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7.夢の終わり


ステラはゆっくりと前かがみになると、冷たいペリドットを覗き込んだ。その拍子に白い髪がさらりと頬を滑り落ちていく。

(アーサー)の感情を知りたいと思った。


「ふふ」


剣を伝って鼓動こどうを感じる。

あの日の夜、すべてを奪った男の鼓動。

四方八方しほうはっぽうから怒号どごうや悲鳴が地獄もかくやと響き渡るなか、アーサーは驚くほどに静かだった。


「静まれ」


ステラはアーサーに突き刺した剣を抜き、横に払う。剣に合わせて鮮血が飛び散り、傷んだステラの髪を汚した。


叫んだつもりはなかった。ただ周囲は水を打ったように一瞬で静寂に包まれる。

こぽりと鼓動に合わせて流れる男の血を無感情に眺める。


「私の家族の死をいたんだのは、私(ひと)りだけ。罪人のようにさらされた家族の亡骸なきがら埋葬まいそうしてあげることもできずに、涙を流し逃げまどうしかなかったおろかな子どもだけが、彼らの死をいたんだ。つつましく正しかった我が王国を土足で踏み荒らし、罪なき者を殺し、死してなお侮辱ぶじょくするお前たちが、同じことをされて慟哭どうこくするとは皮肉ひにくなものだ」


しんと静まり返った広場に、自分の声だけが響く。


「ねぇ、アーサー・ランセント。鬼ごっこは、もう終わり?」


小首を傾げ、ステラは艶然えんぜん微笑わらう。

にごったペリドットがわずかに見開かれた。呆然ぼうぜんと自分を見つめる瞳が徐々に光を失っていく。


この男は今、何を考え、思うのだろうか。


ぼんやりと自分を見つめる瞳を見つめて、ステラはゆっくりと顔を上げた。


こんな状況下でも表情を変えずに泰然たいぜんと構える姿は流石さすがというべきか。それともあの男にとっては取るに足らない出来事のひとつなのだろうか。


無表情にこちらを見下ろす、この国の王を見る。


「ユーステリア・ランセント。貴方あなたの息子は私が頂きましょう」


五歳のあの日から夢にまで見た瞬間だった。

血反吐ちへどを吐き、辛苦しんくめながら、蛆虫うじむしのように生きながらえた日々が、今日やっとむくわれる。


それなのに、胸に湧き上がるのは喜びや嬉しさなどではなく、ザラついた言いようもない罪悪感なのだから自分でもわらってしまう。


死んだものは二度と生き返ることはない。


どんなに泣き叫んでも、どんなに神に祈ろうとも、その事実だけはくつがすことができない。

それはステラが痛いほど理解している。


(あの男の言葉は真実だった。…私は悪魔だ)


あの絶望を、怒りを、憎しみを、彼をしたう数多の人間に背負わせようとしているのだから。少し前に出会った少女の姿が脳裏を過る。彼女の笑顔が今はどうしようもなく痛い。閉じ込めていた恐怖が顔をのぞかせ、罪の重さに手が震えた。


手遅れだ。

私はちるところまでちてしまった。この男を殺すことでしか、私は私自身をゆるすことができない。


「シルヴァン国王家、ステラ・ヴィンセント・シルヴァン。我が名において、アーサー・ランセントを粛清しゅくせいする。例え何十、何百、何千の命を救おうとも、我が国を無実の罪で蹂躙じゅうりんし、数多あまたの民をほふった罪は消えず、到底とうてい許されない。例え神が許したとしても、私がゆるしはしない」


失った家名を口にしたとき、心の片隅かたすみであの日の自分が泣いた。

手に持っていた剣を捨て、腰から家宝の短剣を取り出しすとアーサーにまたがりながら振り上げる。


「アーサー・ランセントの死に安らぎはなく、あるのは死してなお続く苦痛のみ」


静かに言い聞かせるようにつむぐ。


「この世への挨拶はすませた?地獄への道案内は任せて頂戴ちょうだいね」


迷いなく振り下ろした短剣は男の喉をつらぬいた。短剣から肉を裂く感触が手に伝わり、確かに拍動を感じる。


瞬間、ドン、と言う衝撃とともにステラの視界が真っ白に染まる。ちかちかとまたたく瞼の裏であの日の自分がこちらを見ていた。


家族を救えなかった自分の未熟さが、弱さが、ずっとゆるせなかった。

でも、もう終わりにしたい。

疲れた。酷く、疲れていた。呼吸することすら億劫だ。


不意に呼吸が軽くなり、無表情でこちらを見ていた五歳の私が大声で泣いた。

辛いと、悲しいと、家族に会いたいと泣きわめく。


しゃくりあげながらうずくまり、この世の絶望を嘆き悲しむあの日の自分を抱きしめる。すっぽりと包み込める体は小さく、体に伝わる振動も、自分自身を抱きかかえるその手も柔らかい。

骨張り伸びた指とは似ても似つかない。


あの日の自分は只の子どもだった。


一筋の涙がこぼれ、体の力が抜ける。

心は凪ぎ、穏やかだ。


やっと眠れる。

穏やかな眠気に誘われ、瞼を閉じた。

深く、深く。たくさん眠ろう。


遠くで家族の声がする。

身体に力が入らない。痛みも、苦しみも何も感じない。もう夢かうつつかもわからない。



身体が小刻みに震えて、そして止まった。

その口元は満足そうに小さく弧を描いている。

苛烈かれつな人生とは真逆の、穏やかな顔であった。



大罪人ステラ・ヴィンセント・シルヴァン。

享年きょうねん十八歳。





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