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「あの子はまだ子どもなんだ、大目に見てやってくれ」と仰るので、子どもとして扱って差し上げました

作者: 更田遅筋
掲載日:2026/10/06

「この子はまだ子どもなんだ。大目に見てやってくれ」


 婚約者はそう言って、腕にぶら下がった令嬢の頭を撫でた。


 令嬢は十七歳である。


「……承知いたしました」


「助かるよ、クラリス。君は話が分かる」


 分かっている。この方が本気でそう思っていることが、分かっているから困るのだ。


 侯爵家の庭。秋の茶会。寄子のロシェ男爵家のポレット嬢は、さっきから私の婚約者エドガー様の左腕を両手で抱えて離さない。


 私が婚約者としてこの家で過ごすようになって、一年になる。ポレット様はそれより前からいた。男爵家から行儀見習いとして預けられ、週の半分をこの屋敷で過ごしている。エドガー様とは、ポレット様が十歳のころからの付き合いだそうだ。


 十歳の子どもが腕にぶら下がるのは、かわいい。


 それから七年経っても同じことをしているのは、別の話だ。


「エド様ぁ、クラリス様が怖い顔してる」


「怖くないよ。クラリスは優しい人だ」


「じゃあ、もっとくっついていい?」


「はいはい」


(はいはい、ではない)


 私は扇を閉じた。


「ポレット様」


「はあい」


「お客様の目のある場所では、殿方の腕は放すものですわ」


「えー。だって、エド様は家族みたいなものだもん」


「家族みたいなもの、ですか」


「そう。だから、いいの」


 エドガー様が、困った顔で私を見た。その顔のまま、さっきの台詞が出たのだ。あの子はまだ子どもなんだ、と。


 庭の向こうで、侯爵夫人がこちらを見ていた。


(お義母様も、見ていらしたのね)


 子ども。


 昼の庭には場違いな夜会用のドレスを着て、紅を引いて、人の婚約者の腕に絡みついている子ども。


(そう。子どもなのね)


 それなら、話は早い。


「承知いたしました」


 私はもう一度言った。今度は、自分に向けて。


 子どもは、子どもとして扱うべきである。


◆


「お義母様。お願いがございます」


「なあに、クラリス」


 侯爵夫人――未来のお義母様は、刺繍の手を止めずに答えた。


「ポレット様のことですが。エドガー様が、あの方はまだ子どもだと仰いました」


「言いそうね、あの子は」


「ですので、子どもとして扱おうと思います。お屋敷の催しは、お義母様のお名前で出ますので、お許しをいただきたく」


 針が止まった。


「具体的には」


「来月の夜会。それまでにポレット様が改まらなければ、招待状は夜会ではなく、同じ日の子ども部屋のお茶会にいたします。三時から。付き添いは乳母のベルタ。お帰りは日暮れまで」


「…………」


「以後ポレット様がいらした際は、大人の席ではなく、子ども用の椅子を。お茶は薄く、お菓子は甘く。殿方の腕に触れたときは、ベルタが手を拭いて離します。子どもは、食べたあとの手で人に触れてはいけませんので」


 お義母様は針を置いて、私を見た。


「あら。子どもなら、私が躾けますわ」


「お義母様」


「息子が子どもだと言ったのでしょう。この家で子どもの躾をするのは、女主人の仕事です。あなたの仕事でもあるわ、クラリス」


「お義母様は、これまで」


「できなかったのよ。大人の令嬢として叱れば、あの娘に傷がつく。寄子の小さな家の娘に、侯爵家の女主人が傷をつけるわけにはいかないの。……息子が子どもだと言ってくれたから、やっと躾の名目が立ちました」


