杏子色の出会い
次の日。
私は、フリースクールに行ってみることにした。
なんとなくだけど、うまくやって行けるような気がした。
それに「行ってみる」と私が言ったとき、母はすごく嬉しそうだった。
不登校になって、あんな嬉しそうな母を、久しぶりに見た。
母があんな笑顔で笑っていられるなら、行きたい、と思った。
朝、去年のクリスマスにもらった白いセーターに、紺色のロングスカートを合わせて着た。
鏡の前に立った。
自分の背中を押すように、深く息を吸うと、
「行ってきます。」
誰もいないリビングにそう呟いて、玄関の扉を開けた。
秋の匂いが、少しだけ鼻についた。
夏なのに、夏じゃなくて。
ひんやりとしてて、でも暖かくて。
夏の終わりは、そんな色で溢れていた。
私は、もう一度家に戻ると、カーディガンを持って、また家を出た。
朝の空気は、やっぱり清々しい。
朝霧が太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
何故か、すごくワクワクしている。
今から起こることに、私は希望を抱いているようだ。
今日が、楽しい1日でありますように―
フリースクールに着くと、バクバクと波打つ心臓の音が聞こえた。
そわそわして、落ち着かない。
私はゆっくりと、フリースクールに近づいて行った。
「おはよう。奈穂ちゃん。」
前を向くと、渡辺先生がそばに立っていた。
「お、おはようございます。」
「来てくれたのね。」
渡辺先生はそう言って、私に笑いかけた。
「はい。」
「緊張しないで。奈穂ちゃんは、奈穂ちゃんのままでいいから。」
こんなことを言ってくれた大人は、この人が初めてだった。
「私は私のままでいい」
そんな言葉が、今の私にはすごく優しく響いていた。
「はい。」
上手く笑えただろうか。
ずっと笑っていなかったせいか、心から笑うことが出来なくなっていた。
でも―、笑えていたらいいな。
「中に入って。」
「…あの。渡辺先生。」
「かおり先生でいいわよ。どうしたの?」
「はい。好きな時間に帰っていいと母から聞いたんですが…、何時に帰ってもいいんですか?」
「うん。みんな好きな時間に来て、好きな時間に帰ってるわよ。何しろ『フリースクール』だからねっ!」
「あ、ありがとうございます。」
そんな何気ないことを、教室に着くまで話した。
嬉しかった。
「ポンッ」と、肩をたたかれた。
びっくりして、とっさに後ろを振り返る。
慣れないフリースクールの教室で、私は、初めてをたくさん味わうことになった。
「ねえねえ、あなた、名前はなんていうの?」
そう、20分間もある休み時間に聞かれた。
「え…。」
昨日、窓際に座っていた女の子だった。
長い髪を後ろで三つ編みにして、可愛らしいピンクのリボンをつけている。
「私、水守一華。よろしくねっ!」
そう言って、私を瞳に映して、無邪気に笑っている。
「あなたの名前は?」
「え、あ、わ、私は…、藤本、奈穂、です。」
緊張して、何度もつっかえながら、そう言った。
「へえー、奈穂ちゃんっていうの。可愛い名前だね。」
「あ、ありがとう。」
「あのさ、私のこと、『一華』って呼んでいいから、『奈穂』って呼んでもいい?」
こんなこと、初めてだった。
いつも、みんなできるだけ私にかかわろうとしなかった。
―里紗さんの妹だから、きっとすごく偉いんだよ。
そんな根も葉もない噂ばかりたてられて、誰一人私を私として見てくれなかった。
だから―、この子が初めてだった。
この子が初めて、私を私として見てくれた、気がした。
嬉しかった。
嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうだった。
「いいよ。い、一華。」
「ホント!ありがと!奈穂。」
改めて言われると、すごく恥ずかしかったけど、そばで笑う一華を見ていると、嬉しくて仕方なかった。
私でもこんな風に、人を笑顔にさせられるんだ、と。
「あのさ奈穂。休み時間、一緒に遊ばない?」
「うん!」
嬉しかった。
今日、フリースクールに来てよかった。
一華に出会えてよかった。
そう、思った。
これからもずっと…、ここにいたいと思った。
南の空で高く輝く太陽は、中庭にある、すみれ色の花を照らしていた。




