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シリーズ1~フィンダリア

蜻蛉に捧ぐ誄歌

作者: ねおばーど

シリーズ番外編集「フィンダリア漫録譚~花筐~」とは別にしたく、今回短編にて投稿。恋愛要素も、ファンタジー要素もほぼ皆無。そのため良いカテゴリーがないのでとりあえず「文学」としてます。作中初体験を匂わせる描写あり。全体的にはPG-12程度ですね。(PG12とは、作中「性・暴力・残酷・麻薬描写・ホラー表現」が12歳未満(小学生以下)の鑑賞には不適切な表現が含まれる為、閲覧には成人保護者と一緒にが適当に該当)エロくもない……と思われますが、人によっては不快に感じる方もいると思います。一応R-15警告も追加しますが、この前置きで不快に感じた方は、閲覧を控えてください。

 蜻蛉に捧ぐ誄歌るいか



 これは今はもう遠い昔の記憶……



『―――殿下、知っていますか……蜻蛉という虫を。 この蜻蛉という虫は、自らの身を削るように腹の子に与え、そして儚い僅か数日の生涯を……生まれゆく我が子に捧げて生を全うするのです……』



 そう言って私を慰めるように語りかけたのは、私の夜伽を初めて務めた女性だった。

―――忘れるはずのない人だった。

 けれどもあの遠い日から流れる年月は、次第に私の記憶という世界にその女性をそっと静かに眠らせて、その後呼び起こす事などしなかった。


 それこそもう何年も―――


 それなのに何故、急にそんな古い事を夢に見て思い起こしたのか。

 それは我ながら不思議だったが、今にして思えばこれが虫の知らせと云うべきモノかもしれない。


 程なく私は彼女の死を知らされたのだから――――。



○*:..。○*:..。○*:..。○*:..。○*:..。



 フィンダリア帝都パレスには、大小様々な教会堂が点在している。

教会堂、それは民の厚き信心を支える象徴。

それに人々の集会場を兼ねる事も多いので、多くは地区に住まう人々の中心地に規模の大きな建造となっている。

殊に帝都パレス内には、フィンダリア内の教会堂を束ねるに相応しい壮麗な大聖堂もあり、

そこは「流石に大司教様がおわす場所」だとフィンダリアの国民の信望を集めているのだった。

 また一方で神を敬い日々の安楽を祈るその場所は、同時に人の最後の終息地でもある。

 生を全うした亡骸は、畢生ひっせいぎょうも犯した罪も、まとめて墓標の下に納められて、身分や社会的扱いに差が現れようとも皆大地に還るのだ――――。

 

 さてそんな数あるパレスの教会堂の一つに、この国の前皇太子、そして今は帝国宰相となった皇子が、この時白い花金鳳花ラナンキュラスの花束を抱えてとある墓標に訪れた。

 ひっそりと立てられた墓標は、石面に飾り彫りを施してあることから貴族のものと思われる。

またその墓碑にもしっかりと、身分を明かす文句が刻まれていた。


『アディンセル伯爵夫人マルヴィナ、此処に眠る』


 刻まれたその墓碑は、些細な潤色すら用いていないありきたりの文言。

 だがリオンはその墓標をもの悲しげに見つめた。

「“マービー”……いやアディンセル伯爵夫人。 君とこんな形で再会するとは、別れたあの頃には思わなかったよ」


 リオンは鎮魂の言葉を呟くと、手にしていた花束を墓標に静かに添えた。

花を添えた後、リオンは墓標と無言の対話を交わす。

 この時亡き人を偲ぶリオンのその姿は、そしてその深い喪失感は、ただの憂いだけでは語れぬものが漂っている。

しかしそれも当然の事かも知れない。

 何故ならこの墓標は、フィンダリア前皇太子の乳母にして教育係を務めた女性のものだったのである。 

 幼少の頃から一番身近にあって慕った女性。

 年端のいかぬ幼児期に実母を亡くしたリオンにとって、母代わりを務めてくれた大事な女性だったのだ。

そしてリオンは在りし日の乳母の事を思い出す。

 黄茶の髪にソバカスがうっすらあって、それこそ目を見張る様な美しい女性ではなかったが、愛嬌があり亡母の代わりに慈母の温かさを与えてくれた女性だった。

一緒に育った同母の弟も、彼女にとても懐いていた。

 幼き頃、よく自分の乳母に対する弟の懐き様を見た父が苦笑して言ったものだ。


『一体どちらの乳母なのか分からぬな』


(―――あの後、父上の言葉に君と一緒に笑ったのだったね、マービー……)