 七年、この方は見ているしかなかったのだ。


 私は深く頭を下げた。


 この方の息子に嫁ぐ。それだけで、この縁談は正解だった。


 乳母のベルタは、話を聞いて一度だけ眉を上げた。


「あのお嬢様を、でございますか」


「若様が、子どもだと仰ったの」


「若様が」


「ええ」


「……かしこまりました。子どもは、何歳でも子どもでございます」


 ベルタは私の乳母だった。婚約と同時に、この家へ連れてきた者である。手拭いの絞り方は、私がいちばんよく知っている。


◆


 最初の実践は、その週の昼食だった。


「エド様ぁ、お隣いい?」


 ポレット様が食堂に入ってきて、エドガー様の隣の椅子を引こうとした。


 椅子がなかった。


 代わりに、食卓の端に、小さな椅子がひとつ置いてある。背もたれに刺繍入りの布。前には薄い紅茶と、蜂蜜菓子。


「ポレット様のお席は、こちらでございます」


「え?」


「ベルタ」


「はい。お嬢様、こちらへ」


 ベルタがポレット様の肩に手を置いて、小さな椅子まで導いた。ポレット様は座った。座ってから、自分がどこに座ったのか気づいた顔をした。


「あの、クラリス様。これ、子ども用の――」


「ええ」


「私、十七ですけど」


「存じております」


「じゃあ、なんで」


「エドガー様が、ポレット様はまだ子どもだと仰いましたので」


 ポレット様は、エドガー様を見た。


 エドガー様は、スープを見ていた。


「エド様?」


「……言った、かな」


「言いましたわ。大目に見てやってくれ、と。ですので、大目に見ております」


 私はスープを一口飲んだ。今日の塩加減は良い。


「子どもですので」


 これが最初の一回だった。


 二回目は、数日後の書斎。


 ポレット様がエドガー様の背中に抱きついたところへ、ベルタが手拭いを持って入った。


「お嬢様、お手を」


「え、なに」


「お菓子を召し上がったあとでございましょう。手が甘うございます。若様のお召し物が汚れますので」


 ベルタはポレット様の両手を取って、指を一本ずつ拭いた。それはもう、丁寧に。


 ポレット様は手を拭かれながら、エドガー様の背中から離された。


「エド様ぁ」


「……ポレット、手を拭いてもらいなさい」


 その次は庭、その次は玄関。


 五回目のとき、ポレット様はもう、エドガー様に触れる前にベルタを探すようになっていた。


(学習なさったのね。子どもは覚えが早い)


 五回目の翌日、贈り物を届けさせた。夜会まで、まだ三週間ある。十項目を読んで覚えるには十分な時間で、覚えれば、招待状は夜会のものになる。


 飴は王都の菓子店の、子ども向けの缶入り。絵本は『よい子のおやくそく』。扉を叩くこと、人の物に触らないこと、ごはんのあとは手を洗うこと。見開きで十項目。


 ベルタには、一言添えさせた。十項目を覚えたら、夜会にお呼びします、と。


 ベルタが包みを届けに行って、戻ってきた。


「お伝えしました。お嬢様は、包みを開けて、しばらく黙っておいででした」


「それから?」


「若様のところへ走っていかれました。『クラリス様がこんな意地悪を』と」


「エドガー様は」


「絵本の表紙を見て、『いい本じゃないか』と仰って、お嬢様に返されました」


 ベルタは真顔だった。私も真顔で聞いた。


(本当に、分かっていないのね)


 ロシェ男爵がいらしたのは、その二日後だった。小さな椅子と手拭いの話が、娘の口から届いたのだろう。


 応接間には、お義母様が出た。私は隣に座って、口を挟まずにいた。


「娘が、その……子どものように扱われていると聞きまして」


「ええ。息子が、お嬢様はまだ子どもだと申しましたので」


「……若様が、そのように」


「お嬢様を庇って、そう仰ったのです。大目に見てやってくれ、と」


 男爵は、すぐには答えなかった。


「それは……ありがたいお言葉で」


「でしょう。大人の令嬢が、婚約者のいる殿方にあの振る舞いをしたなら、庇いようがありませんもの。子どもで、よろしゅうございましたわね」


「…………はい」


 男爵は、それ以上何も言わずに帰った。帰り際、玄関で私に一礼した。深い礼だった。


 この方は分かっている。分かっていて、動けないのだ。


 寄子の小さな家が、侯爵家に預けた娘を、今さら自分から引き取りますとは言えない。言えば、娘に何かあったと噂になる。


 私には、まだお義母様のあの言い方はできない。


 その週のうちに、ポレット様は直談判に行った。


 庭の東屋で、私は本を読んでいた。生垣の向こうから、声が聞こえた。


「エド様、私、子どもじゃないよね?」


「……まあ、子どもだろう」


「違うってば! クラリス様に言ってよ、ポレットは大人だって!」


「言ってどうする」


「そしたら、またエド様の隣に座れるもん」


「……分かった。言っておく」


 その夜、エドガー様が私のところへ来た。


「クラリス。ポレットのことなんだが」


「はい」


「もう少し、大目に見てやってくれないか」


「大目に見ております」


「いや、だから」


「エドガー様が子どもだと仰ったので、子どもとして、大目に見ております。子どもですので」


 エドガー様は反論しかけて、やめた。


「……そうだな」


 そう言って、帰っていった。


(この人、自分の言ったことが、まだ分かっていないのね)


