12
学校での俺は、姫子の言葉をきっかけに変わった。
草薙の涙を見たあの日、学校で彼女がさらに気になっていた。
そしていつもの昼休みも、やはり変わっていた。
いつも通り俺は弁当を食べていて、その隣には草薙の姿。
「そこ、空いている?」、変わったのはその一言が言えたこと。
いつも数人の生徒しかいない屋上で、食べる草薙を見かけて俺は隣に座った。
俺の弁当はいつも、鰹じいが作ってくれるのり弁当。
ダイナミックな魚の料理は、海の男の不器用な不恰好な弁当。でも、味はお墨付きだ。
箸でつまんだ車エビを、俺は口に入れた。
それをいつも通りの無表情で、草薙が見てきた。
「それは、エビ?」
「ああ。ウチのじいちゃんが昨日、漁で取ってきたヤツだ。じいちゃん、漁師だから」
「おいしそう……」
指をくわえてエビを見ている草薙。俺は、ちょっと戸惑う。
草薙は、なぜか俺の弁当の方に興味があるみたいだ。
「草薙はパン食か?」
「パンが好き。でもごはんも嫌いじゃない」
パンを食べながら、次のパンのビニールを器用に開けていた。
草薙のそばには、パンを包んでいたビニール袋の束がきれいに五つ折りたたまれて置かれていた。
「草薙は、結構食うんだな」
「成長期ですから。それより、いつもいる沢野さんは一緒じゃないの?」
「ああ、姫子か。あいつは単なる腐れ縁。単に、慣れあっているだけだよ」
そんな俺の顔を、草薙はパンを持ったまま興味深そうに見ていた。
「な、なんだよ。恥ずかしいな」
「本当に?」
「ああ、本当だよ。アイツ見た目は美人だけど、口調乱暴だし、性格もきついし、おまけにバカで……
俺がいないと、いつも赤点だぞ。アイツは」
「そう?でも二人とも、随分楽しそうに見えるわ」
言っていた草薙は、寂しそうな目を見せていた。
寂しそうな草薙は、ビニール袋の隣に置いたグレーのテディベアをぼんやりと見る。
俺は頭をボリボリと掻いて、難しい顔を見せていた。
(なんか、気まずい)俺は草薙との空気感に慣れないでいた。
のどかな屋上は、周りの生徒がそれぞれ昼休みを満喫していたにもかかわらず。
「草薙、どうしたんだ?」
「それだけ、沢野さんのことを知っているんでしょ。
私は……目立つ子じゃないから。私には、何もないから」
「それでも、うるさいだけの姫子よりはずっとマシだよ。
だって……草薙といると……」
「えっ、なに?」
「その、心が落ち着くっていうか、和むっていうか……」
(何言っているんだ、俺)
俺は初めから感じた気持ちを言おうとした。
でも言おうとすると、恥ずかしさと切なさがこみ上げてうまく口にできない。
草薙は、じっと俺から目をそむけないで見ていた。
少し寒い空気だけど、その中にどこか心の落ち着きがあった。
俺はそんな草薙を見ながら、屋上から見える笹を指さした。
「昨日から始まったな、『大七夕』」
「そうね。でも、なんなの『大七夕』って?」
「草薙、知らないのか?」
驚きで声が大きくなった俺は、少しだけ得意げな顔を見せた。
「うん」草薙は、力なく頷く。
「なら、一緒に俺と行かないか?俺いろいろ知っているから」
「それって、誘っているの?私のことを」
草薙の目は俺の顔を映し出していた。
パンを食べるのをやめて、手を置いてじっと俺の言葉を待っていた。
なんだろ、なんか胸がムズムズする。
「あ、あたりまえだろ!」草薙を誘っている俺は、なぜか顔を赤くしていた。
「じゃあ、一つ質問します」
無表情な草薙は、そういいながら俺の前に人差し指を一本立てていた。
唐突の質問に、俺は逆に草薙の顔を見ていた。
その仕草がとてもかわいい。
「志田君はなんで、私に優しくしてくれるの?」
「それは、哀れみって言うか……なんていうか……」
上目づかいで見てくる草薙に俺は、頭をフル回転させて言葉を慎重に選ぶ。
だけど適当な言葉が出てこない。
苦し紛れで出た言葉に、草薙はテディベアを置いて俺に視線を浴びせてくる。
なんかすごく恥ずかしく、照れている自分がいた。
「私って、そんなに哀れ?」
「いやぁ、そういうものじゃなくて、俺が落ちつくっていうか……」
「そうよ。私は哀れで、卑怯で、臆病なの」
泣き出しそうな顔で、弥生は深いため息をついてうつむいた。
俺は、不意にうろたえてしまう。
「ち、違う。草薙!」
「どう違うの?私は、人なんか好きになってはいけないの!
父さんも、母さんを……私だって。もしかしたら今なら彼のことを……そんなことダメなのっ!」
感情的に、顔を赤くした草薙は興奮していた。
そんな草薙を見ていると、なんだか守りなくなるじゃないか。
俺は草薙の小さな肩に、両手を添えた。
「草薙、落ち着け。大丈夫だから」
「ごめんなさい、私はあなたにこんなに優しくされるとは思わなかったから」
草薙はゆっくりと俺の手を払ってきた。
そのあとは、草薙は再びパンを一心不乱に食べ始めた。
俺はもう草薙に話しかけることができなかった。