 当然その死を悲しまずにはいられない。

 その死を悼まぬ訳がない。

 するとこの時、消沈したリオンに近づく男が、皇子の背に向かい声をかけた。


「殿下に足を運んでいただけるとは……。 きっと亡き母もこの名誉を光栄に思っている事でしょう」


 そう声をかけられたリオンは瞑目して呟いた。

「名誉か……」

 果たして本当にそうだろうか、墓標に問いかけたところで答えはない。

 リオンは寂しい自嘲を顔に浮かべた後、ゆっくりと己を呼びかけたその相手に振り返った。

「君とは初めて会ったが、私とは“乳兄弟”になるのかな、アディンセル伯?」

 リオンに声をかけたのは、乳母の息子にあたるアディンセル伯爵家の現当主だった。

名をデフロット、年の頃ならリオンよりも十近く離れている貴公子だ。

 おそらく彼の弟妹達の誰かがリオンと同年に当たるのだろう、初めて対面したリオンはそう思った。

 ところが―――

「いえ…私は殿下の乳兄弟にあたりません、私と母に血の繋がりはありませんから」

「え?」

「私の父は再婚歴がありましてね、私は父の前妻の子。 つまり此処に眠る母は継母にあたるのですよ」

 なんとデフロットは、フィンダリア前皇太子(リオン)の訊ねに応えると共に彼が予期しなかった真実をも告げた。

 リオンの立てた憶測は外れた事になる。

 そして初めて知った真実に驚く前皇太子。

するとデフロットは、まだ驚き止まぬ皇子にその訳を語り始めた。


 乳母は彼の父親の後妻であった事。

そしてリオンの真の乳兄弟―――乳母の娘は、生まれて直ぐに死んだのだと言う事を。


「そうか、だから彼女は宮廷に自分の子を連れては来ていなかったのか……」


 本来乳母の子は養育する御子と一緒に育つのが慣例だった。

 女が乳を流すのは、産んだ我が子に与える為。

そして乳を欲しがるのは、養育する御子だけでなく我が子も同じだからだ。

 しかしリオンには、はっきりと乳兄弟といえる相手がずっといなかった。

その理由がようやく今になって理解できた。


―――一時は、皇太子として育てられた自分に、父等が余計な影響者をつけない為の命でも与えていたのかと勘ぐりを持ったが、どうやらそうでは無いらしい。



「……」

「ご存じなかったのですか?」

 デフロットに問われて、リオンは珍しく放心した我が身を立て直した。

「あ……ああ、すまない。 初耳だったよ、彼女はあまり家の事を話さなかったからね」

 皇子が困惑しながら率直に打ち明ければ、デフロットはさもありなんと思ったのだろうか、憂いを含ませてうなずいた。

「きっとそうでしょうね……何せ母は想い合った男ではなく、二回りも歳の離れた男―――父と無理矢理結婚させられて、それから直ぐに子を孕んで出産した後、そのまま宮廷に召し上げられた女性ですから。 そう、貴方の為に(・・・・・)


 貴方の為に―――


 初めて聞かされた乳母の真実は、愕然たるものだった。

「何……?」

 リオンはその理由を、事情を知る乳母の義子むすこに答えを求めた。問う声を僅かに震わせて。

そして問われたデフロットは、複雑な思いでアディンセル伯家の過去を零した。

「父の出世の為ですよ。 丁度時の正后様が御子を身籠もられたと公表されたので、あわよくばそのお生まれになる御子の乳母に任命されないかとね。 もしその御子が皇子なら、次期皇太子殿下、これほど目出度い事はない。 そして結局は父の思惑通りに事は運びましたよ」


 次期皇太子の乳母に与えられる名誉。

 それは彼女の嫁ぎ先にも帰ってくる。

 何故なら一度乳母となった女性は、長期間乳母を務める子が乳離れをするまで夫や子等とは別れて皇宮で暮らす事になる。

よって皇太子の乳母を輩出した家は、その見返りとしてたっぷりの恩給と厚遇が与えられるのだ。

 妻、そして母を奪われる形になる一家の代償として。


 その事をリオンは勿論知ってはいたが、まさか彼女が初めから夫に仕向けられて自分の乳母に推された事までは知らなかった。

 そんな不幸な結婚をしていたとも……。

 

 リオンは改めて墓標を見つめて故人を悼んだ。

「……そんな境遇の中、ずっと私を養育してくれたのか。 彼女にはどんなに感謝しても、足りないよ」

「殿下……」 

「彼女は……ただ私の乳母を勤め上げただけの女性ではなかったからね」

「え?」


 その後フィンダリア前皇太子が口にした告白。

それは、アディンセル伯デフロットにとっては衝撃的なモノとなる。


「マービーは、私が初めて肌を合わせた相手だよ」


 その時静かな墓地にそっと風が流れ、墓地に立つ生者と墓標に眠る死者をぐ様に触れた。


○*:..。○*:..。○*:..。○*:..。○*:..。



『殿下お泣きにならないで下さい。 これが私のお務めです』


 私が女性の肌を知ったのは、十一を過ぎた頃。

 今となっては昔の事だ……


 それは父から新たに与えられた役目だったのか。

 今となっては分からない。

 

