婚約解消予定の令嬢が亡くなった
アーシャ・パーセルラック公爵令嬢。
第一王子である僕クリフトンの婚約者だった令嬢。
半年前までは、だが。
アーシャは半年前に事故で亡くなった。
その件に関しては苦い後悔がある。
「王子、見た?」
僕を王子と呼ぶこいつは、乳兄弟のシリルだ。
遠慮のない関係が却って心地良い。
「……似てるな」
「似てるなんてもんじゃない。そっくりだよ」
今年の貴族学院の新入生にアーシャそっくりの令嬢がいる。
違うのは髪形くらいか?
「気になるでしょ。調べておこうか?」
「いや、いいよ」
アーシャ似の新入生は確かに気になるが、だからどうしたというのだ。
アーシャは二度と戻ってこないのだから。
◇
――――――――――半年前。
「婚約を解消させてほしい、ですって?」
「ああ」
僕の言葉に少し驚いたようだ。
アーシャが銀の髪をかき上げる。
力のある青い瞳、白く滑らかな肌。
美しい令嬢だと思う。
「クリフトン様。婚約に関しては陛下とわたくしの父の約定によって定められております。わたくしから言うべきことは何も……」
「わかっている」
「では何故わたくしに婚約を解消したい、などと?」
「僕がどう考えているか、アーシャも知っているべきだと思ったからだ」
アーシャはとても優れた令嬢だ。
将来僕の妃として、何の不自由もないだろう。
しかしそれだけだ。
アーシャが僕の妃である未来が見えてこない気がするのだ。
ピンと来ないというのが、俗だが正しい表現だろうか?
そんな理由で立太子間際とされる僕が婚約解消を企図するなど、本来はおかしいのだが……。
「アーシャは僕についての予言を知っているか?」
「……耳にしたことはございます」
僕の誕生時に定まった未来として、宮廷占術師が提出した予言があった。
それは僕が二度婚約する、というものだった。
予言に逆らうと王国の未来に歪みを生じる。
しかしわざとらしい偽婚約もまた、何が起こるかわからないというのだ。
順当に力のあるパーセルラック公爵家の令嬢、アーシャが僕の婚約者になった。
最も自然な成り行きと考えられたから。
「覚悟はしておりました。クリフトン様に優しくしていただいたことも、王家に立派な教育を授けていただいたことも忘れません」
「ではアーシャは……」
「わたくしとパーセルラック公爵家は陛下の判断に従います」
アーシャはそう言うしかないだろう。
涙で潤んだ瞳が痛々しく見えた。
「ちなみにクリフトン様の次の婚約者はどなたになりそうでしょうか?」
「ミカエラ・レイウェットン侯爵令嬢だ」
ミカエラ嬢は艶やかな黒髪の淑女だ。
やはり優秀で、そのやや垂れた目は僕の心を和ませる。
心に響くというかしっくりくるというか。
彼女が僕の妃になるのだと言われれば納得だ。
「ああ、ミカエラ様のレイウェットン侯爵家ならクリフトン様の後ろ盾として、何の問題もないと思われます」
アーシャらしくもない、ひどい顔でムリに笑おうとしている。
罪悪感が僕の心を苛む。
しかし予言からも僕の気持ちの上からも、アーシャとの婚約を解消することは避け得ないのだ。
この日がアーシャと会話した最後の日だった。
婚約解消に向けて公爵との話し合いが行われていた最中、アーシャは唐突に亡くなってしまったから。
何でも馬が暴れだし、乗っていた馬車ごと高所から転落してしまったのだという。
アーシャの喪が明けた後、ミカエラ・レイウェットン侯爵令嬢が新たな僕の婚約者と定められた。
こんな経緯とは思わなかったが、奇しくも僕が二度婚約するという予言は果たされたことになる。
◇
――――――――――再び現在。
「ミカエラ嬢もなー。振舞いがね」
