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窓際日記  作者: ぽた
1/1

序章 裃山と神山

 たまに無性に、普段はやらないことをやってみたくなる時。

 割と、誰にでもあることだと思う。


 僕こと裃山浩輔(かみしもやまこうすけ)がそれを思い立ったのは、高二のある日は春のことだった。

 小、中、高校一年と通して皆勤賞続きだった僕だったが、何を思ったのか、その日は何となく授業を受ける気にはなれなかったのだ。


 我ながら馬鹿だとは思う。思うのだけれど、それはある意味で言えば憧れにも似たようなもので、所謂“サボリ”というやつは、真面目な人間からすれば「どうして平気で出来るのだろう」といった感想を抱くもので。

 物見遊山と言うか興味本位と言うか、とどのつまりは気まぐれで、僕は授業をサボってやることに決めた。


 何を思うのだろう。

 何を感じるのだろう。


 どんな感想が僕の中に満ちるのか、少しばかり怖くはあるが興味があった。


 理由は単純、遅刻ということにしておいた。

風邪でも法事でも事故でも忌引きでもない以上、最後まで全部休むという訳にもいかないから、結局は根が真面目な僕は、頭の一限目だけをサボった。


 しかして別段やることが有る訳でもなく。

 家に居ればボロが出るし、近所の喫茶店に居れば足が付く。ゲーセンにも興味はないし、ショッピングモールにも用事がある時以外は行かない。


 つまり、だ。

 平たく言えば無駄な時間になってしまうことは明白なわけで。


 と、そんなことを思っていた時だった。


 ふと思い出したのは、皆が噂しているとある女子生徒のことだった。

 ただ、噂と言っても、陰口や悪口の類ではない。

 程度としては弱い弱い、その女子を讃える呼び方のことである。


 いや、本人からしてみればそれは本意ではない訳で、弱いと言ってもただ第三者側からの目線であるから、あまり良い気もしないのだけれど。


 話を戻して。


 その女子生徒の名前は神山美月(かみやまみづき)

高校一年の頭から今まで、必要以上に誰かと話をしたところを見た者はおらず、クールで大人しい無口な女子、といった印象。

 しかし、長く艶やかなさらりとした黒髪と涼し気な目、といった外見は存外に評判が良く、その名前の綺麗さも相まって、一部男子からは『近寄り難い高嶺の花』とまで称されている。