 それでいい。分かる日は、近い。


 そして、招待状が届いた。


 夜会の三日前だった。


「クラリス様! これ、なんですか!」


 ポレット様が、紙を握って、扉も叩かずに私の部屋へ飛び込んできた。


 叩いてから入ってこられたら、書き直すつもりでいた。


「お茶会のご案内です」


「子ども部屋のお茶会って書いてある! 三時から! 夜会は?」


「夜会は、大人の催しですので」


「私は――」


「ポレット様」


 私は立ち上がって、ポレット様の手から、そっと紙を取った。皺を伸ばした。


「お部屋に入るときは、扉を叩くものですわ。お返事を待ってから、入るものです。それができるようになったら、大人の席にお呼びしますので」


「…………」


「それまでは、子どもですので」


 ポレット様は泣いた。大きな声で。


 泣く子には、ベルタが飴をやった。


◆


 夜会の前夜、ベルタが髪を梳いてくれながら、訊いた。


「クラリス様は、楽しんでおられますか」


「いいえ」


「では、なぜ」


 私は鏡の中のベルタを見た。


「誰も教えなかったからよ。七年。男爵様も、エドガー様も、この家の人も。かわいいからと、大目に見て、そのまま十七にした」


「クラリス様が教えなくても」


「教えなければ、あの子は人の夫の腕にぶら下がって笑われる大人になる。笑われていることにも気づかずに」


 ベルタの手は、止まらなかった。


「厳しゅうございますね」


「あなたに習ったのよ」


「左様でございました」


 明日、あの方は招待状どおりには来ないだろう。それも分かっている。来なければ、それはそれでよかった。


 来た場合のことだけ、考えておけばいい。


 夜会の当日、ポレット様は来た。


 子ども部屋ではなく、大広間に。


 真紅のドレスで、髪を結い上げて、紅を引いて。


 お義母様の隣に立っていた私は、扇を広げた。


 ポレット様は、まっすぐエドガー様のところへ行った。その腕に、手を伸ばした。


 ベルタが手拭いを持って間に入った。


「お嬢様。お部屋はあちらでございます」


「どいて」


「お手を」


「触らないで!」


 広間が静かになった。楽団も手を止めた。


 ポレット様はベルタを押しのけて、エドガー様の腕を掴み、広間を振り返って叫んだ。


「私は子どもじゃない! 大人よ! もう十七なの! エド様だって、本当は分かってるでしょ!」


 エドガー様の顔から、色が消えた。


 百人の客が見ていた。


 私は扇を閉じて、ポレット様の前まで歩いた。


「ポレット様」


「なによ」


「大人、と仰いましたね」


「そうよ」


「では、大人として伺います」


 叫びは広間じゅうに届いた。答えも、同じところまで届かせなければならない。


 私は声を落とさなかった。


「大人の令嬢が、婚約者のいる殿方の腕を、人前で抱えておりました。何度も。注意されても。その責任は、どなたがお取りになるのでしょう」


「…………」


「子どもなら、大目に見ます。エドガー様がそう仰いましたし、私もそういたしました。ですが、大人なら話は別です。ロシェ男爵家のご令嬢が、侯爵家の嫡男に対して、婚約者の目の前で――ここから先は、私ではなく、男爵様とお義母様がお話しになることですわ」


