第六話 隻眼の魔女
帝国歴五十一年四月二十一日 曇り
今日は一日中どんよりとした曇り空でした。私もついに高校二年生です。高校の課程が終わると、異能研究科の進路は、帝国大学に入るか、従軍するかになります。異能研究科から大学を受験するには、異能についての研究論文を学会に提出して審査を通らないと受験することができないそうです。高校三年生になると軍事訓練が中心になるので、時間に余裕がある今年から大学に向けて友達と一緒に一層研究に打ち込むつもりです。
北方の国"メジドナル連邦"は、雪解けと同時に前線が活発化し、帝国がやや、押し勝っている状況で、西方の国"マルセイユ共和国"の動向は、まだ掴めていないようで、戦争するかもわからないらしいです。
今日、昨年度の成績優秀者が発表されて、他の学科の生徒も抑えて学年一位になってたよ。これもお父さんとお母さんがくれた異能のおかげだね。やった! だから心配しなくても大丈夫だよ。それにね、帝国大学に入ると軍部の管轄じゃ無くなるから長期休暇の間は家に帰ることができるんだって! 今まで、大学に入る前の一週間に家に帰ったら大学卒業まで家に帰れないと思ってたから、今すごくワクワクしてるの! だからね研究もしんどくないよ! それにね、もし、今やってる研究が成功したら右目が戻るかもしれないんだ。だからね、楽しみにしていてね。まあこの日記を読む頃にはもしものことがない限り、結果はわかってると思うけど。
明日も無事でいられますように。
日記を書き終えベッドに腰をかける。始業式を終えた夜のことであった。異能研究科特に一等科は、人数が少ないためクラス替えはなく決まった顔触れが首を揃えていた。新学年だからといって特に変わったこともなく、初日から淡々と授業が進んで行った。変化があるとすれば、大学進学を目指す者たちで班を組み、本格的な異能研究をすることだろうか。
私の班員は、共に例の任務に就いたユリーシャとニック"彼が進学希望であったことに私は、驚きを隠せなかった。一体彼のどこに大学に入れるほどの脳があるのだろうか? それとも論文の提出の後に入学試験がある事を彼は、知らないのだろうか?" そして私に次ぐ学年二位の"秀才"であるエリオット・ルノワール君を含めた、男子二人女子二人、計四人のバランスの良い班となった。まさか、彼が班員になってくれるとは、願ってもない事であった。特筆すべきは、やはり彼の異能で、彼は正式に異能を二つ持っている人間であった。一つは、肩肺の欠損による心肺機能の上昇で、水中で約六時間の行動が可能らしい。二つ目は、左腕の欠損による脚力の向上と肉体強度の増強で、前述した異能も合わせて血圧を最大にまであげる事で、水深千メートルまで潜る事が可能になり、計算上西方の島国と大陸間の約四十キロメートルを潜水で横断する事が可能らしい。そしてここまで彼の紹介をすると自明だが、彼は異能に頼る事なく三位以降の生徒を大きく突き放し私と僅差で学年二位なのである。私は彼に疎まれている可能性を考えて彼を班に誘えずにいたのだが、なんと! 彼自ら班員になってくれたのだ! これで私の班は、軍部が喉から手が出るほど欲する人材だけで構成されている事を除いて、約束された班となった。
しかし、果たして軍部は、私達の大学進学を許してくれるだろうか? そんな嫌な予感は見事に的中する。
朝起きると、国章をあしらった赤いシーリングスタンプで封をされた一枚の黒い封筒が、机上で異様な雰囲気を醸し出していた。紛れもなく帝国からの書状である。封筒内に三枚の紙が入っており、一枚目の一番手触りのいい紙には、短くこう書かれてあった。
ミーア・エッケルト殿
帝国暦五十年十二月の任務に於いてその功績を讃え、貴官を准尉に叙官せしむることが帝国軍議会によって可決された事をここに証する。
階級章は日を追って贈呈する。
帝国軍賞勲局