 そう。悪口では決してないのだ。


 どちらかと言えば、話したくても話せない、けれども何だか悪い気はしない、寧ろ言葉を貰えれば勲章ものだと、良い意味でチャレンジの的となっている。

 女子からの評判も別段悪いものはなく、たまに「私もダメだったー」「あー残念」なんて会話も聴こえてくる程だ。

 彼女を形容する際、小学校はどうだった、中学校はどうだった、という話が出ないのは、彼女が高校からこちらに越して来たらしいから。


 そんな姿からつけられたあだ名が——


「《窓際の眠り姫》、ねぇ…」


 生徒会長でも校長の孫とかでも、ましてお嬢様でもない唯の一般人相手に、そのあだ名は些か多き過ぎやしないだろうかとも思うのだが。

 それは確実に本人の耳にも届いている筈だけれど、これと言って嫌と聞いたこともない。

 いや、まぁそれはただ単に誰とも話さないからというだけなのだろうが。


 そんな神山美月のことを、どうして僕がこのタイミングで思い出してしまったかと言うと。


 彼女を噂する声で耳に入って来るのが、たまに休んでいる一限目に何をしているのか予想する、というもの。

 そう。僕が今サボっているこの一限目、それを意識したことで、ふとして思い出してしまったのだ。


 噂の上では『優雅なティータイムで遅刻』『愛犬のお散歩』『執事が云々』といった要領を得ないものが独り歩き。

 実際どうなんだ、それ。


「——なんて」


 そんなことを考えながら歩くのは、いつもの道。

 結局僕は、少し朝遅れただけで、もうそのまま学校に向かってしまおうと結論付けたのだ。


 感想——つまらない。

 サボりなんかするんじゃなかった。


 それが、僕のサボりに対し抱く、直感的な感想だった。




 校門までやって来た。

 もうここからだと、僕の座る席がある筈のクラスが見えてしまっている。


 ともすれば、窓から外を眺めているような生徒の目にでも留まりそうだ。


「まぁ、やることも無いし——っと。ん?」


 ぐるりと首を回して凝りを取るような動作でたまたま捉えた、旧校舎。

 ふとして視界に入って来たのは、そちらからおずおずと出て来るとある女子生徒の姿。


 遠目にも分かるそれは、さながら硝子の靴でも忘れて去るシンデレラのようで。

 違う筈はない。


「神山さん、だよね、あれ……何だって旧校舎なんかに…?」


 つまらないとだけ思ったサボりが、思いがけない出会いに触れた朝だった。






 お前が休むなんて珍しいと担任に心配され。

 恋の病にでもかかったんじゃないかと友人に笑われ。

 勉強熱心なお寝坊さんかとたまに話す女子に無用な感心を示され。


 何とか迎えた放課後。

 僕は、ずっと気になって仕方がなかった旧校舎へと赴いた。


 旧校舎とあってまず頭に浮かんだのが、ある一つの噂。

 最近ここで、幽霊が出るとか出ないとかって話があるのだ。


 まさかその正体が——と、今の僕なら疑えてしまう。


 正面玄関まで来た。

 まず一つ。埃っぽい。

 当然なのだろうが、所謂廃屋というものは、こうも息が詰まるような場所なのか。

 今は治ったとは言え、下手をすればまた小児喘息が蘇ってしまいそうだ。

 長居は無用、と。


 歩く靴底から更に舞う埃を凌ぐべく、袖で口元を軽く押さえて、一歩、また一歩と中へ。

 何世代も前に使っていただけあって、木造のそれは嫌に鳥肌を立たせた。


 神山さんも、何だってこんなところに居たのだろうか。

 同じ一限目に目撃してしまった姿は、結局、三限目になってやっと教室に顔を出したし。

 あの後もまだ、どこかフラっとしていたのだろうか。


 謎は深まるばかり。


 僕は僕で、どうしてそんなことに興味を持ってしまったのか。

 そも彼女がこの旧校舎のどこに居て、どこから出て来たのかも分からないというのに。


 今日は本当に、どうかしてる。


 ただ——


「これ、どう見ても女子のサイズだ…」


 正面玄関先から続いている、埃を踏みつぶして分かり易くついた足跡。

 同じ方向にいくつもあるけれど、サイズ、歩幅から考えると、どうやら複数人ではなさそうだ。

 上靴のものだとすぐに分かるそれは、僕よりも五センチくらい小さい——そう。女子生徒のものだろうと予想出来るサイズだったのだ。


「ん……?」


 そして、ふと、ある一つの教室が目に留まった。


 一年三組と書かれた札があるそこだけ、他の教室と違い鍵が壊れているらしく、扉が開け放たれたままだったのだ。

 確証はない。何一つない。けれども、それは、明らかにその教室の中へと続いている。

 

