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ナイトメア  作者: 桂まゆ
8/9

夢路より

 突如閃いた銀色の光明は、僕の足下で眠り続けていた少年に迫り、それを無慈悲にも切り裂いた。

 さすがに、呆然となる。

「前にも言ったけど、もう一度言うよ。雄助。いや、白兎」

 銀色のまばゆい光明。

 それは、彼女の魂の色。

「あんた悪夢になるなら、私があんたを喰う」

「ジェシカさん!」

 それは、たったひとりの奇跡――本性はオヤジの、美しい天使。

 ジェシカと呼ばれ、光明は少し戸惑うような気配を見せた。

「覚えているなら、私の本当の名前を呼びなさい。今なら許す」

 あくまで、上から目線。しかし、その語尾にはかすかに照れのようなものがある。

 負けそうな時に、特にその傾向が在ることは、僕も知っている。「ハッタリに勝る力はない」とかいうわけ解らない理論を振りかざす、彼女。

 常にその精神で、勝利を掴んでいる、彼女。

 だから、僕は頷いた。

「はい。ありす」

 通称ジェシカ。またの名は、小林明子。どっちも仮の名だ。彼女の本名は小森吾理子と言う。

 吾の子であるという名前の真ん中に、よりによって「ことわり」を入れられたと、本人が嘆く名前。

 そこまで、望んで生まれた子なのだろうと僕なら羨ましく思うのだが。そのあたりにはなにやら、デリケートな葛藤があるようだ。

 ともあれ、僕がその名をを呼んだ瞬間、銀色の光が人の形を作り出した。

 いつも、自信ありげで――どんなに調子が悪い時でも、豪快に笑ってごまかす。ハッタリで、自分までも騙す。

 強くて、意地っ張りで、目が離せない。そんな女性が浮かび上がる。

「遅いですよ、ジェシカさん」

 告げる僕に、ジェシカは悠然と笑ってみせた。

「約束をした覚えはないんだけどね?」

「嫌だなぁ。もう、忘れたんですか?」

 負けじと、僕も唇の端を引き上げて見る。

「もの忘れが酷くなるのは、老化現象ですよ」

 すうっと、ジェシカの目が冷たくなる。

「それは、もしかしたらアレか? フォローするなら明後日以降と言った、私の言葉か?」

「勿論。だから、がんばって引き延ばしたんでしょ?」

 つかつかと歩み寄って来たジェシカが、僕の耳を摘む。思ったより痛くないのは、これが夢の中だからだろう。

「お前は、脳味噌腐ってるのか? それとも、悪いのはこの耳か? 単独でナイトメアに近づくのは、私たちにとっては第一のタブーだと、何度も言われた筈だろうが!」

 その通り。

 「ナイトメア」は、そもそもが精神性疾患。不安やストレスが「悪夢」という形になり、徐々に精神を病んでゆく。

 普通の人間なら、まだ良い。「夢喰らい」がそれに触れ、万が一にでも「感染」してしまったら、その感染力は個人差こそあれ――あえて言うなれば、精神共鳴能力を持つ僕が「発病」してしまったら、「大流行」の恐れもある。

「始末書は、郵送済みです」

「気があうな。私もだ」

 そもそも「眠り姫症候群」は、アイドルグループ「INC」のファンサイトがナイトメアに寄生されていた事が由来する。あのサイトを利用した者から、やがて周りに居る者へと感染経路を拡大させていった。

 多分、ナイトメアによる「感染」が無ければ、「INC」に今の地位は無かったであろうと、推察する。それほどの、影響力。直接ナイトメアに触れた者が「醒めない眠り」に捕らわれる事となった。それが、僕が出した事の顛末だ。

 そうと気づいた時点で、僕が単独で動くのは「始末書」では済まされない問題。

 だが、僕でないと囮にはならないと、気づいてしまったのだ。

 ナイトメアが、僕のかつての親友だったから。

 別の言い方をすれば。「美夢」と呼んだナイトメアを産み出したのが、僕本人だから。

 ジェシカが、ナイトメアを見た。

 僕も、その視線を追う。

 僕らの目の前で、その輪郭が歪み、少女は黒い獣へと変貌を遂げている。

「お前は、私たちが、喰う」

 ジェシカが、最後通告を告げた。



 再び銀色の光明を纏った、ジェシカ。いつもながら、その姿はすさまじく美しく、静謐で――。

 彼女が、本調子を取り戻している事を、僕に知らしめした。

「もう、大丈夫なんですね?」

「出すもん出したからね」

 答えるジェシカは、少し照れているようだ。

 僕としては、彼女が「出したもん」の正体がとても気になるのだが。

「しかし、本人の目の前で、本人の過去を切りますかねぇ」

「それは、悪かったと思ってる。でも、さすがに私も焦った」

 少しだけ、笑って頭を下げた、ジェシカ。

 だから。ジェシカは無慈悲だけど、天使なのだ。

 ジェシカがいない。ジェシカがナイトメアかもしれない。そう考えると、いたたまれなくなった。そして、僕は敵の罠にはまった。そんな僕をあっさりと切り捨て――平気なわけではない。

 平気なわけではないのに、笑って見せる。だから、天使なのだ。

「来たれ! 吾が眷属」

「え? 呼ぶんですか?」

 念のために、聞いてみる。ジェシカは不思議そうに僕を見た。

「だって、私が能力全開したら、あんたの精神壊しちゃうし」

 そう、ここは僕の夢の中。ここを戦闘場所にされると、確かにかなりのダメージは予想される。

「それは、そうなんですけど……」

 そして僕は十年ぶりに会うのだ。天使が従えた、別の意味での悪夢と。



「おまちー」

 告げたものに、僕は小さく溜息をついた。

 それは、僕の腕章に描かれた「ゆるキャラ」によく似た。とゆか、あのキャラはこいつがモデルなのだろうと思う。それとも逆か?