「……」
シリルの言いたいことはわかっている。
「何かが決定的にダメってことはないけど……」
「アーシャと比べてしまうと、ということなんだろう?」
「まあそう」
確かにミカエラの成績は悪くない。
王子妃教育も順調だと聞いている。
が、どうも敵味方を比較的分けるタイプのようだ。
僕の婚約者になってからはその傾向が強くなったように思える。
将来の王妃としてどうかと問われると……。
「これ見よがしに王子にベタベタするし、案外我が儘だし、贅沢だし」
「僕の婚約者になる前は見えてなかった部分だな」
おまけにレイウェットン侯爵家の増長ぶりも目立ってきている。
「シリルは失敗だったと思うか?」
「今この段階で、アーシャ嬢が王子の婚約者だった時と比較すりゃね。でも仕方ないじゃん」
そう、仕方ない。
予言があった。
アーシャも事故死してしまった。
他に選択肢がなかった。
「まあ王子がミカエラ嬢をコントロールしていくしかないじゃん?」
「そういう結論か」
シリルが肩を竦めておどけたようなポーズを取る。
僕だってわかってる。
予言は三度目の婚約について言及していない。
ミカエラがデタラメにひどい、というわけでもない。
今になってアーシャの美点がわかる。
僕の愚かさも。
預言と事故があったから、婚約者を交代せざるを得なかったのは事実だ。
が、僕の方から婚約解消を言い出す必要はまるでなかった。
アーシャをムダに傷付けたことについては反省している。
「ミカエラ嬢と先に婚約して、二度目がアーシャ嬢だったらよかったんだよ」
「……」
それだ、とは迂闊に言い出せなかった。
アーシャに感じていた違和感は、僕こそが予言に縛られていたせいかも知れなかったのだ。
何にしても今更で、どうにもできないことだから。
「ところで王子。アーシャ嬢にそっくりの新入生がいたじゃん?」
「ん? ああ」
「面白いことがわかった」
結局シリルは彼女を調べさせていたのか。
しかし面白いことだって?
何だろう?
「名はマーニャ・ロイス。ロイス男爵家の令嬢だよ」
「ロイス? どこかで……あっ!」
ロイス男爵家はパーセルラック公爵家の寄子だ。
アーシャはロイス男爵家からの養女だったはず。
「マーニャはアーシャの妹なのか?」
道理でそっくりなわけだ。
しかしシリルは首を振る。
「マーニャ嬢自身はアーシャ嬢に似ていることを指摘された時、血の繋がった妹だって説明しているみたい」
「違うのか?」
「同母妹なら似ることもあるかもしれない。けど、アーシャ嬢が生まれた時にお母さんは亡くなっているんだろう?」
「そうだった!」
異母妹でそこまで似ることあるか?
「……つまりマーニャ嬢はアーシャ本人かもしれない?」
「オレも同じことを疑った。で、宮廷魔道士長に聞いてみたんだ」
「宮廷魔道士長? 何故?」
「だってアーシャ嬢は王子の婚約者になった時から、婚約が解消されることは織り込み済みだったわけでしょ?」
「予言のせいでな」
「だったらお妃教育の内容とかを忘れさせる魔道処置を、あらかじめ施されていた可能性はあるかと思ったんだ」
「あっ?」
妃教育は他所に漏れてはいけない内容を含む。
つまりアーシャの記憶が消されて、マーニャとして生きている。
事故死はウソだったという解釈が成り立ち得るわけか。
シリルの言ったことは十分考えられる。
「今日のシリルはメチャクチャ冴えてるじゃないか」
「えへへー。オレは王子の腹心を自認しているからね」
「で、結論は?」
「王子は真実を知っておくべきだろうって、宮廷魔道士長が教えてくれた。マーニャ嬢はアーシャ嬢と同一人物だ」
やっぱり!
アーシャは生きていたんだ!
