3.同じ
激しい剣戟が繰り広げられる中、ステラは目の前の男を何とか斬り伏せる。男の息が絶えたことを確認する間もなく、後ろからきた敵の刃を受け止めた。
狭い街の中で敵と味方が犇めく様は正に渾沌としている。訓練のように一対一で戦うなんていう秩序はない。敵は目の前だけでなく、後ろからも横からも同時に斬りつけられることだってある。命の場で秩序や義理など塵同然だ。
「くっ…!」
奇声を上げて斬り掛かってくる相手をいなすと、力の限り蹴り飛ばす。倒れ込んだ先で他の人間を巻き込んだが、ステラの知ったことではない。
肩で息をする。顔に飛び散った血を手の甲で無造作に拭うと、乱闘の渦に足を向けた。
血の匂いが充満している。燻る火種が焦げ臭い。
向かってきた男を斬り伏せて、その喉首に刃を当てると、男は血走った目でステラを睨み、泡のついた口で唾を飛ばした。
「この悪魔どもが!!地獄に落ちろ!!お前たちの行いは神もご存知だ。決してお赦しにはならないだろう!!」
悪魔だと罵りながら暴れる男に剣を振り上げる。すると「ひっ」と短い悲鳴とともにその目に恐怖が浮かんだのをステラは見た。
振りかぶった剣先は迷いなく男の心臓を刺し貫く。
命が流れていくさまを一瞥し、その場を後にしようと背を向けたとき、後ろから小さな声が聞こえた気がした。
「……、……」
ステラはちらりと背後を振り返った。冷めた目で男を見る。
虫の息の男が全身を戦慄かせながら何事か呟いているが、聞き取れない。男の虚ろな目から涙が溢れ、男が呼吸をするたびに、カヒュ…カヒュ…と喉が弱々しい音を立てた。
いっそのこととどめを刺そうか。…いや、わざわざそんなことをせずともじきに失われる命だ。
興醒めしたステラが今度こそ踵を返そうとしたその時、男が誰かの名を小さく呼んだ。
それを聞いたとき、ステラはくらりと頭を鈍器で殴られたような眩暈に襲われた。
恐る恐る男をみる。
男は既に息をしていなかった。
チカチカと瞬く光に吐き気がこみ上げる。
「うおぉおーー!!!」
怒号にはっと剣を握り直すと、そのまま背後に剣を突き刺す。
「うぐっ」
くぐもった声とともに剣に重みを感じる。
素早く身を翻したステラに、奇襲をかけた敵がその場で倒れ込んだ。
首筋がぴりぴりと逆立つ感覚に、ここは戦場だと己を叱責する。気を抜いたら殺されるのは自分だ、と唇を噛んで、未だ残る敵を屠るために立ち上がった。
※
ステラはひとり静まり返った街を歩く。
死の気配が漂う街にステラの足音だけが響いている。幾つも転がる敵の死体を避けながら、やがて一人の男の死体の前に辿り着いた。
(逃げようとしたのか、それともー…)
指の形に抉られた地面を見る。死に際の苦しさを遺すそれに、ステラは再び鈍器で頭を殴られたかのような鈍い衝撃を感じた。
帰ろうとしたのかもしれない。
最期に名を呼んだ誰かのもとに、這いつくばってでも。
「…何をしている」
不意に掛けられた低い声にビクリと肩が跳ねた。ステラはゆっくりと顔を上げる。
春の若葉のようなペリドットが真冬の氷のような冷たさでこちらを見下ろす。
剣を携えたアーサー・ランセントがそこにいた。
「質問に答えろ」
感情のない声音にステラは瞼を伏せた。酷く口が重い。
「……何も」
無気力に立ち尽くすステラにアーサーは目を眇める。
「同情しているのか」
考えを口にすれば、意志の強い瞳がアーサーを見つめた。変哲もないヘーゼルの瞳が光を孕んだように輝く。
「お前と同じような奴らは今までにも沢山いたな。そういう奴らは決まってお前と同じように戦地に戻って、死体を眺める」
淡々と話すアーサーをステラは黙ってみつめた。
ステラは憎む相手を前にしたとき一体自分はどんな気持ちになるんだろうと考えたことがある。怒り、憎しみ、憤り、殺意。抑えきれない衝動で我を忘れてしまうかもしれないな、と他人事のように思っていた。
「…守るべきものを間違えるな。同情はお前とお前の大切なものを殺すぞ」
だが、実際アーサーを目の前にした今。彼に対してなんの感情も湧いてこなかった。平坦な自分の心に、人は憎悪や怒りを超越すると感情すら無くなるのだと初めて知る。
「…肝に銘じます」
ステラは慇懃に頭を下げたあと、目を細めた。
確かに、安い同情はステラの大切なものを殺すだろう。ステラの矜持や信念がそうだ。
アーサーの築き上げる安寧は幾千もの屍の上に立つ血に塗れた仮初のものでしかない。なんともまぁ強者らしい傲慢さだと心のなかで冷ややかに嘲笑う。
しかし下げた視線の先、足元にある男の死体が目に入ると、それまで冷ややかだったステラの心が小さく波打った。
ステラはこの国の人間に興味がない。
ステラの故国のような犠牲を糧に、自分たちだけが楽しく呑気に生きていることに嫌悪すら覚える。この国の人間の笑顔を見るたびに、ステラの心には冷えた感情が沈殿していく。
今日の戦いは、数年前に謀反を企てた罪人の残党狩りだった。もとはこの国の貴族だというが、詳しくは知らない。
この街に来る道中で騎士たちが愚痴のように話していた内容からは、罪人となった貴族は悪質な統治をしており、それに困った領民がアーサーに嘆願したことで打ち首となったのを、罪人の家族が逆恨みして騒動を起こしているのだという。
「いい迷惑だよな」と一人の男が呟くと周りも賛同するように頷いていた。
ステラはその話を聞きながら同じ国の人間同士で争う醜さを嗤った。そして敵味方関係なく、この国の人間が死ぬことになんの興味も沸かない自分を自覚する。
だからこそ、この国の人間を殺すことになんの躊躇いもなかった。
だらりと横たわる男が再び呼吸することはない。名を呼んだ者の元へ帰ることもない。
死んだ男は、最後の瞬間に何を思ったのだろうか。
ずっと、この国の人間のことを『敵国の人間』という生物だと勝手に認識していた。それは害虫と同じだ。殺したとてなんの罪にもならない。そうする権利が自分にはあると、そう思い込んでいた。
自分の手を見る。洗い流したはずの手は悍ましいほどに血で穢れている。
眩暈がする。
罪悪感に吐きそうだ。
ステラはアーサーを見る。
『お前も同じだ』
そう、言われている気がした。
あの日から、ずっと声がする。
ステラは一人、暗い森の中にいた。
皮脂と脂で絡まる白い髪を振り乱し、逃げる蟲を獣のように捕まえる。
お腹が空いていた。もう何日も何も食べていない。
手の中で逃げようと蠢く蟲を頭から噛みちぎる。
気持ち悪い食感と味に思わず嘔吐いた。
吐き出した胃液と噛み砕いた蟲の死骸を、涙の滲む目で見下ろす。
吐瀉物に混ざる蟲の破片が、父と母、弟の姿と重なった。
ステラは残った蟲を口に入れる。
咀嚼するたびに込み上げてくる嫌悪感と吐瀉感に生理的な涙を流しながら必死に耐えた。
(…死にたい)
五秒に一度は頭を過る。
だが、生きねばならない。
誇りを捨てようとも、尊厳を失おうとも。
生きて、王女としてやるべきことを成せ。
そのために生きているのだから。