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前編

よろしくお願いします。

 目の前の男が私に憐憫を含んだ視線を向けながら口を開く。


「ケヴィンが浮気しているみたいだぞ。なんでも相手は侍女として屋敷で働いている子爵家の娘だそうだ。身分は低いが明るくて健気な女性だと評判がいいらしい。あいつはお前との約束を破って王都にも来ない。なあ、ディアンヌ、お前捨てられたんだよ」


「彼はそんな人じゃないわ。いま辺境領は復興で大変なのよ。失礼なことを言わないで」


 イラッとしながら否定した。男って健気な女性が本当に好きよね。どうせ私は気が強くて可愛くないですよ。しかも小柄でもないし派手な顔だし、努力ではどうにもならないことなのだから仕方がないじゃない。これ以上聞きたくないと拒絶しているのに目の前の男、クレモン・マテュー侯爵子息はさらに続ける。


「復興って言っても戦争は終わっているし、そもそも小競り合いだった。結婚を延期する必要はなかったんじゃないか? ケヴィンは公爵家に婿入りするのに実家の辺境伯家の手伝いを優先してお前を蔑ろにしている。連絡もまともに寄越さないような最低なやつだ。もう、諦めて待つのをやめたらどうだ? いい機会だから新しい婚約者を探した方がいいと思う。その、……その点私ならディアンヌを優先し――――」


「彼は国を、辺境を守ってくれているのよ? 私を蔑ろにしている訳じゃないの。私たちのために日々尽くしてくれているのに、そんな言い方許せない!」


 クレモンに軽蔑の眼差しを向けると背中を向けた。そして足早に立ち去る。後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえるが無視だ。


 今日は用があって外出していたところ偶然彼に会って話しかけられた。いつもクレモンは用もないのに話しかけてくる。それも嫌味っぽい話ばかり。はっきり言って迷惑だ。人の婚約者のことなど気にしていないで自分の婚約者でも探せばいいのにと思う。彼はマテュー侯爵家の次男だ。文官として働いているのでそれなりの給料を貰っていることもあり、目下独身を満喫中のようだ。好きに謳歌していいから二度と私の目の前に現れないで欲しい。彼はケヴィンのことを悪く言うので好きになれない。


 私の婚約者ケヴィンはジラール辺境伯家の三男。そして私と結婚してベルナール公爵家に婿入りする予定だ。共に現在十九歳で予定では十八歳で結婚する予定だったが、延期になってしまった。その前年に隣国が我が国に挙兵した。真っ先に国境を守るジラール辺境領が戦地になった。彼は辺境伯様や兄君たちと共に最前線に立つことを選んだ。その後、我が軍は敵を追い返し、陛下は隣国と停戦協定を結んだ。


 短期間で終わったといえそれでも戦争は戦争だ。大きいも小さいも被害者には関係ない。傷ついた騎士も、亡くなった人も家を焼かれた領民もいる。大したことがなかったと気安く言って欲しくない。それに目に見える怪我だけじゃない。心にだって深い傷を負う。王都にいる私たちは戦争の実感が薄い。安全な場所にいる人間は傲慢になりがちだ。最前線に出てくれている騎士たちへの感謝を忘れるような言葉は許せなかった。


 ケヴィンはジラール辺境伯家に生まれた男としての責任を果たすべく行動をしている。だから結婚式の延期くらい仕方がない。私たちはいずれ必ず結婚する。そうすればずっと一緒にいられるのだから少しくらい延びても我慢できる。ちょっとだけ悲しかったけどそれは我儘なので口には出せない。


 ただ彼からの手紙が三か月前から急に届かなくなったことに胸の中がざわざわしている。しかもタイミングよくその頃に社交界でケヴィンが浮気をしているという噂も流れ始めた。その内容は……。


 ――辺境伯邸で侍女として働く可憐な子爵令嬢と思いを通わせている。彼は可愛げのない公爵令嬢に婿入りして窮屈な結婚生活を送るより、健気な子爵令嬢を妻にして穏やかに暮らしたいと。