胸が温かくなる。
「事故で亡くなったというのは方便なんだな?」
婚約解消という手続きを踏まないため、王家とパーセルラック公爵家との関係が悪くなったと思われないからだろう。
そして僕との婚約を解消した令嬢という、アーシャへの無遠慮な視線も考えなくてよくなる。
どうして気付かなかったか。
「うん。もちろん極秘だよ」
「わかってる」
「宮廷魔道士長が王子にくれぐれも言っといてくれって。時は戻せない、と」
「それもわかってる」
再びアーシャを婚約者とすることはできない。
三度目は、ない。
「アーシャ嬢から、王子の婚約者だった一年間の記憶は消してあるんだって。もちろんぼろが出ないように、ある程度事情を教えられてはいるらしいけど」
「だろうな」
『覚悟はしておりました。クリフトン様に優しくしていただいたことも、王家に立派な教育を授けていただいたことも忘れません』
そうアーシャは言っていた。
でも記憶は消去されてしまったわけか。
謝ることも言い訳することもできない。
つらいな。
しかしこれは僕が、何一つ瑕瑾のなかったアーシャを婚約解消しようとした罪だ。
「王子がアーシャ嬢について気に病む必要はないんだよ。予言があったんだし。いずれにせよアーシャ嬢が王子妃になる未来はなかった」
「理解してはいるけど」
「気にしなきゃいけないのは現婚約者の方だって」
思わず苦笑する。
ミカエラか。
「シリルは厳しいな」
「そうだ、マーニャ嬢についてもう一つ情報があったんだった」
「何だい?」
「マーニャ嬢は既に婚約しているんだ。相手はブルーノ・シェリンガム伯爵令息」
ブルーノ先輩か。
生徒会の役員もしている、快活な人だ。
「うん、よく調べたなあ」
「えへへー」
せめてアーシャ……マーニャ嬢の幸せを祈ろう。
◇
――――――――――三日後。
「これはクリフトン殿下」
「いや、邪魔してすまない」
シリルのやつ、何がたまには裏庭で弁当を食べましょうだ。
ブルーノ先輩とマーニャ嬢がいることを知ってたんじゃないか。
まったく余計なお世話だ。
「ブルーノ先輩の婚約者ですか?」
「ええ、マーニャです」
「ロイス男爵家のマーニャと申します。お見知りおきを」
「これは御丁寧に」
美しいカーテシーだ。
記憶を消されても身体が覚えているのかもしれないな。
ん?
「可愛らしい髪飾りだね」
「お気に入りなんです」
「とても似合っているよ」
僕がプレゼントした髪飾りだ。
僕のことを忘れてしまっても、使ってくれているんだな。
絆を感じるようでほっこりする。
いや、絆など感じてはいけないのだった。
シリルがまた余計なことを言う。
「マーニャ嬢は幸せ?」
「ええ、幸せですわ」
微笑む笑顔はアーシャのものじゃない。
僕の見たことのないものだった。
ああ、僕の婚約者だった時にはなかった、心からの幸せを感じているんだろうな。
「すまなかったね。失礼する」
「いえ、こちらこそ」
ブルーノ先輩はアーシャ=マーニャ嬢だと知らないだろう。
足早にその場を去る。
シリルが心配そうに聞いてくる。
「お節介焼き過ぎだった?」
「いや、吹っ切れた」
アーシャはマーニャ嬢としての道を歩んでいる。
僕は僕の道を歩んでいかねばならないのだ。
気を引き締めなければ。
「王子は独りじゃないよ。オレもいるからね」
「……そういえばシリルの婚約者って話が出ないな」
「聞きたい?」
選定が進んでいるらしい。
いや、まあ僕の腹心(自称)なんだから当然だが。
でもドヤ顔がムカつくな。
「いや、特には」
「ええ? 王子オレに無関心過ぎない?」
「ハハッ、決定したら教えてくれ。盛大に祝おう」
「期待してるね」
もう振り向かない。
前を、向いて、進め。
――――――――――後日。
「じゃーん! 王子、オレの婚約者だよ」
「殿下、お初にお目にかかります。マクドナー子爵家のベティと申します」
「ベティ嬢は可愛らしいね。シリルはやんちゃなところがあるから、よろしく頼むよ」
「はい!」
「……王子、あんまりよろしく頼まないでよ」
「えっ? どういうことだい?」
「ベティは無手武術の達人なんだ。オレなんか全然敵わないの」
おしおきされてるシリルが目に浮かぶ。
最後までお読みいただきありがとうございました。