 ポレット様の手が、エドガー様の腕から落ちた。


 広間の奥で、ロシェ男爵が顔を覆った。


 子どもを選んでも、大人を選んでも、ポレット様の居場所は、この広間にはなかった。


「わ、私は……」


「ベルタ」


「はい」


「ポレット様を、お部屋へ。お茶は薄く、お菓子は甘く」


「…………子どもで、いいです」


 小さな声だった。


 ベルタは手拭いでポレット様の手を取って、広間を出ていった。


 私はお義母様の隣に戻った。


 お義母様は扇で口元を隠して、広間に向かって仰った。


「お騒がせいたしました。子どもは、もう寝る時間ですので。……大人のほうは、あとで私が叱ります」


 扇の先が、エドガー様を指していた。


 客は笑った。楽団が音を戻した。エドガー様だけが、笑わなかった。


 お義母様は、私の手を一度だけ握った。


◆


 エドガー様が私の居間に来たのは、夜会が終わって、客が全員帰ってからだった。お義母様の部屋から出てきたばかりだと、肩の落ち方で分かった。ベルタは隅に控えている。


 扉を叩いた。返事を待った。


「入ってよろしいですわ」


「……ありがとう」


 エドガー様は、入ってきて、座らなかった。


「僕は、何を言ったんだ」


「あの子はまだ子どもなんだ、大目に見てやってくれ、と」


「それを、君は」


「そのとおりにいたしました」


「あれは、そういう意味じゃなかった」


「存じております。でも、そう仰いました」


 エドガー様は、しばらく黙った。


「……十歳だったんだ」


「はい」


「初めて会ったとき。男爵の後ろに隠れていて、僕が手を出したら、袖を掴んで離さなかった。それから、ずっと同じ子だと思っていた。背が伸びても、ドレスが変わっても、僕の中では袖を掴んでいた子のままだった」


「ええ。だから、仰ったのです。子どもだと」


「僕だけが、あの子を十歳のままにしていた」


「周りの全員です。あなたが、いちばん近くで」


 エドガー様は、天井を見て、床を見た。


「……ポレットは、泣いていた。僕のせいだ」


「ええ」


「君も、いやな役を引き受けた。僕のせいだ」


「ええ」


「すまなかった」


 私は答えなかった。


 代わりに、立ち上がって、エドガー様の前まで行った。


「エドガー様」


「はい」


「あなたは、あの方を子どもだと言いながら、子どもとしても扱わなかった。十歳のまま止めて、何も教えなかった。ポレット様に悪いのは、そこです。大目に見られているあいだ、自分が何をしているか、一度も知らされなかった。教えるのが、大人の仕事です」


「……そうだな」


「私は教えました。乳母と、飴と、小さな椅子で」


「厳しいな」


「それが躾ですわ」


 エドガー様が、初めて笑った。情けない笑い方だった。


「君は、怖いな」


「お義母様に似てまいりました」


「それは、困る」


「困ってください」


 私は、エドガー様の左腕を取った。あの令嬢が抱えていた腕である。


「ここは、私の席ですので」


「……ああ」


「今後、どなたかがここに触れたら、あなたが自分で手を拭かせてくださいね。ベルタは私の乳母で、あなたの乳母ではございませんので」


「分かった」


「分かっておられない顔ですわ」


「……分かった、クラリス」


 二度言わせた。


 まあ、いい。この人は、二度目には分かる。


(三度目はないけど)


 私は腕を離さずに続けた。


「エドガー様」


「うん」


「あなたも、まだ子どもですので」


「え」


「大目に見て差し上げます。今回だけ」


 エドガー様は、口を開けて、閉じた。


 そして笑った。今度は、情けなくない笑い方だった。


◆


 ――それからのことを、少し。


 ポレット様は、翌週、男爵領に帰った。お義母様が男爵夫人に手紙を書いたからだ。中身は私も読んでいない。読まなくてよいと、お義母様が仰った。


 春に、男爵領から便りが来た。縁談が決まったそうだ。相手は隣領の騎士で、少し年上。「子ども扱いしない人がいい」と、ポレット様が自分で選んだらしい。


 便りには、私宛の一枚も入っていた。


 ――『絵本、読みました。十項目のうち、八つはできるようになりました。残りの二つは、結婚してから覚えます』


 どの二つかは、書いていなかった。


 飴は、まだ好きだそうである。


 エドガー様は、あれ以来、私の右側を歩く。


 理由を訊いたら、こう言った。


「右腕は空けておく。誰かに取られたら、自分で拭く」


「手拭いはお持ちですの?」


「……持ってない」


「子どもですので」


 私はベルタを呼んだ。


(了)

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
AIっぽい文章だなぁと言うのが 第一印象 ぶつ切りの文章だからかな? 少なくとも「恋愛」要素はないですね
ジャンル 異世界〔恋愛〕 じゃなくて(子育て)かな。そんなジャンル無いけど
現代感覚過ぎて全体的に違和感満載過ぎる・・・ 昔日本でも12歳で元服=成人扱いで 行儀見習いに出る=学校卒業前後の就職先業界にインターンシップ(体験入社)とか新卒の試し雇用で査定されてる立場と言う事だ…
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