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ナイトメア  作者: 桂まゆ
3/9

「眠り姫」症候群

 僕らは、いわゆる公務員。少し詳しく言えば、保健所職員。

 更に詳しく言えば「健康増進課 精神保健係 睡眠障害予防対策特務室」――それが、僕らの部署だ。

 ストレスから来る睡眠障害をはじめとする精神性疾患を分析し、最適な人材を投与して、医療機関と協力をしながら対策を練る。いわば、眠りのプロフェッショナル。

 質の良い睡眠は体調を整え、老化を防止し、身体を活性化させる。健康である為に無くてはならないものだ。

 だが現在、その「健全な眠り」に大いなる危機が訪れつつあった。

 巷で流行を見せはじめた、「眠り姫症候群」と呼ばれる新種の睡眠障害。

 その名の通り、「覚めない眠り」に捕らわれる病だ。昏睡状態と違うのは、起こされればとりあえず目は覚ます。だが、一度眠りにつくとすぐに再発し、何度でも繰り返される事にある。

 体内時計やアラーム音では起きられない人間は、居るだろう。だが、赤ん坊だって腹が減れば目を覚ますものだ。何十時間も眠り続けるというのは、ただごとではない。実際に、ひとり暮らしの若者が眠ったまま衰弱死する例すら現れているのだ。

 そうして、警察機関、医療機関、知識人などが手を携え、「眠り姫症候群対策本部」が設置された。

 そこに、アドバイザーとして保健所から派遣されたのが、この僕だった。

 上司から相談を受け、僕を押したのはジェシカ。

 僕の背を押したのも、ジェシカ。

 重い気分を何とか振り払って扉を開けると、そこに集うお偉方が胡散臭いものを見るような目を僕に向けた。

 彼らの視線は、僕の腕章――「睡眠障害予防対策特務室」のイメージキャラクターがプリントされた、それに集まっていた。

 鼻は像、身体は熊、目は犀、尾は牛、足は虎。

 説明したら、それなりに怖い絵が出てくる筈なのに、そこは実に緩く描かれた――スケベそうな目つきのちょっと鼻が長い豚にしか見えない。可愛くないし、怖くもない。それなのに「なんじゃそりゃ」というインパクトだけはある……いわゆる、ゆるキャラというやつなのだろう。これも、僕の重い気分の一端を担っている。

 失笑。「お前のような若造に何が出来るのか」と、言いたげな視線。ま、実際に僕は「夢喰らい」の中でも一番ぺーぺーなのだから、それは仕方ないかも知れない。

(安心しなさい。どの「夢喰らい」も、彼らに言わせれば「若造」なんだから)

 ジェシカは、そう言って僕の背を押してくれた。

 何故、「現場」ではないのか。僕なんか、アドバイザーとして認めて貰えるわけがないのに。そう愚痴た時に。

(もしかして、戦力外だからですか?)

(そんなわけないでしょ。でも、雄助もそろそろ独り立ちしないとね)

 ジェシカの言葉を思い出しながら、僕は軽く会釈をした。

「保健所から派遣されてきました『夢喰らい』の斉藤です。若輩ですが、現場は何度も経験して来ました。きっと、お役に立てると思います」

 最初にハッタリをかませておけというのも、ジェシカの入れ知恵だ。

 「睡眠障害予防対策特務室」の中でも特に、「夢喰らい」と呼ばれる能力者。患者の精神的なストレスを取り除いたり、本人が自覚しない不安をみつけたり。長い時間をかけても完治しないと思われていた心の病すら、稀に癒す事が出来る者も居る。