脚は、自然とそちらに向かっていってしまった。


 教室の中に入ると、埃と息苦しさは一層強くなった。

 これがもし、普段は鍵まで閉められている空間だとすれば——うぅ、考えたくはない。

 ともすればここで息絶えてしまいそうだ。


 机や椅子、貼り紙、黒板の落書きなんかは、おそらく当時のまま。

 掲示板にかかっている新聞の切り取りには、平成三年と印字されている。


「古いな」


 もう三十年近くも前の話だ。

 それが当時のままここにあるというのは、時代の変遷を実感出来て感慨深いような、それでいて少し怖くもあるような。

 何とも不思議な気持ちにさせてくれる。


 そんな中で、僕は一つの机に目が行った。

 いや、惹きつけられた、と言うかも分からない。


 窓際一番後ろの机の上に、埃を全くかぶっていないノートが一冊、鎮座していたのだ。

 恐る恐る近寄り、表紙を見やった。


「交換日記……?」


 綺麗なペン字で書かれたそれに、しかし名前はない。

 ただそれだけ書かれていて、あまり折り目が付いていないそれは、そう頻繁には捲られていない様子だ。


「——うーん、やっぱりダメか。いや、でも気になるし…」


 ページを捲ろうか捲るまいか。

 逡巡した結果。


「失礼します」


 最初の一ページ目だけ、とそれを手に取った。


 しかして見やった中身は、その最初の一ページ目にしか文字はないようで。

 中間程までしか埋まっていない。


 内容はこうだ。


『平成三十年四月。初めまして。新一年生です。良ければお返事をいただけませんか?』


『平成三十年六月。暑くなってきましたね。早く夏服に代わって欲しいです』


『平成三十年七月。明日から夏休みです。またしばらくはここに来ません』


『平成三十年九月。二学期になりました』


『平成三十年十二月。明日から冬休み』


『平成三十一年三月』


 段々と内容が無くなってきている。

 最初から誰かと会話をしている様子は見受けられないし短いが、そこに至っては日付だけだというのは——。


 そして、最後に。


『平成三十一年四月。次で最後にします。お返事ください』


 そう括られていた。


「三十一年——って、今年じゃないか…」


 それに四月は今の月——頭の中で、変に何かが繋がった。


「最後……最後か。うーん…」


 その一言だけが気にかかって、引っかかって、僕は悩んでいた。

 本来なら悩む必要などないのだろうが、偶然とは言えこれを見てしまったのだから。

 僕以外の人がこれを見ていたなら、その僕以外の誰かが、これに応えるか無視かをしている筈だ。


 僕でも良いし、僕以外でも良い。


 そう思ってしまえば、匿名だということもあって、幾分気は楽だ。


 今日だけでも、もう何回目の『何を思ったか』だ。

 僕が、それに手を付けようとするなんて。


「——と言いながら、ボールペンを取り出すとは……本当、今日の僕はどうしてしまったんだろう」


 とりあえず、挨拶だけ返しておいた。






 一週間程経っただろうか。

 今日、また一限目に彼女の姿はなかった。

 正しく言えば、一限目の途中で入って来たのだけれど、何にしても、僕は一つ確かめたくなって放課後を待った。


 そうしていざ迎えると、僕は迷わず旧校舎の方へ。

 誰にも姿を悟られないように、こっそりひっそりと。


 見つけた新しい足跡は、しかし数日は経っているようで埃を少しかぶっていた。

 ただ、やはりそれはあの教室へと続いているようで。

 そこに辿り着いた僕は、もう気に病む必要なくそれを手にした。


『初めまして。そして、こんにちは。

男の子、でしょうか。とても字がお綺麗なんですね。

私は、とある学年のとあるクラスに在籍中の、とある女子生徒なのですが——よろしければ、お話し相手になってくださると、とても喜ばしいと思います』


 これはまた、嬉しくもあり困ったお誘いなわけで。

 話し相手、か。


 とりあえず。


『同じくとある学年のとあるクラス、男子Aです。

 続けるかどうかはさておいて、まぁとりあえず、ここに来た時には言葉を返しましょう』


 とだけ書いておいた。






 それから何度か、やり取りは続いた。

 目安となるとある日の放課後に行くと、決まって更新があった。


 差出人が誰だか、大方の予想がついていたからだ。


『私、極度の口下手で。だから、誰とも上手く話せないんです』


『僕だってあまり得意な方ではありません。話し言葉もこの一人称で、だとするとほら、あまりワイワイとやってるタイプの人間じゃないって分かるでしょう?』


『それは人柄にもよるでしょうが……何でしょう。なら少し、喜ばしいかも知れません。似たような人が話し相手になってくれてるなんて』


 そんなやり取りが続いた。


 気が付けば季節は一つ巡り、夏の暑さを大いに感じる熱気に包まれて。

 互いその熱にあてられてか、更新頻度も少しだけ減っていった。


 何せここには空調がない。

 いやあるにはあるのだけれど、自然電気は通っていないのだ。

 窓を開けてみたこともあるけれど、埃が舞って仕方がない。


 もうあと少しすれば夏休みにもなる。

 そろそろ、その挨拶でもしようか。

 そう思って赴いたのは、七月は頭のことであった。


『女の子のお友達、いないんです、私。いえ、男の子の友達もいないんですけれど。

 だからといつも、お出かけする相手は母親なのですが、どうにもその日は都合がつかないようで、一人寂しく出かけることになりそうなので』


『何かその日じゃないといけないイベント、となればお祭りかバーゲンセール?』


『随分と変則的な二択ですが、正解は前者ですね。

 その日でないと無い、という訳ではないのですが、空いている日がその日しかなくて』


『一人旅、という訳ですか』


『ええ。ですから、一緒に行けるお友達を誘おうとも思ったのですが、つまりはそういうことでして一人旅になりそうなのです』


『たまには悪くないかも分かりませんよ、一人旅。

 気軽に気楽にフラフラと、自分のペースで自分の思うように、自分のしたいように出来るんですから』


『それもとても魅力的なお話ですね。

 ですが私は、一つそれとは違うお話をしたく』


『違う?』


『ええ。この度、私は決めました。決めてしまったのです。

 一緒に行ってくれる方を募ろうかと思い立ったのです』


 嫌な予感がする。


『誰か、誘えるお相手が?』


 そう返した僕の文には、こう続いていた。




『一緒に行っていただけないでしょうか。

 きっと、貴方なら大丈夫だと思うのです。

 私は神山美月。お願いいたします——裃山さん』




 七月中旬は夏休み前の話だった。


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