5.奪うもの
空白ののち、※を置いてます。
※以降は見る人を不快にする描写の可能性があります。直接的な表現は控えていますが、少しでも不安な方や危機感をおぼえた方は読みとばしてください。読み飛ばしても次の話には影響ありません。
自衛をよろしくお願いします。
「お姉ちゃん騎士様なの!? カッコいいね!!」
ステラはその日も日番のため街を巡回していた。ペアの同僚は先ほど所用を思い出したとかでどこかに行ってしまったが、いつものことなので気にしない。
キラキラと目を輝かせながら自分を見上げてくる女の子にステラは曖昧な笑顔を返す。
「…そう?」
「うん!それに真っ白な髪もとても綺麗!」
「有り難う。お母さんは?」
「向こう」
指差された先に一人の女性を見つけた。店の女店主と話し込んでいる。
なるほど。母親と一緒に買物に来たがなかなか話が終わらずに退屈していたところでステラを見掛けて声をかけたのだろう。
「騎士様はね、悪いやつをやっつけて私たちを守ってくれるのよ!強くて格好いいの!」
無邪気に話す女の子の頭を撫でる。キャッキャと声を上げて笑う女の子の前に膝を折ると、女の子はステラの顔を見て驚いたように目を丸くする。
「お姉ちゃん、お顔もとっても綺麗ね!お姫様みたい」
ペタペタと小さな手で頬を触られる感覚にステラは目を細める。
「そんなこと、初めて言われたわ」
「そうなの?お姉ちゃんの周りの人はみんな目が悪いのね!」
呆れたように膨れたかと思えば、今度はもじもじと照れくさそうに指を絡めはじめた。感情に合わせてコロコロと変わる表情が眩しい。
「…お姉ちゃんは王子様にあった事がある?」
「王子様?」
「うん。この国の王子様のアーサー・ランセント様よ」
呼吸がとまる。
直ぐに笑顔を貼り付けて、期待の眼差しを向ける女の子に「えぇ」と頷いた。まさかここでその名前を聞くとは思わず油断していた。
頷いたステラに、女の子は興奮したように頬を真っ赤に上気させる。あのね、あのね。と嬉しそうに話す女の子はステラの変化には気づかなかったようだ。
「あのね、王子様に私がお礼を言ってたって伝えてくれる?」
「お礼?」
「うん!私が小さいときに助けてもらったの!昔ね、剣をもった男の人がたくさん来て家とか壊されちゃったんだ。お父さんもそのとき死んじゃった」
その時を思い出したのか悲しそうに瞳を潤ませたが、直ぐにぱっと笑顔を浮かべる。
「お父さんが殺されちゃって、お母さんと私も殺されちゃうんだって怖かった。だけどね、王子様が来てくれて、みんなやっつけてくれたの!」
両手を広げて、ほんとうにあっという間だったんだよ!とはしゃぐ女の子を道行く人たちが微笑ましげに眺めていった。
「本当は自分でお礼を言いたいんだけど、私は王子様とはなかなか会えないんだって。だけど騎士様なら会えるでしょう?だって王子様も騎士様だもの!」
「…そうね」
頷くステラに女の子は嬉しそうに笑うと、ステラの手をとる。そして目を丸くすると今度は驚いたように声を上げた。
「お姉ちゃんのおててマメがいっぱい!」
「…、騎士になりたくて剣の練習を沢山したの」
「痛いの?」
「いいえ」
平静を装うステラの頬に冷たい汗が流れ落ちる。柔らかい手が自分の手に触れたとき、内臓がぞわりと粟立った。穢れた手が無垢な彼女を侵食する幻覚に総毛立つ。
然り気なく引き抜こうとした手はがっちりと掴まれているらしく、なかなか抜けない。
「お姉ちゃんはなんで騎士様になろうと思ったの?」
「……夢が、あるの」
「ゆめ?」
「こら!!」
キャッと悲鳴を上げて女の子が飛び跳ねた。突如聞こえてきた声はどうやら彼女の母親のもののようだ。顔を上げると先程教えてもらった彼女の母親が慌ててこちらに駆け寄ってくる姿が目に入った。
母親は息を乱しながらステラたちのもとにたどり着くと女の子を引き寄せる。その拍子に手が離れ、ステラは強張っていた体から力が抜けていくのを感じた。
「目を離した隙に…。お仕事の邪魔したら駄目でしょう」
「邪魔してないもん!」
「本当にごめんなさいね。この子、迷惑をかけなかったかしら?」
「いいえ」
立ち上がりながらステラは短く返事を返す。実際迷惑はかけられていない。
「お姉ちゃん、約束覚えてる?」
「ちょっと待って。何を言ったの?」
「王子様に私の代わりにお礼を言ってねってお願いしたの」
「まぁ!」
母親は目を丸くすると、困ったように眉を下げた。
「お姉ちゃん、約束したよね?」