軍部はあまりにも仕事が早い。あたかも私が、軍に入らないように動く事を知っていたかのような対応である。これは"逃がすものか"という軍部からの圧なのだろうか… とにかく大学進学への道は、殆ど閉ざされたといっても過言ではない。と思いつつ二枚目の紙に目を通した。
ミーア・エッケルト准尉殿
貴官に、五月五日から北部戦線にて歩兵団司令部で観測士としての任を命ず。
帝国軍人事局
完全に大学への道は閉ざされた。詰みである。この命に逆らえば、例え齢八歳の貴娘とはいえ、何かしらの罰則があることは目に見えている。
軍部が我々の研究を阻害しているのは明白と言えるような命である。配属先は司令部、恐らく前回のような命を落とす危険性のある任務に就く事は無さそうだが… 腹立たしいような悔しいようなそんな気持ちで三枚目の紙に目を通すと、その文面からはあの男の顔が彷彿とさせられた。
拝啓ミーア・エッケルト様
久しぶり! 隻眼のフロイライン、君が准尉に任官されたと聞いてこの手紙を同封させてもらったよ。突然の任官で驚いているだろう。私も驚きを隠せない。こうなったのは、君の素晴らしいレポートとローラン少佐そしてニック少年による推薦書のおかげだよ。本当におめでとう! 八歳で士官になるのは後にも先にも君だけだろうね。応援しているよ! 私としては、大学で共に異能についての研究をしたかったのだがね、いやー非常に残念。
君のさらなる活躍を願って。
ハインリヒ・ヴィルヘルム・エンルスト
残念ながら私の任官は遠い昔に決まっていたらしい。しかしだ、この手紙には妙な点が一つ、文面の気持ち悪さはさておき、ローラン少佐の名前の隣に"ニック"の名前が連なっているのである。推薦書というものは、少なくとも一学生が書けるようなものでは無い。ニックはただの学生であり私の知る限り彼が何かしらの官位を持っているとは考えずらいが… ヴィル先生の書き間違えだろうか? それとも「ニックがローラン少佐に進言した。」と考えるのが現実的であろうか?
ともかく約二週間後には、地獄へと送られる事が決定したのだ。じきに階級章と共に軍服も送られてくるだろう。今できることはそれが死装束にならない事を祈るばかりである。
「ミーアぢゃーん、ざみじぃよー。」
ユリーシャたちに"諸事情"でしばらく学校にいない事と、研究に参加できない旨を話したのだが、ユリーシャに泣き付かれるとは思ってもみなかった。泣きたいのは私の方であるが… 例のニックはというと特に心当たりがないようである。義眼をつけていないので真意は、図りかねるが。
「大丈夫だよ。ユリーシャ、多分半年後くらいには帰ってこれるから。泣かないで?」
八歳児に泣きつき、あやされる高校生… 側から見ると異様な光景である。なんとかユリーシャを泣き止ませつつ、三人に向き直る。
「ということだから、研究は君たち三人に任せたよ。明日から研修で学校に来れなくなっちゃうから。」
帝国暦五十一年五月五日
私は再び戦地に立っていた。
「歩兵団司令部に観測士として配属されました。ミーア・エッケルト准尉であります。たっ只今を持って着任いたしました。」
少し噛んでしまった。
「君がミーア准尉かね? 私は司令長のフリッツ・ハーバー大佐だ。」
眼光の鋭い紳士が、そこには立っていた。
「歓迎会でも開いてやろうと思ったのだが、残念ながら、今我らが帝国軍にそんな余裕はない。なんなら貴官のようなお子様の子守りをしている余裕もない…」
大佐の顔が険しくなる。
「しかしだ。貴官は、どうやら軍上層部のお墨付きらしい、詳細は全て秘匿されているがね… それにだ、噂によると貴官ら異能研究科一等科の生徒は死なないらしいじゃないか。」
早くも、話の展開が怪しくなってきた。
「よってだ、貴官には数人の偵察隊を率いて、東側の前線近くのA-01高地に向かってもらう。生憎こちらから出せる人員は、通信兵一人に偵察兵二人が限度だがね。何か異論はあるかね?ミーア准尉。」
