♯3
私と桧山が初めて出会ったのは、中学生の時だった。
貧血体質で、よく保健室にお世話になっていた私と、当時保健室登校をしていた桧山は、お互いよく保健室にいる人だ…という認識だった。
そんなある日、音楽室の前を通ると、中からピアノの音が聞こえてきた。
パッヘルべルのカノン…否、少し違う。アレンジがかかっていて、とても優しい音楽だった。
そのピアノを弾いていたのは、桧山だった。
放課後で、校舎の奥にある音楽室にはだれも来なかった。
暫く聴き入っていると、うっかりバランスを崩してドアを開けてしまった。
それが、全ての始まりだった。
桧山は…泣いていた。
私が入ってきたことで驚いた表情だったけど、たしかに…泣いていたんだ。
「ごめんなさいっ、盗み聞きするつもりはなかったんだけど…。」
慌てて謝ると、桧山も慌てて袖で涙を拭い、首を横に振った。
「神原さん…だよね。先生がよく言ってた、体調崩しやすいって。」
擦ったことで桧山の目が赤くなっていた。
「あっ、えっと、貴方もよくいるよね?えっと…」
「桧山優雨。…勝手にピアノ使っちゃった…怒られるかな?」
と少し笑って…それがかわいい、なんて思ったりもしたかもしれない。
「しょっ、職員室からだいぶ遠いし、聞こえないんじゃないかな?」
さっきの涙が気になるが、平然を装ってそう返す。
「ピアノ…上手いんだね。」
「そうかな…。独学なんだけどね。」
「えっ!そうなの?凄いよ!私なんか習っててもそんなに上手くないから…。」
「神原さんも、ピアノ弾けるんだ。」
「えっ、あっ、まぁ。少しなら…。」
慌てる私を見て笑う桧山。
さっきの泣いてた時からはこんな表情できるなんて想像できなかった。
「せっかくだし弾いてみてよ。」
と言われ、一曲。
発表会以外で人前で弾くのは初めてだ。
〜〜♪
「さっき…泣いてたよね?」
最中、徐にそう聞いた。
少し戸惑っていたようだったけど、桧山は涙の理由を話してくれた。
桧山は小さい頃両親が離婚していて、父親と2人で暮らしてる。
でもまだ幼い息子の為に、離婚して暫くは、時々母親が通ってくれていたらしい。
頻度は不定期だったけど、来るのは決まって月曜日。
桧山は母親が弾くピアノが好きで、会うときはいつも弾いてくれていたそうだ。
そして、ある時を境にパタリと来なくなったという。
父親は何も教えてくれず、そして母親の話をすることもタブーになっていった。
桧山は、なぜ母親が来なくなったのか、そもそも離婚したのは自分のせいじゃないかって、今でも時々自分を責めているという。
詳しくは分からないけど、桧山の中では、まだ母親を追い続けているんだ。
その時から、私はたまに桧山のためにピアノを弾くようになった。
あの時、桧山が弾いていたように、柔らかくて少しアレンジがかった演奏に寄せて弾いた。
おそらくそれが、彼の母親が弾いていた旋律なのだと直感したから。
とはいえ、私の演奏と彼の母親のピアノでは全然違うだろう。
それでも桧山は、私のピアノが好きだと言ってくれた。
いつのまにか、桧山の事が好きになっていた。