母親の反応に心配になったのだろう。泣きそうになりながら再度確認してくる女の子に、ステラは再び膝を折った。目線を合わせると、純粋な瞳がこちらを見つめてくる。
「…私は騎士になったばかりだから簡単に王子様と会うことはできないのだけれど、騎士でいる限りお会いする機会は必ずあるわ。すぐにとはいかないかもしれないけれど、その時に必ず貴女の言葉を伝えると約束する」
「ほんとう?」
「本当よ。ただし、時間がかかるかもしれないけれど」
「いいの!ありがとう!!」
女の子がステラの首にぎゅっと抱きついてきた。
ステラの心の柔らかい部分が軋んで悲鳴を上げる。時間をかけてゆっくりと抱きしめ返したステラに女の子が「んふふ」と嬉しそうに笑った。
手を振って帰っていく女の子を見送る。
頭の中で『うそつき』と嗤う声に、諦めたような自嘲が零れた。
振り切るように踵を返し、狭い路地に入っていく。
通路の奥、そこにその男はいた。ニヤリと薄汚い笑みを浮かべてステラを見る。
「こりゃまた別嬪な客だな」
「対価はなんだ」
「そりゃ依頼の内容次第だ」
ステラは男を睨む。
にやにやと下卑た顔でこちらを値踏みする男はある界隈で腕が立つと有名だ。
この国の王子であり、なおかつこの国随一と謳われた剣の腕を持つ男を確実に殺すためにステラには協力者が必要だった。
ダンはきっと頼めば協力してくれただろう。だが、それだけは駄目だ。彼だけは巻き込みたくない。
ー…彼だけは、連れて逝かない。
連れて逝くならば、ステラと同じように死んでも構わないくらいの屑でなければならない。
「半月後にある騎士選抜トーナメントで私は優勝する。その時に少しの間でいい。客席を煽動してほしい」
「やり方は?」
「任せる。だが、確実に成功させろ。アーサー・ランセントの意識が一瞬でも逸れるならなんでもいい」
「……なるほどな」
男の目が細められる。一瞬鋭さを増した眼差しは、この男がそれなりに経験を積んでいる証拠か。
「いいぜ、引き受けた」
「…対価は」
「あんただ。あんたを一晩貰う」
ステラは無表情で男を見る。男は薄い笑みを浮かべながらステラの返事を待った。
「…お前が逃げないという保証はどこにもない。確実に依頼を遂行するという確証を示せ」
「例えば? あんたは俺が何をすれば信用する?」
「……」
「だろ? 信じろ、としか言えん」
正直何を提示されても信用などできるはずが無かった。男もそれを分かっているのだろう。退屈そうに壁に体を預けている。
「…まぁ、俺は一度した約束を違えたことはねぇよ。それだけは保証してやる。口でだがな」
この男を信用する、しないに関わらず、ステラにはこの男を頼るしか選択肢がない。
この男を使わなければ、計画を成功させる確率自体が格段に下がる。保険はあるに越したことはない。
ステラは短く息を吸う。
「…いいだろう」
「お!取引成立か?」
壁から背を離す男にステラは浅く頷く。
男が浮かべた笑みに腹の熱が引いていく。
「いつがいい」
「いつでも」
「じゃぁ今夜だ」
男は薄汚い一切れの紙を寄越してくる。それを指で受けとると、ステラはもと来た道をもどる。
もうここに用はない。
待ってるぜ、という男の声にステラは出口へと足を速めた。
準備は整った。
伸ばした手はアーサーの首にかかるところまで来ている。あとはやり遂げるだけだ。
あと半月。
そこですべてが終わる。
※
ブレる視界の中、揺れる足先を目で追う。
揺さぶられるたびに、ゆらゆら、ゆらゆらと揺れている。体液で体中がベタベタする。
自分の喉から出る嬌声をどこか他人事のように聞いていた。閉じていた口を無理矢理こじ開けられ、声を出せとねじ込まれた舌に面倒くさくなった。
男が望むがままに振る舞う。まるで人形だ。
ステラは嬌声をあげる裏で、いつからか横たわるベッドの直ぐ横にもう一人自分が立っているような錯覚を見ていた。もう一人の自分は、知らない男に抱かれる自分を冷静に観察しながら冷めた目でこちらを見下ろしている。
男がステラには覆いかぶさる。荒い呼吸が耳にかかり気持ち悪い。
穿たれすぎて痛む恥部もどこか膜一枚隔てたかのように現実味が薄い。
ステラは生理的な涙によって潤んだ瞳で、もう一人の自分を見上げた。
「ぅあ…」
それは吐息のような悲鳴だった。
もう一人の自分は、ステラを見つめて泣いていた。
無表情のまま、硝子玉のような瞳から雨粒のような涙を零している。
ポタポタ、ぽたぽた。止め処無く流れる涙にステラは顔を歪める。
再開された律動に視界がブレる。
夜明けは、まだこない。