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一、三十とは

前置き


ようこそ、こんにちは。


読めばわかりますが、ぜんぜっん魔法バトルに入りません。鬱思考がメインとなります。そのうち魔法が出てきます。魔法が出ても楽しい小説ではありません。鬱々としながら読んでください。なろう小説をお求めの方はなろう小説を探して読んでください。お付き合いいただければ嬉しく思うので、よろしくお願いします。


 頑張っていればいつか誰かが認めてくれる。きっと誰かがこの姿を見ているに違いがなくて、この努力は無駄ではないはずだ。辛抱しきれなくなって誰でもいいから認めてくれと、その辺の誰かに言って、お前でいいからと呼び止めたところで、ああ、だから誰でもいいから認めてくれと思っていたんだとまた思い直す。



 本音は笑われ、嘘は嫌われ、理想に呆れ返り、もう帰るところもない。誰もが誰ものように、誰もが送っている生活をできるわけじゃないし、正しい倫理に従って生活費を稼げるわけでもなく、だからこそ携帯ショップでスマホを買うことができる世界に住む人間は俺たちのような人間を犯罪者予備軍って呼ぶんだ。普通じゃないって、二秒で見限って。ここまで来るのにどれだけ都会の薄い土の地面を蹴り上げて、その少ない土を宙に巻き上げたかを知らないで。そんな人間なんかこっちから願い下げ、お前らのために頑張ってるんじゃない! 俺は言う。しかしそうは言っても、誰でも良いから認めてくれの誰かは俺を見限ったその人間なのだ。俺はこれを何度も繰り返し、思い直し、悔やんで、死を常に望みながら三十になった。



 そんな歌があったような気がする。だからだろうか。無意識のうちにそんなことを思っていたのかもしれない。



 音楽を十年、小説を十五年。黙って誰にも言わずに続けて来た。しかし三十の生辰を迎えても、その夢は叶わない。誰にも認められなかった、というより現実世界に自分の世界を認めてもらえなかったが正しい。もう努力した頑張りが自分を慰めることができる年齢を超えた。この年齢がいい大人として扱われる年齢だというのならば、それを境に夢を諦めたとしても誰も非難はしないだろう。賞賛もしないだろうが。君の勝手だし、自由だけど、残念かもね、みたいに言うのだ。そう言う人間に限って好き勝手に俺のような人間を指差して言うことを俺はよく知ってる。だから誰かにこの夢を続けるべきか辞めるべきか聞くこともないし、愚痴のように言うこともない。



 続ければいいんじゃないの? 



 まだ頑張ってみれば? 

 


 黙れよ。また十年続けろというのか、同じことを。酷なことを言う。



 低賃金長時間労働万歳国家では、俺のような人間は喜ばれる。普通の、いわゆる学があったりスポーツができたり才能があったり、それらがなくても親の寵愛などで就職した人ではない俺のような歯車が最初から狂っている人間は世の中に喜ばれる。使い勝手と都合が良い人材として。


 半年毎にボーナスが貰える人間とは違う。一生かけてもその世界に入ることは出来ない。俺にその価値を与えられる事は生涯無いと、訪れることはないと断言する。そのまま金を稼いだこともない人生のまま死ぬ運命であることを、山頂から雪崩れる光景を見てああようやくかと死を受け入れる手前にすら立てていないこと同じように、俺の人生は非ボーナス人生であると理解している。人生が人生ゲームだとしても、幾らマップをクリアして進めてもボーナスポイント入ることは許されていない。俺のルーレットに数字はない。



 仕事と生活と恋人と家族を安定して保持し、いわゆるそのような人間たちが言う普通の生きるが一般的な幸せで、俺のような人間を不幸と呼ぶ物差しがどこにあるのか。残念なことに、一般人間の残念という言葉の定義が当て嵌まるなら俺は残念ながら知らない。どのように生きることが正解なのか。うまい飯を食うことが幸せか。大切な人と過ごすのが幸せか。学や才能、働きぶりを認められることが幸せか。幸せは、欲の消費と傲慢ではないか。俺はそのように思い、そう思う人間こそが戦争を引き起こすのだろうと身勝手な陰謀を唱える誰かを睨み、十二月三十一日二十三時五十九分五十九秒に地を蹴って飛び今この瞬間世界にいなかったと豪語する端な年頃たちの人間の理解では遠く及ばない世界の定理なんだろうと、人間の愚かさを見る。やはり幸せを追い求めて生きる意味を探すことに、意味はない。死の中から意味を探し当てる事しか我々人類には残されていない。


 俺はそれら全て、一般人間の価値観を持った一般人間にあまり出逢ったことが無いのでその生きる理由としている価値観が何一つとして分かっていない。言うまでもない。誰に言うつもりも無い。言う相手はいない。そして、話すことが出来ない。言葉を話すことが出来ない。そういう人間だ。そういう個性で、病気で、障害で、と拒絶した人間は診断書を書くのだろうが金が掛かるだけだと知っているのでそんな紙切れは要らない。そういう人間なのだ、俺は。



 俺は言葉を話すことができない。失語症。だから進学も就職もできず、いや、しようとはせず、たぶんいつの間にか差し伸べられていたのであろう助けの手を振り払った。最初から真ん中道から外れていたにも関わらず、自ら親切に手を差し伸べた他人に助けてもらってそこに戻ることを拒んだ。そうだ。世界を拒絶したのは、最初に見限ったのは俺の方だった。


