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ナイトメア  作者: 桂まゆ
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黒猫

 少し前まで、僕はジェシカと飲んでいた。飲み過ぎて潰れてしまったジェシカに、さんざ、仕事の愚痴をしゃべっていた。それは間違いようもなく「現実」だった。

 今、酔いつぶれたジェシカを背負った僕の前には、「あいつ」が居る。

 闇から染み出して来たような、黒い猫。僕が、見間違う訳がない。ならば、これは「夢」か? 誰の夢に迷い込んだか知らないが、「あいつ」は僕の目の前に居る。

 変な風に伸びる、影。それは上空に二つの月が輝いているから。

 幻の月に照らし出された、「あいつ」。既視感に捕らわれ、僕は笑う。

「会いたかった」

 そう告げると、猫は金色の目を細める。

(オマエ、カ)

 その言葉は耳を通さず直接脳裏に伝わって来た。猫が、一歩、僕に迫る。

 と、その時だ。どうしようもない不快感が、こみ上げて来た。

 まるで、胃の中をかき回されるような、不快感。それが何であるか、僕は知っている。

 そして、猫も戸惑うように目をきょろきょろとさせている。

「ちょ、ジェシカさん!」

 慌てて、背中のジェシカに声をかける。

「うーっ」

 と、ジェシカが苦しげな声を上げた。

「駄目、吐く」

 精神同調能力者である僕は、会っただけでその人の精神状態をうすぼんやりとだが理解する事が出来る。さらに接触すれば、自分の身体を通して知る事が出来る。

 今、ジェシカを苛んでいるのは「吐きたい」というもので。

 これに引きずられてはいけない。だが、気持ちが悪い。

 慌ててジェシカを投げ出す。身体を離せば、間に合うかも知れないと思ったからだ。

 受け身も取れずにひっくり返ったジェシカが、恨みがましげな目を僕に向けた。

「今の、忘れないからね」

 そう告げた後で「うっ」と口元を押さえたジェシカ。

 彼女と僕と、そして猫までが一緒に、吐いた。

 恐るべし、ジェシカの悪酔い。そして、猫までが吐いたのを見て、僕は自分がとんでもない失敗をやらかしてしまった事に気がつく。

 誰かの「夢」に迷い込んでしまった僕は、同じく迷い込んだジェシカに同調してしまい、悪酔い状態になった。同時に、普段は決して発動させてはならないもう一つの能力が、発動してしまったらしい。

「雄助」

 倒れたままだったジェシカが、右手を僕に差し出す。

「ずらかろう」

 本当はしばらく触れるのは嫌だったのだが、僕はジェシカの手を掴み、助け起こす。

 とりあえず、この夢から出なければならない。これ以上、被害を広げてはならないのだ。

 最後に、それでも振り返る。

 黒猫は何事もなかったかのように尻尾を振りながら、闇の中に消えて行った。



 朝、起きると自分の部屋に居た。

 どうやって帰ったのかは、よく覚えていないが、どうやってか帰ったのだろう。

 まだ少し胃が重かったが、とりあえず朝刊とテレビのニュースをチェックしてみるが、心配したような「事件」は報道されていないので、ひとまずは安心した。

 シャワーを浴びて人心地つけ、食欲は全くなかったが僕の為に用意された、しじみ汁だけ飲む。

 母親から「昨夜の泥酔」について、「酒は飲んでも飲まれるな」との有り難い言葉を頂き、いつものように出勤する。

 案の定、ジェシカは「体調不良」で欠勤だった。

 肝心な時に使えないな、とか、本人の前では決して言えない事を考え、自分でもおかしくなった。ジェシカは宣告したではないか。「フォローはする。でも明後日以降」だと。「明日は二日酔い決定だ」と。