想像以上に最悪な事態である。異論しか無いのだが、とても言えるような雰囲気では無い。
「はい、いいえ、全くもって問題はありません。」
「期間は三日とする。通信の際は暗号を用いること、偵察隊のコードネームは"フロイライン"だそうだ。それとだ、もしものことだが、通信が不可能になった場合は、二日以内に戻ることだ。二日経った時点で二回級特進したものとみなす。良いな?」
少女らが前線に向かった後
「行かせて良かったのですか? 大佐… A-01高地付近の大隊からは二個中隊規模の人的損失が確認されています。もはや前線は壊滅寸前で、こちらも未だ断片的な情報しか得ておらず、敵軍は新型の兵器を導入したらしいとの情報も入ってきています。彼女らが生きて帰れるとは到底思えません。」
大佐が地図へと目を落とす。
「これが現時点での最善だ。あの少女が神だろうが悪魔だろうが我々は頼る他に手立てがないのだ。それに、あの少女を寄越したのは人事局だ。私は、その意向を汲み取ったまでだ。」
轟音が響く中前線のはずれに少女は、立っていた。目標としていた高地に着いたは良いが、決して良い眺めとは言えたものではなかった。
「最悪だ。」
"観測"によると我が軍は、二個中隊規模の軍勢が残っているかどうかくらいで、前線を維持できている事が奇跡であるほどに壊滅していた。対して、敵軍は一個大隊規模の軍勢が突入の契機を窺っているらしく前線の崩壊も時間の問題であるようだ。遅滞攻撃すらできないかもしれない。そもそも、指揮が取れているのかすら怪しい。とりあえず通信兵に連絡を急がせる。
「こちら"フロイライン"前線はA-01高地からやく一キロメートル地点まで後退している模様、残っている軍勢は二個中隊規模で通信はつきません。」
通信が凍て付く。
「なるほど、敵軍の様子は?」
「一個大隊規模の軍勢がこちらの様子を伺っている模様で、新型らしき砲台が三基後方に配置されています。」
司令部の絶望感がひしひしと伝わる。
「引き続き、偵察を頼む。そしてだ、ミーア准尉。貴官に司令支部として前線の臨時指揮権を託す。前線の兵と連絡がつき次第、遅滞作戦を行うように… 一日だ。一日持たせれば追加の大隊が派遣される。」
最悪が更新された。齢八歳の少女に指揮権? 馬鹿馬鹿しいにも程がある。通信がつくかも分からない軍隊で二倍以上の数の敵軍を堰き止めるなんて無茶な話である。相手の砲台が三基に対してこちらのまともに動くであろう砲台が一基。この一基によってこの前線は首の皮一枚繋がっていると言っても過言ではない。あれが落とされたら、この高地まで敵が押し寄せるのも時間の問題だろう。
「司令部は八歳の少女に二個中隊ぶんの命を任せるらしい。すまないが私に力を貸してくれないか?」
「「「はい、准尉。」」」
さすが司令部の人間である。物分かりが良い。いや、一種の諦めに近いだろうか?
無線が繋がらないのなら有線で繋がなければ仕方がない。そう考えていた矢先。
「こちら一〇二中隊、レオン中尉、誰か応答願う。」
弱々しい電波であるが、間違いなく友軍の通信である。恐らくは、近づいた事で司令部に届かなかった電波を拾う事ができたのだろう。
「こちら"フロイライン"司令支部、ミーア臨時指揮官である。一〇二中隊、状況は?」
「我が隊は、一個小隊を損失、一〇一中隊は壊滅、連絡不能。一〇三中隊、一〇四中隊は連絡可能であるが、敵軍の砲撃によってそれぞれ一個小隊規模の人員を喪失。砲兵部隊は、残数一基で弾頭数が数発程、他二基、まずい! 伏せろー!」
爆発音が大地に鳴り響く。着弾地点の半径三十メートル程が吹き飛んでいる。
「無事か、中尉?」
「なんとか無事だが、次の砲撃に耐えれるかは分からない、恐らく今の砲撃で一〇四中隊が半壊した。」
刻一刻と悪くなる戦況、これを悪夢と言わずして何と言えば良いのだろうか?