 学校に友達は愚か心を許せる人間はいなかった。大人はなおさらだ。教師ほど信じることができない人間はいなかった。あれは大人でなく、教師という役割の枠からはみ出すことが許されない存在だ。空気と空間と平穏を保つことを正義としている。


 いじめられていた、といえば可愛く聞こえる。そこに俺の人権は無かった。何をされても、何を言われても何も言わないのだ。何も言い返さないのだ。すぐに理解ある大人がいると言われた学校へ転校になった。そこもすぐ俺から見限って行かなくなったので、学校の名前は覚えていない。思い立って調べれてみれば分かるかもしれないが、それは明らかに俺の興味のないことだった。思い立つこともなかった。



 子どもの時。年齢一桁の俺に居場所などなかった。両親もいなかった。気づいたら子どもがたくさんいるでかい家に住んでいた気がするが、その記憶も正しいかわからない。俺に家はなかったように思うが、小さい頃のことは良く覚えていない。


 俺は学が無い。だから何かを知ることも、知ろうとすることもなかった。そこにまですら、考えが及ぶことがなかった。


 だからだろうか。医者は俺の精神状態の変化に対し、何かにつけて診断や障害の名前を俺に与えた。しかしそれはまるで意味のないことだった。できればギターで速弾きができる称号とかほしい。いや、称号じゃダメか。実力か。



 仕事は限られた。昔は男の子の性を売る商売をしていた。その仕事でしばらくはお金を貰っていたが、年齢を重ねると需要もなくなり、今は食べ物を配達している。ハンバーガー、コンビニ、クレープ、タピオカ、スープカレー。なんでも配達の時代だ。


 性を売っている時は、言葉を話せなくても問題なかった。なんでも「かわいい」で済むのだ。しかしそれは十代の時だけ。もちろん、世の中を知らない時の俺は様々な仕事に応募してトライしていた。しかし、接客の仕事をしようにも他の人のサポートが必要だし、専門職やなにか資格を得るために勉強できるほどの学はない。アルバイトをしようにも意思疎通の壁が大きく、国語の教科書に書いてある常識すらまともに知らないので門前払いだった。自転車は施設の時に練習したので乗れる。おかげでなんとか配達の仕事が見つかり、駅前で盗んできた自転車を使い、今はそれで騙しながら生きてる。家は昔貰ったボロアパートにずっと住んでいる。その前の家は鍵がなかったが、今は鍵がついている。俺にはもったいないほどいいアパート。普通の人にこのアパートに住んでいることがどう見えるかは、それこそ知らないけど。隣の部屋の無線LANを盗んで小説を書き、ギターを弾いた。まあ、隣の部屋の人がアパートくれた人だから盗んだというより、分けてくれているんだが。


 必要なものは性を売っている時にマダムから貰ったプレゼントか、あとはゼロ円でお譲りしますサイトで貰った。



 不思議なことに学はなくても、小説は書ける。青空でも、捨ててあった本でも、貰った本でも何でもいい。読めば、書くことはできる。こんな人間の書く本だから、質は圧倒的に低いだろうけど。



「二十九、三十、三十二?」



〉〉今書いてる小説のタイトル。



「へえ、どうして」



〉〉それはどうしてこのタイトルにしたかってこと?



「言葉が足りなかったね。その意味のどうして、だよ」



〉〉それは言えない。読んだ人にしか分からないことにしてあるから。作者がでかい声で語ることじゃない。まあ、俺は声が出ないからアレだけど。



「ふーん、そっか。読者の想像に任せるってことだね」


〉〉そんなところだ。



 人はこのような存在のことをイマジナリーフレンドと呼ぶのだということを、俺はつい最近道端に捨てられていた本を拾って読んで知った。しかしこの存在を友人と認識した事はなく、俺の理解者とも思っていない。お気に入りの喫茶店にいつもいる謎の男と顔見知りになり、話し相手になったのだろうと推測する程度の存在だと思っている。


 一応、この存在には名がある。私がつけたものではなく、本人が名乗っている。〈白隼〉と言う。これを使用している。白は読まず、ハヤブサと呼ぶ。本人曰く、人間ではないので性別は無く、しかし人間に限りなく近い存在であるためこうして俺と会話しているというらしい。なぜ俺を選んだのかは、知るところではない。そのうち消えていなくなるだろうと思っている。だから友達ではない。情も依存も、そこには無い。



〉〉仕事だ。行ってくる。



「雨だから、気をつけてね」



 俺のことを気遣ってくれる人間は、人間に近い生物は現時点で他にいない事を送り出される度に実感する。これだけは、感謝すべきかもしれない。繰り返すがハヤブサは人間では無い。と再度確認するためだけのために繰り返して書く意味は無い。どう考えてもやはり無いが、小説では、繰り返すが人間ではないと書くのがこの場合礼儀なのだろう。余計な一文だ。



 雨の日は良く稼げる。人が外出を控えるのか、雨が人間の外出を嫌うのか、雨を、雨に濡れる人間と濡れる雨を嫌う人間のことを雨が嫌うのか。小説や映画ではいつも雨が情緒的に使われるのに。なんとも言えない。



 自転車のスタンドを蹴り、フードを被り、支給された完全防水の配達バッグを背負い、おんぼろスマホに送られてきた指示に従ってペダルを踏み始めた。





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