 まるで、最初から解っていたかのように。僕が「明日」まで待てない事を。

 だから僕は室長のデスクに向かった。ある許可を取るために。

「『眠り姫症候群』の患者のひとりを――誰でも良いので今日一日、僕に『調査』させてください」

 山本「睡眠障害予防対策特務室」室長は少し驚いて僕を見る。

「もう、何か突き止めたかのか?」

「いえ、まだ何も」

 正直に答えると、山本室長は眉をひそめた。まあ、当然の反応だろう。何の確信もないのに、「調査」の為だけに患者の精神状態を探らせろと、僕は言っているのだ。

 治療ではない。そこを治療と偽ってでも、同意書を取れと。

「では、理由は? 理由もなしに同意書は取れないぞ」

 室長の言葉に、実は少し驚いた。

 てっきり「話にならん」と言われると思っていたからだ。室長と直接口を聞いたことも数える程しかない新米、それが僕だから。

 理由を聞いてもらえたことに少しだけ安心して、僕はそれを口にした。

「昨夜、ナイトメアに会いました」

 僕の言葉は、室長にはかなり衝撃的なものだったのだろう。彼は動きを止めた。

「誰の夢かは、解りません」

「君の夢ではないのだな」

 室長は、厳しい目で僕を睨んでいる。だから僕は頷く。

「今朝、二日酔いになった誰かの夢であるのは確かですが」

 僕の、普段は決して発動してはならない能力。それが「精神共鳴」と呼ばれるものだ。

 「同調」が自分の感覚としてインプットされるものならば、「共鳴」は能力者を媒体にそれを外に向けて放出する能力だと思ってもらえば良い。

 波紋。ひとたび投げ込まれた石は、幾重にも波紋を作り、広がって行く。

 僕は、昨夜ジェシカと同調して彼女の悪酔いを受け止め、あまりの気持ち悪さに周りにまで広げてしまったわけだ。

 つられゲロの強化版。多分、夢を見ていた本人も泥酔しており、それに同調してしまった僕が夢の中に迷い込んだのだろうが……悪酔いをさせた事は、申し訳ないと思っている。

「ナイトメアが、『眠り姫症候群』に関わっている、だと?」

 室長が、額を抑えて呻く。

 「ナイトメア」は僕ら「夢喰らい」の天敵。

 慢性的な精神性疾患で、「鬱」とよく間違われる。

 科学では、証明出来ない事の象徴のように、僕らの前に居座っている。僕らの目には「夢」を渡って遊んでいる姿が見える。そうやって、この病は「感染」するのだ。

 取り憑かれたのが、一般人なら――良いとは言いきれないが、被害が少ない。永遠に続く悪夢にひとりでうなされるだけ。やがて悪夢が別の夢を渡るか、それとも本人が自ら命を絶つか。大変に不謹慎だが、そういうものなのだ。現に、「ナイトメア」が確認された後、その対策の為に動いた「夢喰らい」はひとりしか居ない。なぜならば、万が一でも精神感応能力者に取り憑かれたら、「大流行」の恐れがある。

 真っ先にやり玉に挙げられるのが、その特殊能力者ばかりが集まった公共機関である「夢喰らい」になるのだ。

 室長の危惧は、当然だ。

「馬鹿なことを言うな。それなら、治療に当たった者が気づく筈だ」

 そう。僕も確かに患者を診た。だが、そこに精神性疾患の気配をどうしても感じられなかった。

「だから、調べたいんです。『眠り姫症候群』の患者達の共通点を」

 僕は、『眠り姫症候群』を環境性の疾患だと見ている。だから「ナイトメア」が関与していなくても患者達には必ず共通点があるはず。

「せめて丸一日、患者とつき合わなければ、僕には判断がつきませんから」

 室長が最初に見たのは、「特務室」にある一席。本日体調不良で欠勤の人の席だった。次に、デスクに無造作に置かれたメモを確認し、嘆息する。

 受話器を取り、いくつかの部署に指示を出し。届いたFAXに目を通して、頷く。

 ようやっと、山本室長は誇らしげにそのFAX用紙をひらひらとさせながら僕を見た。

「斉藤君。今、同意書が取れた。こちらの患者の元に行きなさい。でも、治療法が見つかったら、最初にこちらの患者を治療するのが条件だ」

 僕は、深く頭を下げた。


 脳裏に、いつまでも残る黒猫の残像を思い出しながら。

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