる。
なんてことをしたんだ、俺は後悔が残った。
(なんか怒らせたか……もう、帰った方が……でも居心地がいいんだ、草薙といると)
頭の中では、いろんなことをずっと考えていた。
考えるうちに胸の鼓動は、だんだん落ち着きを取り戻して安定していた。
「草薙……俺……」
「うん」弥生は、落ち着いた相槌をうっていた。
そんな時、奥の方から伸びた大きな声が聞こえた。
「お~い、弥生!」
それは、俺も聞いたことのある男の声だった。
声の方を振り返ると、砂浜の少し上の遊歩道から一人の男が来た。駿さんだ。
目立つ金髪とシャツの青年が、こちらにダッシュしてくる。
「見つけてくれたんだ。弥生、大丈夫か?」
「兄さん、ごめんなさい」
立ち上がって振り返った草薙の手には、しっかりグレーのテディベアが抱かれていた。
すぐさま駿さんは草薙のことを抱きしめる。
「恥ずかしいよ」
「心配したんだぞ、お兄ちゃんは」
「ごめんなさい」
駿さんが言うと、草薙はうつむいた。
申し訳なさそうにこうべを垂れた草薙の長い髪を、駿さんは撫でてあげた。
「大丈夫か?ケガはないか?お腹すいていないか?お兄ちゃんにハグされたくないか?」
「大丈夫、離して」
すっかり草薙は、涙を拭いて落ち着いた声で駿さんから離れた。
俺も立ち上がり、少し離れて兄妹の再会を眺めていた。
「ああ、志田君の方が早かったね。本当にありがとう」
「えっ、たまたまですよ」
「志田君、よかったら今からウチに来ないか?お礼もしたいしね」
そういうと、にこやかな駿さんが俺に手を差し出してきた。
駿さんの隣の草薙も、俺の方をいつも通りの無表情で見ていた。
「えっ、でも……俺、買い物を頼まれているし、薪島に戻らないと」
「残念ながら次のフェリーはね、後三時間近くは出ないんだ。次は、出航六時台だし」
そういいながら、駿さんはシャツの胸ポケットから何か黒い筆箱のようなものを取り出した。
その筆箱のような小さな黒い長方形の塊は、時計を映し出していた。
下には、数字が一から九と零のボタンがついていた。
「じゃ~ん、今は三時だから」
その時計は、三時〇五分を指していた。
「ええっ、ええっ!」
俺は不思議な映像の時計と、時間の足りなさとダブルで驚いていた。