 だがあの夜、彼女は私の“乳母”から私の“女”となった。


 振り返れば彼女を好きで抱いた訳ではない。

 あの頃の私はこんな事、覚えたくもなかった。

 きっと私は。

 今思えば声がゆっくりと変わるように、自然と訪れる性の目覚めを待ちたかったのだろう。


 だが父は―――。

 そして周りもそれを許さなかった。


 皇太子だから。

 ただそれだけの理由で。

 しかし皇太子として産まれた事。

 それは私が最初から望んだモノではないのに。


 未熟な私が抱えた、陳腐な葛藤だ。

 その葛藤に鬱屈に暮れる私を慰めたのは、皮肉にも初めて肌を合わせた彼女―――マービーだった。


『―――良いのです、殿下……貴方が名実共に立派な皇太子となる為に、絶対に避けては通れぬ大事な事ならば。 母君同然の血肉を食らい、この身を味わい女という存在を理解して下さい』


 それは甘い心の高まりから自然と営まれた事でなく、皇帝ちちの跡を継ぐ者として叩き込まれた帝王学の一環に過ぎない。


 謂わば夜伽という教育。


 母を食らってでも生きよ。

 国家フィンダリアの為に。

 フィンダリア皇帝たる者として。 


 後にも先にも彼女と過ごしたのはその一夜だけだった。

 翌日には何事も無かったかの様に再び乳母に戻った女性。

そして最初に彼女の担った役は、それから別の女性に替わり、その後何年か私は彼女達から夜の帝王学を学んだ。

そう東の大国から私の花嫁となる王女がやってくるまで―――その頃には彼女はもう乳母の任を降りて皇宮を去っていた。

 

 彼女が皇宮を去っていく日、私に残した別れの言葉は『何れ迎えるお妃様との間に健やかなる御子を設けられますように……』だった。


 だが私は彼女の願う通りに生きてはいない。

 妻を持つ事を断った。

 皇太子の地位も降りてしまった。


 唯一叶えたのは……



 リオンは乳母の埋葬された墓地から移動して、教会堂内にある花畑に立ち寄る。

そこでは十歳くらいの愛くるしい少女が、尼僧と一緒に花を摘んでいた。

そして少女はリオンの姿を見つけると、笑顔で呼びかけた。


「リオン兄様ー!!」


(―――マービー、私が唯一叶えた君の願い、それは皇后ファナとの間にこの子が生まれたことだ)


 パタパタと自分の方に元気よくかけてくる少女。

自分と同じ髪に花冠を乗せ、愛する人と同じ蒼穹の瞳をキラキラ輝かせた愛し子。

リオンは笑みを浮かべてをその少女―――サリア・フィーネを抱き上げた。


「待たせて済まなかったね」

「ううん、ここはとってもいっぱいきれいなお花が咲いてたの」

「いっぱいお花を摘んで遊んだのかい?」

「うん!!」


(否、これは叶えたとは云えないな―――この娘は私の“年の離れた異母妹”だ)


(公の私に“子”は存在しないのだから―――嫡子も、そして庶子すらも……)


 どうやらとても楽しく過ごしていたらしい。リオンは安堵してサリアに微笑んだ。

「そうか、兄様もお墓参りは終わったよ。 では少し寄り道をしてお土産を買ってから城に戻ろうか、あまり帰りが遅いと皇后や新皇太子ジュリアスが心配するからね」

「はい!!」


 無邪気な笑顔でリオンに返事をする少女。

 だがこの少女はまだ知らない。

 長兄と慕う男が、自分の本当の父であることに。


 一方そんな重大な秘密を知らない少女は、抱っこされたまま年の離れた“兄”に相談を持ち掛けた。

「ねえ、リオン兄様、母様のおみやげはなにがいいかしら?」

「そうだね……何にしようか、この街で売っている焼きたての菓子なんかどうかな?」

「わあお菓子、おいしそう」

「ではたくさん買って帰って、みんなで食べようか?」

「うん!!」

 やがてリオンは屈託無く笑うサリアを大地に降ろし、彼女の手を繋いで帰り道を歩き出した。




 君に安らかなる眠りを。

 今はただそれだけを、私は君の冥福の為に祈り続けよう。


              <fin>  挿絵(By みてみん)





<注釈>

誄歌:故人を悼み、その業績を惜しんで詠む歌。=哀悼歌。

畢生の業:『畢生の業』は人生の功績という意味合いでしょうか。『畢生』はその人の一生涯、終生の意。


「吉野弘」氏の作品「I was born」に出てくる“蜻蛉”の表現にインスパイアされています。あの「浜田省吾」もインスパイアされてる詩人さんですし、OK?

二次ではないと思いますが。

う~ん、どうでしょうか?


世継ぎの初めてのお相手が乳母だったという話。

実に衝撃的な事ですが、太古は実母がつとめたそうな。

後に遠戚筋の年上女性に変わったといいますので。


※本作品の本編はムーンライトにあります。ご興味のある年齢適齢期の方はどうぞそちらにお越しくださいませ。

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