 ピンク色の丸い塊。それに、ジェシカは労いの言葉を告げる。

「よく来てくれた。我が眷属。夢喰いの……」

「豚」

 絶対に「獏」とは言わせない。そんな、神秘的なものではない。僕らの前に降り立ったのは、まさに、ちょっと鼻の長い、すけべ目の、豚。

 あろうことか、ぷっと、ジェシカが吹き出した。

「ジェシカ、ひどい。おいら傷つく」

「だったら、もっと可愛い外見になってみろ。あっちは猫だ」

 まじまじと、自分で召喚した自分の分身――ジェシカの力を具現化したものらしい豚を見て、嘆息する。

「なんだ、その怠惰をあらわにしたような下腹は。次までにへこませろと言った筈なのに、更に大事にしやがって」

「それは、おいらはジェシカを写す鏡みたいなもんですから」

 豚は、あっさりと言う。

 無理だ。

 それは、無理だ。

 ほら、ジェシカが震えている。

「なん、だと?」

「だって、おいら知ってるのだ。ジェシカはとっても怠惰で。いっつもごろごろーごろごろー」

「それは認めたとしても、下腹だけは鍛えておるわ!」

 とりあえず、ジェシカの三白眼が怖い。マジで、精神世界を破壊されそうだ。

「豚くん。冗談は程々にしたまえ。美しいジェシカに、失礼だろう」

「そ、そうだね」

「胸くそ悪い冗談を言ってる暇があったら、とっとと喰って来い!」

 ジェシカに凄まれ、豚……いや、「夢喰い獏」は黒猫に躍りかかった。



 勝負は、一瞬。

 ジェシカが現れた瞬間から、「美夢」の姿を保つ事が出来なかったナイトメアには、至極当然の結果だっただろう。

 ジェシカが攻撃を躊躇っていたのはただ、強すぎる力で僕の精神を破壊しない為だから。

 そして、ジェシカはちゃんと僕の役割を果たさせてくれた。

「お前は、僕から生まれたもの。だから、僕の中に戻れ」

 倒れ伏した黒猫に触れると、それはすうっと僕の中に吸収される。

 「これ」は、元々僕が産み出したもの。今なら、ちゃんと消す事が出来る。

 十年前、「これ」のせいで醒めない夢を見る者が激増した事なんか、僕は知らない。宿主である僕ごと、ナイトメアを退治しようとしていたジェシカの使命なんか、知らない。

 知らなくて良いと言われたから、知らない。 

「宿題は、ちゃんと解けたみたいだね」

 ジェシカが笑う。だから、僕は頷いた。

「醒めない夢を、ずっと引きずっていたのは僕だったんですね」

 本当は、それも有りなのかと思っても見た。

「ナイトメアと一緒に、醒めない夢のなかでいつまでも追いかけっこをしているのも有りかなって」

 僕の頭を撫でる、ジェシカの手。

「だったら、どうしてそうしなかったの?」

 ゆっくりと滑っていたそれが、僕の耳をつまみ上げる。

「そうしたら、喰ってやったのに」

 痛く感じるのは、目覚めの時が近いせいか。

「遠慮します。絶対に、ジェシカさんには食べられませんよ」

「生意気」

「僕なんか食べたら、下腹ふくらみまくりですよ」

 「生意気」と、もう一度ジェシカが言う。

 その笑顔は、まさに、天使の笑顔だった。



 さて。

 その後、僕はしばらくジェシカの尻ぬぐいに奔走される事となる。

 本来なら「こんなもん、屁でもないわ」とか言いそうな処理だったのだが、ジェシカが受けたダメージが大きすぎた。

 他でもない、ジェシカの分身であり夢世界の具現化である「獏」とはとうてい呼べない「豚」。

「なんで、十年であんな姿に」

 と、ジェシカは嘆くが、下腹以外はまぁ……昔から、豚だったわけで。

 ありていに言えば、そんなことは、今はどうでも良い。

 ジェシカが不調だった時、吐き出してしまったもの。それの処理に、僕らは追われている。

 しかも、ジェシカも僕も始末書は提出済み。罰則として、そのボランティア活動を強要されているのだ。

「なんで、僕まで」

 と、言うと。

「恩は、返すものなんだよ。雄助」

 当たり前のように、ジェシカが言う。

「解ってますけど!」

「それと、もうひとつ」

 ジェシカはちちっと指を立てた。

「全部終わったら、また乾杯しよう。今度は雄助のおごりね」

「どうしてですか?」

「この間、私の事を投げ捨てたよね?」

「覚えていたんですか? そんなこと!」

「言った筈だよ? 忘れないって」

 豪快に、ジェシカが笑う。



 少しだけ。

 夢路より帰った事を後悔した。

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