「今から我が軍は遅滞作戦を行う。一日後に一個大隊が到着する。ゆっくりと後退してそれ合流せよとのことだ。戦場の様子は私から伝える、現地での指揮はレオン中尉に託した! なんとか持ち堪えてくれるか?」
国の為に命を捨てろと言っているようなものである。成功する確率は、ほぼゼロに近いだろう。
「はい… なんとか持ち堪えて見せます。」
敵軍の新型の砲台は装填に時間がかかるようだった。
レオン中尉の計らいで、砲兵部隊の人員が通信線をつなげにきてくれた。無論その間私は、姿を隠した。八歳児が指揮をとっているだなんてしれたら、どうなることやら。
「こちら"フロイライン"臨時司令部、二〇二砲兵部隊、聞こえるか?」
「通信良好、問題ない。」
無事繋がる事ができたようだ。とりあえず一安心。
「それは良かった。砲弾の残り弾数と砲の性能は?」
この数で大きく戦況が変わる。最低でも二台あの砲を壊す事ができるなら、二日持たせる事だって可能だろう。せめて四発は欲しいところ。
「残り弾数は三発であります。砲台は、直径二〇〇ミリ、射程二十五キロメートル、砲撃範囲は十五メートル程であります。」
大砲の威力はなんとかなりそうであるが、残弾数三発とは、私はことごとくついていないらしい。だが、今は悩んでいても仕方がない。"目"を使って射角を計算する。砲弾を装填しようとしている敵軍の大砲を狙う。
「砲兵部隊、今砲が向いている方向から東向きへ五度、上へ五度だけ動かせ、正確にだ。二十秒後に発射するように。」
自陣から砲音が鳴り響く。見事敵砲に命中。幸い砲弾に誘爆し敵軍への損害は思いの外大きいようだ。敵軍が慌てて次弾を装填し我が軍の大砲を潰しにかかる。
「まずは一基、次だ。その向きから西へ七度下へ四度動かせ。三十秒ちょうどに発砲するように。」
砲弾が綺麗な軌跡を描く。またもや観測通りに命中。
「こちら砲兵部隊、"フロイライン" 敵方の状況をお願いしたい。」
私としたことが、敵砲を潰す事に夢中で状況の伝達という重要な任務を忘れていた。
「こちら"フロイライン"先刻の砲撃をもって敵砲三基のうち二基の破壊を確認した。これより、残りの一基の破壊を…」
敵砲がこちらに座標を合わせている。こちらに気づいたのか? いや、敵軍が状況的に判断して高地に観測士がいると判断したのだろう。なかなか感のいい司令官があちらにもいるらしい。
「こちら砲兵部隊、現時点で砲撃を行なうことは不可能であります。砲身の冷却が十分でない為、今砲撃を行なうと暴発してしまいます。」
冷却が追いつかない? まさか、旧筐体の砲を運用しているのか?
「了解した。」
まずい、とりあえず隊員に撤収作業を急がせる。
「全軍につぐ、こちら"フロイライン"しばらく通信が途絶える。したがって、現時刻をもって指揮権をレオン中尉に委ねる。」
「発射確認! 伏せろ!」
轟音と共に迫り来る砲弾。着弾まで四秒といったところか、
「遅かったか…」
先に隊員を下がらせておいて良かった、機器は無事だろう。そう考えるのも束の間、少女の数メートル前に着弾。飛び散った鉄屑や土砂が少女の身体を抉る。響が止んだ後偵察隊員が目にしたのは、かろうじて少女の原型を保った肉塊。私の目には何も見えない、だが、"それでいい"
「嘘でしょ… ミーア准尉! ミーア准尉!」
驚いた、彼らのような仕事人にもそのような情があったのだな。そう思いつつ、全身に意識を巡らす。齢八歳にして一世一代の大手術である。ひとまず、体内に入り込んだ異物を除去するところなんだが… 異物が消滅していく。"生成"の逆といったところだろうか、とても興味深いがそれどころではない、反射的に作用する異能と並行して、意図的に右目を再生する。今しか無いのだ。自ら眼球を抉り出すなど御免蒙る。
「ミーア准尉? ひぃっ!」
蠢く少女の身体を見て声にならない悲鳴をあげる隊員、そんな可愛い隊員をよそに、着々と体の再生は進行する。腹に開いた穴はとうに塞がり、抉れた箇所は、柔らかな肌によって覆われていく。視界がぼんやりと戻っていく。通信兵の青年が涙を浮かべながら引き攣った顔でこちらを覗きこんでいる。
そんな悍ましいものを見るような目で見ないでくれ… 私もなりたくてこの体になったわけでは無いのだ。
内臓機能も取り戻しつつある。着弾してから五分といったところだろうか? 完治とはいかないものの行動を再開できるほどに身体機能が戻ってきている。"観測"は問題なく行えるらしい、実験は大成功だ。
「通信兵、状況は?私は見ての通り、現時点をもって大丈夫に"成った!"」
私は今、とてつもなく誇らしい。
「はっはい、准尉…そっその、み右の目の色以外は元通りであります。」
これが私に"隻眼の魔女"という異名がついた所以である。
ミーアが獲得した称号
研究班長
准尉
歩兵団司令部観測士
観測隊隊長
臨時前線指揮官
射撃援助者
自己犠牲型MAD
ドクターミーア
隻眼の魔女