 私は社交界で憐れみとも嘲笑ともいえるものを投げかけられていた。それを淑女の仮面をつけて平然とやり過ごす。でも心の中は暴風雨なみに荒れていた。





 ******





 二人が婚約を決めたのは穏やかな春の昼下がりのこと。目の前の男の子がほんのりと頬を染めて言った。


「ディアンヌ」


「なあに?」


「ぼくとけっこんしてくれる?」


「え~、どうしようかな? ケヴィンはわたしがすきなの?」


「うん。だいすき!」


「じゃあ、けっこんしてあげる!」


 四歳児の私は何様だ? 彼のプロポーズに対して強引に好きだと言わせて、あげくに結婚してあげるとか偉そうに……。とはいえこれがきっかけで私たちは正式に婚約した。


 ディアンヌはベルナール公爵家の一人娘でいずれ婿が必要になる。そしてケヴィンはジラール辺境伯の三男で婿入りにちょうど良かった。父親同士が同級生かつ親友ということでトントン拍子に話がまとまった。ちなみに大人たちが王都のベルナール公爵邸の庭でお茶を飲んでいる目の前で行われたプロポーズ劇を一同は「あらあら」「まあまあ」と微笑ましく見ていた。


 もちろん四歳児はお互いの家のことなど特に考えずに無邪気に一緒にいたいからという理由だけで結婚を約束した。実のところケヴィンが私の何を好きになってくれたのかは、照れくさくて聞いたことがないので分からない。


 私が彼を好きになった理由、それは些細なことがきっかけだった……。

 

 プロポーズが行われる一週間前のことだ。我が家にジラール辺境伯ご夫妻とケヴィンとお兄様たちが遊びに来ていた。ケヴィンとディアンヌは同じ歳だからと二人仲良く庭で遊んでいた。追いかけっこだと大きな木の周りを二人でぐるぐると走っていた。私が疲れて立ち止まったその時、その木の上からひゅんと私の肩に何かが着地した。「ん?」と思って見るとそれはカマキリだった。しかも大きめの。あろうことか奴は私の肩に乗って「お嬢ちゃん、覚悟しな!」とポーズを決めた。


「いや――――!! とって、とって、とって!!」


 あまりの恐怖に悲鳴をあげ蹲った。奴は私の肩から微動だにしない。この恐怖を分かって頂けるだろうか? だってカマキリなのよ。常に鎌を持っている生き物なんて怖すぎる。(ディアンヌ目線によるものでカマキリは鎌を持っていないよ)しかも大きい目がじろりと私を見据えている。これは明らかに戦闘モードだ。えっ? 理解できない? ならば人に置き換えてみて欲しい。目が据わった奴が両手に鎌を持って突然目の前に現れたら超危険人物だ。誰だって命の危機だと思うはず。


「だいじょうぶだよ。ディアンヌ。もうカマキリはいないよ」


 ケヴィンは私の肩からカマキリを取り上げると少し離れたところに逃がした。


「ほんとう?」


「うん!」


 涙目で顔を上げればケヴィンが力強く頷く。その顔を見た瞬間、ケヴィンはディアンヌのヒーローになった。格好いい!! 四歳児の思考は単純明快で自分の危機を救ってくれた男の子に恋をした。それから私は熱心にケヴィンにアプローチをした。自分から好きと言うのは恥ずかしい。それなら相手に言わせるしかない。女の子は男の子から言って欲しいものだ。そうさせるために考えたのは……。


「ケヴィン、これあげる!」


 私のお気に入りのクッキーを。


「ケヴィン。これあげる!」


 私の大切な可愛い馬の縫いぐるみを。


「ケヴィン。これあげる!」


 私の宝物の絵本を。

 四歳児が精一杯知恵を絞った作戦、それは『物で釣る!!』だった。


「ディアンヌ、ありがとう。うれしいよ」


 ケヴィンはそれらをニコニコと受け取ってくれた。

 好感度は上がっているはずと確信しこっそりガッツポーズをとる。その結果のプロポーズである。心の中は成し遂げた感でご満悦だった。

 

 彼は辺境に帰ってしまったが定期的な手紙のやり取りをしてお互いの近況を報告し合った。辺境は離れているので滅多に会えない。彼は領地や家族や領民を大切にしているので領内を守る手助けをしていて王都に来ることはなかった。ディアンヌも多忙な両親に「連れて行って」とは言えず我慢するしかなかった。


 その彼が十五歳になると王都の学園に入学した。やっと会える! どんなふうに成長したのかとドキドキしながらその日を待つ。四歳の頃のケヴィンは女の子みたいに可愛かった。どうして幼い頃って男の子の方が可愛いのかしら? 大きな目でまあるいほっぺ、元気いっぱいで活発だった。