 僕らが本気になれば、「醒めない夢」などないと、先ずはハッタリをかませろとジェシカは言った。それが、成功したかどうかは解らない。

「なるほど。『夢喰らい』ならば、あの病には有効かも知れませんな」

 「T大学名誉教授」の肩書きを持つ男が、僅かに失笑を浮かべながら僕を見た。ハッタリは失敗に終わったようだ。

 「現場に戻れ」。そう言いたいのだと解っている。

 だが、そういうわけにはいかないのだ。

 僕に出された宿題。

 「醒めない夢」の原因を探し出せ。それが終わるまでは、絶対に自分の元に戻る事を許さない。

 彼女が、僕にそう命じたのだから。



 だが、重い気分を引きずりながらの帰宅途中。

 僕を呼び止めてくれたのは、ジェシカだった。

 ビアホールに連れ込まれ、「乾杯」の経緯となる。

「そもそも、ジェシカさんがちょっと覗いてみたら解るんじゃないですか?」

 僕の「オヤジかい!」発言で、気分を害したジェシカを宥めること、しばし。

 ようやっと気を取り直してお代わりをする彼女に、僕は早速ぶうたれる。

「あのね。そんなことは、思っていても口に出しちゃ駄目」

 「夢喰らい」と一口に言っても、その能力はひとそれぞれ。

 医師から送られたデータを元に様々な角度から分析し、論理を組み上げて行く者から、僕のように患者に接しなければどうしようもない者まで。その能力はバラバラだ。

 中でも、ジェシカは強力な精神感応能力の持ち主で、相手の夢の中に直接入り込む事も可能だった。まぁ、一般人相手にそんなことをすれば、犯罪になるのだが。

 本人自筆又は家族の者の許可証があり、更に医局長の許可が下りなければ、決して行ってはならない。個人の尊厳は、害してはならないのだ。

「そういう雄助は、患者を診てきたんでしょ? どう思った?」

 うーんと、僕は首をひねる。

「あれって、精神性疾患ですかねぇ。どうにも、その匂いがしないっていうか。響かないっていうか」

 僕の能力は、「精神同調」と呼ばれるもので、他者を前にするとその感情や精神状況などが伝わって来るという。ごくごく微細な精神感応能力だ。

 触れあえば、もう少し踏み込む事が出来るが――それも、行きすぎれば犯罪になるし、特に異性の身体に触るのは、下手をしなくてもセクハラだ。

「だから原因は、もしかしたら環境の方かも知れないと……ちゃんと調べたわけじゃないんで、これは勘の域を超えてないんですけど」

 「眠り姫症候群」の原因は、未だ不明。

 解っているのは、この病にかかる確立が男性よりも女性が確実に高い。比率にして、三対七程度か。そして回復率が高いのも、実は女性。もっとも自力で回復しない者の方が遙かに多いので、この数字はあまり当てにはならない。

 かくして、推測されるのは「男女による眠りの質の違いが病気に反映されているのでは?」というものだった。原因究明の「げ」の字も出てこない。

 僕が「環境性」のものだと思うのは、そもそもが精神性疾患は普通、感染したりしないからだ。

 あくまで「よほどの特殊事項が重ならなければ」だが。

 だから、僕はジェシカを見た。

「最初から解っていたから、僕にやらせたんじゃないんですか?」

 ジェシカは、答えない。だから、僕はそれを肯定と取った。

「ね、ジェシカさん。何か隠してません?」

 俯いたまま、固まっている、ジェシカ。

「ジェシカさん!」

 思わず力が入った。ジェシカの肩を掴み、揺する。

「ばか、ゆらすと……」

 その消え入りそうな声に、嫌な予感がしながら覗き込む。

 ジェシカは、真っ青な顔をしていた。

「うえぇぇぇ」

 両手で口元を押さえて、手洗いに駆け込む。

 間に合ってくれたら良いなと、どこか遠い場所で僕は思っていた。



「ああ、信じられん」

 夜道を、ぼやきながら歩く。

 あの後、ジェシカ何度か吐いて、それでもすぐに復活して、最終的にはコテンと眠ってしまった。吐瀉物の匂いがする彼女はタクシーに乗車拒否をされたので、仕方なく僕が彼女を負い、歩いて帰る事となった。

 酒に弱いなら、飲むな。そもそも大人なんだから、自分の限界量ぐらい解っておけ。

 でも。

 結局、愚痴につき合わせてしまったのは僕のような気がする。

 何故、こんな新米の僕にあんな仕事を任せたのかと。

(あのね、雄助。恩っていうのは返すものなんだよ)

 そう言って、くすんと笑った、ジェシカ。

 「だったらいつかまとめて返しますから」と、僕は言った。

(まとめなくて良いから。返せる時に、少しずつね)

(雄助だって、いつまでたってもペーペーで居てもらっちゃ困るし。そのつもりもないんでしょ?)

 せめて、フォローぐらいして下さいよと言うと、ジェシカは困ったように笑った。

(フォローは、してあげる。でも、明日以降)

(明日は二日酔い、決定……)

 眠ってしまったジェシカを見て、不覚にも可愛いと思ってしまった事は、絶対に秘密だ。

 ものすごく頼りになるのに。時にものすごく無慈悲なのに。どうして、人前でこういう風に眠れるのかと。

 でも、金輪際、ジェシカと二人では飲まない。結局、聞きたかった事は何も聞けなかったし。

 と、そんな事を考えた時。

 違和感に気づいて顔を上げる。

 蟠った闇の中に、そいつは居た。



 夜の闇から、それは染み出すように現れた。

 闇は蟠り、やがてひとつの形を取る。

 金色の目を持つ、黒猫。

「お前は……」

 僕は、その猫をじっと見つめていた。まるで、魅せられるように。

「待っていた」

 確信を持って、告げた。知らず、口の端が上がっているのを自覚する。

 猫が、少し目を細めて、僕を見る。僕も猫から目を離さない。

「会いたかった」

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