繋いだもの
彼女の、まっすぐな視線が僕の顔に突き刺さる。
そうだよな。
僕だって同じことをされたら、思わず相手を見つめてしまうと思う。
そして、きっと質問するんだ。
「どうして、こんなことするの?」
声は震えており、今にも双眸から涙がこぼれ落ちそうだ。
僕はその声を無視し、両手に持っていたものを勢いよくゴミ箱に投げ込む。
どさり、と音を立て、破られた本はばらばらになった。
彼女と出会ったのは大学生の時だった。
本の虫と呼ばれる僕が、初めて素敵だと思った人間だった。
人と交わらずただ黙々と本に齧り付いていた僕とは対照的に、彼女は明るく社交的で、知らない人ともすぐ仲良くなれる様な、そんな女性だった。
特別美人という訳ではないが、愛嬌のある笑顔を見た瞬間、僕は恋というやつを知ってしまった。これが厄介なやつで、彼女のことが頭から離れず、近くにいれば一挙手一投足が気になってしまう。そんな病に、僕は簡単に罹った。
普通なら接することがない筈の彼女がなぜ僕と交際してくれることになったのか。確かに下手でささやかながらもアプローチらしき行為は何度もしたけれど、こんな僕からアプローチをして正直嫌われると思っていた。
「だって、1番面白い人だったから」
それが僕と交際する決め手だったらしいが、こんな本ばかり読んでいる様な人間の何が面白いのか、まるで見当がつかなかったし、今も分からないままだ。
僕が本の話になると熱っぽくなるのを面白がったことが、雑誌しか読まなかった彼女が本を読む様になった理由だった。
「そんなに夢中になる程面白いものなら、私も読んでみたい」
そう言って僕が薦める本を少しずつ読む様になった。
読み慣れない本を手に、少し眉間に皺を寄せながら静かに向かい合う姿に、言葉には出さないものの嬉しさが込み上げてきた。趣味を共有できることも勿論だし、何より彼女が“読んでいる”ということが僕には嬉しかった。
そうやって少しずつ、彼女は本を読む様になった。
今では、僕にも勝るとも劣らない読書家になった彼女。毎月1冊は必ず読み終える程の熱心さで様々な本を読み進めている。
かつては僕が薦める本ばかり読んでいたが、今では自分で好きな本を買ってくる様にもなった。
そんな彼女のことを喜んでいた筈なのに、何故だろう?
ページを捲る細い指、読む合間にコーヒーを啜る唇、文字を追いかける真っ直ぐな瞳。
僕は何度となくそんな姿を見ているはずなのに、ふつふつと湧き起こるこの気持ちは次第に大きくなり、腹の底に蟠っていった。
今日だって、何の変哲もない1日だった。お互いに仕事もなく1日中暇で、かと言って外出するには気怠い。そんな日の日常だった。
彼女は読みかけの本を読み、僕はそんな彼女のためにコーヒーを淹れてあげる。僕がテーブルの上にコーヒーマグをそっと置いた時、ふと、彼女の顔が視界に映った。
文字を追いかけているはずの目に、涙がじわりと滲んでいた。
その瞬間、僕の腹の中に押さえつけられていた衝動が爆発した。
彼女の両手から本をひったくり、勢いに任せ本を真っ二つに引き裂いた。薄い文庫本は思ったよりも頑丈で、引き裂くのにかなりの力が必要だった。
真っ二つになった本を両手に持ち呆然とする僕の顔に、彼女の視線が突き刺さる。
「どうして」絞り出すかのように、言葉が紡がれる「どうして、こんなことするの?」
僅かに滲んでいただけだったはずの涙で目が一杯になり、今にも溢れ出しそうだ。
どうして。
その言葉が、僕の頭の中をぐるぐるかき回す。
僕にとっての高嶺の花。
一緒にいるはずじゃなかった彼女。
本を独り読み続ける僕。
たくさんの友達と笑い合う彼女。
僕も彼女も、大好きな本。
僕は彼女の疑問には応えず、そのまま背を向けゴミ箱に向かう。どさりと音を立てゴミ箱に捨てられた本はばらばらになり、ゴミ箱の中で広がった。
これでいい。
音もなく涙を流す彼女を背中で感じながら、僕は満足した。