 何年か振りに再会した彼は子供の頃のような女の子みたいな可愛らしさはなく、ちゃんと男の子だった。成長途中ではあるが鍛錬の成果が分かるほど逞しくなっていた。それでもまだ幼さが表情に残っていることに安心してしまった。心の動揺を隠し私は平然と「久しぶりね。元気だった?」と言ったが、何だか急に彼を男性として意識してしまい心臓はバクバクしていた。それを表に出さずに済んだのは淑女教育の賜物だ。それでも心の中では(私の婚約者、素敵!)と浮かれまくっていた。


 一緒に過ごすようになると幼い頃のイメージと違う姿に戸惑い始める。彼はいつのまにか寡黙になっていた。だからといって私の話を聞いていないわけではなく、ちゃんと頷いて返事もしてくれる。でも自分から率先して話題を振ってくれることはなかった。表情には出さないけど内心では私と話をするのがつまらないのかしら? もしかして婚約を後悔してる? 

 

 私は両親に彼の変化に困惑していることを相談した。


「それは、まあ思春期だからなあ。寡黙な男に憧れているんじゃないか?」


 寡黙に憧れるの? お父様の言葉に納得がいかない。


「でも私以外の人とは割と普通にしゃべってるみたいなの…………」


「ディアンヌには格好つけているだけよ。まだ再会してそれほど時間も経っていないのだからもう少し様子を見なさいな」


「……そうするわ」


 お母様に諭されとりあえず頷く。その後も様子を見たが変化はなく寡黙続行中だ。昔のように楽しく過ごせると思っていたのでちょっぴり寂しい。でもケヴィンに嫌がられたくなくてグイグイ話しかけられない。

 それでも彼は定期的に外出に誘ってくれたので、嫌われてはいないと安心した。

 二人でカフェに出かけたり図書館で過ごしたりもした。実のところ私は他の令嬢たちのように彼と手を繋いで指を絡ませたり、腕を組んで歩いたりしたかった。憧れの『恋人繋ぎ』!! でも公爵令嬢が婚約者相手とはいえ、はしたないと思われないか不安になった。なによりもケヴィンに迷惑がられたらと思うと言い出せなかった。


 仕方がないのでその寂しさを妄想で解消した。デートに行った日の夜はその日の出来事を反芻しながら自分の頭の中で脚色をしてニマニマして過ごした。うっかり侍女ににやけ顔を見られてしまったが、侍女は生温い目でそっと頷いていた。なにか言って欲しい。これは余計に恥ずかしかった。居た堪れずに枕に顔を埋めて呻いてしまった……。


 そろそろ結婚式の予定を本格的に決めようという頃、隣国が挙兵した。


「ごめん。ディアンヌ。領地に戻るよ。今大切なのは辺境はもちろん国を守ることだ。それは君も守ることだと思っている。だから、待っていて欲しい」


「分かっていますわ。しっかりと国と民を守って下さいませ」


 真摯な彼の言葉にツンと返事をする。慇懃になってしまって我ながらものすごく可愛くない。どうしてこんないい方しか出来ないのかと自分が憎い。本当は「気を付けて」「怪我をしないで」「待っています」そう伝えたかったのに。


 でもそうしないと「行かないで、側にいて」と叫んでしまいそうだった。本当は怖い。彼に何かあったら、もし怪我をしたらと思うとこのまま安全な王都に居ることを選んで欲しいと思ってしまう。もしかしたら私が必死に頼めばそうしてくれるかもしれない。でも彼は家族にも領民にも申し訳なく思うだろう。いつしか私を恨むかもしれない。

 私は幼いころから貴族としての心構えを叩きこまれてきたのになんて無様なんだ。毅然と微笑んで武勲を祈り送り出さなくてはならないのに。


 きゅっと唇を噛んで俯く。すると彼の手が私の頬を包んだ。そして親指が目の下を優しく拭う。その指は涙で濡れていた。


「ああ、必ず君と国を守って見せる。ディアンヌ。心配しないで。必ず君のところに戻ってくるから」


「……っ!」


 気付けば瞳から涙がこぼれていた。泣くことを堪えられない淑女失格の私をケヴィンは安心させるようにそっと抱きしめた。喉が詰まって返事が出来ない。私は返事の代わりに彼の腕の中で小さく頷いた。






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